伝聞する。
ぼくのそのいろは第八支店に生ひ立つたころほひ(明治二十六年以降)がこの商店の興隆期に際会するものらしく、子供心にも、年々何号何号の支店が増えつゝあつたことを心うれしく聞いてゐた。
「遠路之御厭ひなく御来車且つ御用被仰付日増に繁昌候段有難仕合に奉存……」
といふやうな書き出しを以つて、新しく神田連雀町へも店を設けるといふ広告を読売新聞に出したのが、明治二十年のことだ。この広告にはまだしかし店は「五軒」しか載つてゐず、次は深川高橋に支店を用意してゐるといふことで結んで、
「行々は府下各所へいろは四十八店を開業仕候間……」
さう切り出したのが、このごろのことだらう。まだぼくの「第八支店」はこの時の広告文章の中には数に載つてゐない。
それが越えて明治二十五年(ぼくの生れる前年)になると、市内のいろはの店々へ無料広告を扱ふから各有志の方々にお申出を待つといふやうな広告募集を時事新報へ載せて、「但シ広告ハ粗美ヲ編セズ、枠附額面仕立ニテ、高サ一尺八寸、幅二尺以内」云々と定めた。この時の広告文字中には、支店連名としてぼくの第八支店も出てゐるのである。店が明治二十年以後間もなく創業になつ
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