築されたのはぼくの小学校時代だつた。(そして客のない時には概ねこゝがぼくの遊び場だつた。)――この三階から本屋の総二階にかけて、その正面及び側面見つきの、ガラス戸といふガラス戸が、全部、五色の色ガラスを市松にあしらつたものだつたが(一階は五色ではなく、普通ガラスだつた)、思ふにこれも家を西洋館めかしく仕立てる装飾目的の、いはゞ、ステインド・グラスといふ見込みだらう。ガラスは外国製品だつたやうである。飛び飛びに白の無地を交へて、クリムソン・レーキ、ウルトラマリン、ビリジヤン及びガムボージの各色を配した。
陽の当る時には、いつもそれ等を通して屋内の畳へ落ちる色とりどりの斜影が美しかつた。殊に黄色が冴え冴えとして美しかつた。そして、この五色の市松になつた、いろはのガラス障子[#「いろはのガラス障子」に傍点]は、その中に育つたぼくから云ふのではなく、当時これをはた[#「はた」に傍点]見た先輩諸君の言葉に聞くに――最近辰野さん(隆博士)や佐藤春夫さんに逢つた時の偶然の話にも、これが出た――一種の「東京名物」だつたやうである。といふのが、市内の方々にあつたいろは各支店が、何れも同様の装備をしてゐ
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