るの! そんな事言ふと私が承知しないわよ!(階下へ)おかみさん、沢ちやんはまだ駄目よ。私が沢ちやんの分まで引受けます。(沢子に)なあに平気よ。それ位のこと、この私に出来ないと思つて? ところで、さ、戦闘準備だ。あんたの鏡台貸してね。さ、忙しいぞ。
沢子 えゝ、いゝとも。――済まないねわねえ。
お秋 チツ、又言つてるよ。(安つぽい赤の長繻絆を見せ半ば肌脱ぎになつて、鏡台に向つて化粧しながら)――私なんざ、お上手でゐらつしやるからね、沢ちやん見たいにへまはしないのよ――一体あんたは、お客に少し親切過ぎるのよ。――だから病気なんかになるんだわ。――白粉が濃過ぎたかな。どう?
沢子 いゝえ、それ位で丁度いゝわ。――あんたの肌はいつも綺麗だわねえ。どうしてさうなんだらう。私なんざ若いくせに――。
お秋 そりや、クヨクヨ物を考へないからよ。
沢子 私、時々、あんたに抱かれて寝たいわ。――あんたの肌を見てゐると、私、小さい時に別れたお母さんを思ひ出すんだもの。
お秋 私が男なら、沢ちやん、惚れて?
沢子 えゝ、惚れるわ。死んでもいゝわ。
声 (階下から女将)秋ちやん! 秋ちやん!
お秋 今、行きます。(帯をしめ直す)――沢ちやん、あんた、あの、秦さんと何か約束でもしたんぢや無い?
沢子 いいえ、どうして?
お秋 なに、それなら、それでいゝんだけど。――さあこれでよしと。今晩はね、私、少し勇ましくやるからね、あんた、聞かない振りをしてゐて頂戴。(出て行く)
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階下の酒場で、数人の人が酒を飲んで騒いでゐる物音。
遠くで、汽船の汽笛の響。
沢子は頭を枕に伏せてヂツとしてゐる。
同じ二階の何処かで二三人の人の足音。廊下のギチギチ鳴る音。
男の酔つた声と、お秋の声。
[#ここで字下げ終わり]
声 惚れて通へばつて言ふぢや無えか―な、な―横須賀くんだりから来たんだぜ――。
声 だからさ、うれしいと言つてゐるんぢや無いの――。
声 痛え! 畜生、その手だ。――その手でたぐり寄せられる奴だ。――ひとつ、ヌクヌクと、てめえを抱きてえばつかりに、だ。――どつちだい?
声 こつちよ。――それ、そんなに薄情なんだからね。――そんな事言つてゐても、お前さん、直ぐ眠つてしまふ奴さ。
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シーンとする。
六畳の障子が奥から開いて、頬に傷跡のある杉山の顔だけがヌツと出る。何かを捜す様に室の中をヂロヂロ見廻した後、引込む。
階下の騒ぎ。
汽笛の音。
再び奥から覗く杉山の顔。ズツと室へ入つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
杉山 おい。
沢子 え? あ、杉山さん。
杉山 沢ちやんだつたか。――おい、何処にゐるんだい。なには?
沢子 何が?
杉山 早く言つてくれよ。知らない振りをしたつて駄目だぜ、何処に隠してあるんだい。
沢子 何を言つてゐるんだか、私にや解らないわ。
杉山 白つばくれるなよ。俺は知つてゐるんだぜ、何もかも。
沢子 だつて、あんた、何の事だか――。
杉山 まだそんな事を言ふのか、俺は――。
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足音がして、少し乱れた着物をして、手に何か持ちながら、お秋が入つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
お秋 あゝあ、やつと寝ちまやがつた。――沢ちやん、あんた、これ食べない(手に持つたものを置かうとして、杉山を見る)おや!
杉山 お秋さん、久し振りだなあ。相変らず全盛だね。
お秋 ま、杉山さん。(間)ほんとに久し振りねえ。どうしたの? あれ以来、スツカリお見限りね。現金なもんだわ。
杉山 さうでも無いさ。
お秋 そして今夜は? どうして又?
