卿が三田四国町ニ動物育種場及び動物市場ヲ官設サレ、府下一ヶ所ヲ限リ、諸獣屠殺場ヲ新設シ、以ツテ模範タラシメントセラレ……」かういはれたやうな事業に父が関与したのは、明治十一年からのことと聞き、川路大警視からの手引きで三田界隈のこの事に手を染めたのが「牛鳥」に関係するはじめだつたといふことである。
 それからぼつぼつ市内に「いろは」牛鳥肉店が開店しはじめたであらう。この「いろは[#「いろは」に傍点]」の命名は、物事のはじめのいろはから来てゐたといふことで、やがて転じて、いろは四十八店[#「四十八店」に傍点]を市内に建てる念願といふことに転化されたものらしく、事実、「いろは」は市内目貫きの各所に、順に何号支店といふ工合に号を追うて増店され、ぼくの生れた家は、その第八番目の支店で、明治十九年に父の開店するところとなつたといひ、当時「千円若干」の金で元の所有者から買取られたといふことを聞いてゐる。当時の千円はその後のどの位の価格となるであらうか、初め父が芝三田に借入れた、何んでも元来は某大名屋敷だつたとか云はれる家は、――諸獣屠殺か競馬かに関して借入れたものであらう――月九十円の家賃だつたとか
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