igh collar の訛りであることはいうまでもなく、発音が「ハイカラ」とつまって、日本語になった。元は「ハイ・カラー」と原語なみにカラーを引張って云ったものである。
 ハイカラにかぎらず、これは何によらず外来語が「日本語」に生れ代る[#「生れ代る」に傍点]場合には、発音のつまる[#「つまる」に傍点]ことは言葉の経験するところで、modern にしても、モダーンと引張るうちはまだ半洋半和である。「モダン」とつまるに及んで、日本語となり、同時にその世相風俗も日本の板につく。ticket という言葉などこれが「ティッケット」と、よく云われるように舌を噛みそう[#「舌を噛みそう」に傍点]な発音で云われる間は、まだまだ日本のものではない。これが日本語となり、同時にそれが日本の生活へ融け込もうためには、思い切って「テケツ」にならなければならない。
 世相の変遷はこう云った言葉の移り変りをキャッチすることによって、先ず端的にその「急所」を掴まえられるように思うけれども、「ハイカラ」についてこれを調べてみると、東京日日新聞の九千号記念紙に次のような新刊書の広告文が掲載されていて、この日附は「明治三十四年十月四日」である。

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   滑稽なる日本

[#地付き]全一冊  彩色表紙
[#地付き]定価郵税共金二十銭
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著者は「滑稽」の二字、我社会の総べてを形容し得可しとなし、而して其標本はハイカラーなりとし、漫罵冷嘲、縦横翻弄して滔々たる高襟者流をして顔色無からしむ。真に痛絶稀に看る快心の著。
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  一手発売所
   東京神田錦町二丁目六
[#地付き]新声社
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 何も自分がたまたま持っている古新聞を文献めかしく振り廻す所存はないのだが、これを一つの重要な「鍵」とは考えるので、少くも「ハイカラ」なる明治以来の一つの言葉、従ってこれに裏づけとなる一つの世相史上のテーマは、その胎動から誕生にかけての年代[#「年代」に傍点]を「明治三十年」見当と見てよいことは、間違いでないと同時に、そのハイ・カラーが「ハイカラ」と転じていよいよ「日本的活動」とも云えるものを活溌にしはじめた年頃は、新聞紙上に右のような広
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