たことは、これに依つて間違ひない。
やがて後年に――これはぼくの年齢にして相当よく記憶にあることだから、明治三十年後のことであらう――
上野山下の旧「がん鍋」を手に入れようとして、成らず(その理由はぼくは詳しくしない)、それで「浅草」にも「日本橋」にも「両国」にも大体市内の目ぼしい個所には店があるのに、上野[#「上野」に傍点]にだけは結局いろはの無かつたのは、そのためと、後々までも家人の一つ話となつてゐたことが耳にある。がん鍋はその家のありやう[#「ありやう」に傍点]はぼくの如き当時年少で詳知しないけれども、錦絵などでは見る家の、その名は幼少からよく聞いてゐた名代の店屋で、維新の彰義隊騒ぎに、籠城の士がはじめにこのがんなべの屋上から官軍を防戦したといふ話など喧伝される、古い家である。――間違ひでないとすれば年少ぼくの記憶では、そのがん鍋を手に入れかねたといふ時分から、そろそろ、いろはもその「全盛」を下らうとしたものではなかつたかと考へてゐる。父が急逝したのはぼくの十四歳の春であつた。
明治十九年に「いろは」第八支店を父が経営したといふが、数へればそれはぼくなどの生れる八年前のこと
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