にごりえの発表、明治二十八年九月)代の本郷丸山福山町あたりの娼家装飾――その五色ガラス――は、これ又、基づくところ開港地のチヤブ屋から来てゐること明らかだと思ふ。
[#「浅草橋」のキャプション付きの図(fig47594_02.png)入る]
一葉の娼家には「軒に御神燈さげて盛り塩景気よく、空壜か知らず、銘酒あまた棚の上にならべ」とある。
当時市内の「新しい商売家」であつた娼家とか、今云ふ「大衆食堂」風な牛屋などが、その辺からその店構への標識なり装飾として「異人館」めかした五色ガラスの障子をその店頭の見つきにあしらつたことは、極く自然な思ひ付きだつたと類推される。伝統ともいふか、これの連綿として尽きないのは、昨年の末に、戦災地へ近ごろ新しく娼家の家も建揃つた玉の井へ行つて見たところ、その家々「ガラス戸」の扱ひ工合に、この「五色ガラス」の旧智が採用してあるのを見た。そしてこれは吉原にも今現にある。しかし都内目貫きのところには[#「都内目貫きのところには」に傍点]今では何商売を問はず、この「装飾」は見かけないやうである。――半世紀以前には斬新奇抜だつた風《モード》も、今では古く、ヰナカ臭
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