杉山 わかつてゐるぢや無いか。
お秋 しかし、沢ちやんは駄目だし、私だけよ。こんなお婆さん。
杉山 そんな事ぢや無えさ。
お秋 だつてお前さん――。
杉山 何を言つてやがるんだ。――白つばくれるのもいゝ加減にしなよ。
お秋 おやおや、何の事なの一体?
杉山 その手を食ふか! 初子を出しなよ。初子を返してくれ。(ドツカリ坐る)返してくれるまで俺は此処で待つてゐるよ。
お秋 え、初ちやん? 変だねえ。初ちやんはあの時、チヤンとあんな話になつて町田さんとこに居るんぢや無いの? お前さんだつて今更――。
杉山 へ、何を言つてやがるんだ。――初子は町田さんとこにや昨日から居ないんだ。此処にゐるんだ。此処に来てゐるんだ。それを知らねえと思つてゐるのか。
お秋 へえ? どうしてまた、そんな?
杉山 どうしてもかうしても無いよ。文句を言はずに出してくれよ。
お秋 町田さんと喧嘩でもしたの?
杉山 そんな事、俺は知らんよ。
お秋 だつて、変ぢやないか。
杉山 変でも、何でも、彼奴、昨日町田んとこを飛出したなあ本当なんだ。
お秋 しかし初ちやんは此の家にや来てゐないわよ。私達、そんな話も聞かないんだもの、ねえ沢ちやん。
杉山 (信じない)何を言つてやがるんだ。
お秋 しかし、ねえ杉山さん。よしんば、初ちやんが此処に来てゐたつて、あんたとはスツパリになつてゐるんだし、何もそんなに言ふ事は無いぢやないの?
杉山 彼奴は俺んとこへ来たがつてゐるんだ。綺麗に出してくれりや、だから、文句は無いんだ。
お秋 そんな無茶を言つたつて、――杉山さん、お前さん、あれからも初ちやんや町田さんとこへチヨイチヨイ行つたんだね?――そして又金でも出さしてゐたんぢや無いの? さうぢや無いの?
杉山 ――そんな事、俺が知るもんかね。
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短い間。
[#ここで字下げ終わり]
お秋 ――そんなことだらうと思つてゐたわ。――しかし本当に此処には来てゐないのよ。あれ以来一度だつて来やしないわ。おかみさんに訊ねたつて、コツクさんに聞いたつていゝわよ。
杉山 みんなグルになつてゐやがるんだ。そんな手に乗るかい!
お秋 そんな、人が本当に言ふ事をいつまでも疑《うたぐ》るんだつたら、どうするの?
杉山 どうするつて? さうさ、此処で待つてゐるんだ。一日でも二日でも一ヶ月でも此処に坐つて待つよ。俺は彼奴を取返さねえぢや置かないんだ。
お秋 お前さんも変な人だわねえ。思ひ切りの悪い。――お前さん、お前さんだつて浜では相当鳴らした――。
杉山 大きなお世話だ。だからどうしたつて言ふんだ? ――だから俺や、変に隠し立てをすりや、何でもやるぜ。初子だつて町田だつて、変に立廻りや唯ぢや置かねえんだ。人を馬鹿にしやがつて!
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間。
[#ここで字下げ終わり]
お秋 ――ぢや、此処に待つてゐるがいゝわ。私は嘘を言つてゐるんぢや無いんだから。
杉山 嘘をつきや、お前だつて、俺は――。
お秋 さう。――大変だわねえ。――沢ちやん、これ食べない、おいしいのよ。
沢子 えゝ、ありがと。
お秋 お食べよ。
声 (階下から男の酔つた)秋ちやん! おーい、秋ちやん、何をしてゐるんだ? 秋ちやん!
お秋 杉山さん、本当にあんた待つてるの?
杉山 あゝ、お邪魔をさして貰ふよ。
お秋 ぢや勝手になさいな。別に邪魔にもならないわ。(出て、階下へ去る)
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間。
杉山、沢子をヂロヂロ見てゐる。
汽笛の音。
[#ここで字下げ終わり]
杉山 ――沢ちやん、お前どつか悪いのか?
沢子 えゝ――。
杉山 お客は取らずか?
沢子 えゝ――。
[#ここから2字下げ]
間。
[#ここで字下げ終わり]
杉山 綺麗だなあ、お前は。
沢子 ――そつちに居て下さい。
杉山 寂しいだらう?
