たから。
今ぼくがこゝに考へようとするのは、かう云つた五色ガラスの家屋装飾が、何から来たゞらうといふことである――。
ぼくの父木村荘平(明治三十九年歿、六十七歳)は「いろは」牛肉店の経営だけが、その仕事ではなく、製茶貿易、諸獣屠殺、競馬、火葬場経営等々……いろんな方面に関係のあつたもので、競馬と屠獣の関係で三田四国町を開いたり(明治十二年)、町屋に火葬場を建てたり(明治二十六年)、甜菜の製糖会社であるとか(明治二十一年)、その同じ年まで日本麦酒会社の社長を仕め、蛹《さなぎ》を用ゐて機械油を作る計画に与つたり(明治二十三年)、さうだと思ふと羽田の穴守に稲荷を祭ることなど率先してゐる。むしろ牛肉店のいろはは何れかといふに「枝」に当つた事業のやうなのが、ただ却つて「枝」が日に日にの現金収益を以つて「当つた」それと同時に「目立つた」といふ形ちであつたらう。明治三十年代にはその全盛に及んで、そのころ年々のとりのまち[#「とりのまち」に傍点]に店員全部が隊を組んで大鷲神社へ練り込んだことは、ぼくもその行列に連なつておぼえがある。
「諸獣屠殺」と云つたやうな、そのころの官令を以て「……大久保内務
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