も、旧東京(江戸)にその範を求めることは出来ない。云ふところのフラフ(旗印)などと共々、五色ガラスの店頭装飾も、当時洋風の先端を切つたハマ譲りである。
 氏の晩年であつたが、馬場孤蝶さんと逢つて話した時に、それは主として「一葉」及びその「時代」について馬場さんから話を聞く一席のことであつたが、馬場さんは一葉作「にごりえ」に言及しながら、当時一葉のゐた丸山福山町界隈の「にごりえ」風な家々には、その家の見附きの二階ガラスに[#「その家の見附きの二階ガラスに」に傍点]、五色ガラス[#「五色ガラス」に傍点]を点じてゐた――。
 と云ひながら、座のぼくを顧みて「さうさう、木村さんの家のいろはのやうにね」と話されたことがあつた。
「にごりえ」に関する文献といふか、表証について、これは小さからぬ逸事とぼくは以来考へてゐるものだが――所詮「にごりえ」の家々は娼家営業のものである。やがては「銘酒店」ともなり、いはゆる「曖昧屋」の、末は明治末の浅草千束町(十二階下)から後の※[#「さんずい+(壥−土へん−厂)」、第3水準1−87−25]東玉の井へと転化するモードの一齣だ。その先働として発した明治二十八年(
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