沢子 ――何をするの? 何をするの?
杉山 ま、さう言ふなよ。何も別に、おめえ――。いゝぢやないか。――さう言ふなよ。
沢子 何をするの? 私、おかみさんを呼んでよ。秋ちやんを呼んでよ。秋ちやん――。
杉山 さう言ふなよ。俺、何もしやあしないぢや無いか別に何も――。(煙草を出して火をつける)
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階下の騒ぎ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]――幕――


(二)[#「(二)」は縦中横] 階下の酒場


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少し淋しい位に広い。所々に置いてある安物の椅子テーブル。右奥に階段の昇り口。四五人のお客とお秋――今迄食ひ酔つてワイワイ騒いでゐたのがヒヨイと静かになつた所。正面の入口の所の外―舞台奥―からヒシヒシと詰めかけて入らうとする十人ばかりの仲仕達。
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客一 何だ、何だ?
客二 どうしたつてんだい?
お秋 どうしたの、まあおはいんなさいよ。どうしたんですよ。
仲仕二 出せよ。おいお秋、出せよ、そんな白ばくれなくたつて!
仲仕四 早く出せよ、出して呉れよ。
仲仕五 電報だ。電報が来たんだ。本部から来たんだ。早く出してくれ。阪井さんが居なきや、どうにもならないんだ。
仲仕六 秋べえ、早く呼んで来てくれ。
お秋 どうしたのさ? 何を出すの?
仲仕一 阪井だよ。阪井を出してくれ。
お秋 阪井さん? 阪井さんがどうかしたの?
仲仕二 今、阪井がゐなければ、どうにも無らないんだ。あの男でなければ誰にもどうにも出来ない事が起きたんだ。
お秋 阪井さんは合宿の方にゐるんぢや無いの?
仲仕一 ぢや此処には来てゐないのかい?
お秋 来てゐないのかつて、阪井さんは一昨日《おととい》来たつきり此処へは来やしないのよ。あんた達にわからないものが、私にわかる筈は無いぢやないの。
仲仕五六 うそつけえ! 色女!
お秋 ま、何を言つてゐるのよ、本当よ。阪井さんは此処にや来てはゐないわ。うそだと思つたら二階に行つて捜したつていゝわ。
仲仕一 さうか、そいつは困つたなあ。何処に行つちまつたんだらう。なあにね、今朝だ、みんな浜のあれで気が立つてゐるんだらう。阪井が止せと言つても聞かないで、船の連中と喧嘩をしちまつたんだ。そのほかにも阪井の言ふ事に耳をくれなかつたものだから、阪井が合宿を出て行つちまつたんだ。なんでも朝鮮の方へ行くんだとか言つたさうだけど。
お秋 え、朝鮮へ!
仲仕一 しかし、船はみんな動かねえんだし、まだ立つちまう訳は無えんだけれど――とにかくこいつあ困つたなあ。
仲仕二 困つたつてお前、彼奴が居なけりや、おさまりが附かねえんだ。ほかを捜さうぢや無えか。早くしねえと大変なことになつちまわあ。
仲仕一 さうだ。ぢや行くか。――でねお秋さん、後でもし阪井が此処へやつて来たら、さう言つてくんねえか。俺達が捜してゐたつてね。組合の方へ直ぐ来てくれつて、山《やま》三の親父も待つてゐるつてね。さう言つてくれ、頼むぜ。
お秋 えゝ、言つとくわ。言つとくにや言つとくけど、まあ一杯休んで行つたら。
仲仕一 さうしちや居られないんだ。ぢや頼んだよ。
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仲仕達立去る。
[#ここで字下げ終わり]
客一 どうしたんだい。一体?
客二 なあに、浜の方の騒ぎさ、それ、方々の船の連中が、いよいよストライキであらかた下船しちまつたらう。あれさ。
客一 だつてお前、そりや船の連中だらう。今のは仲仕組合のもんだぜ。どうしたんだね。話がわからねえぢやないか。
客三 それはね、船が動かなくなりや仲仕の仕事が無くなる、船でストライキなんかやつて貰つちや五百人からの仲仕は飯の食ひ上げだつてんでね、切りくづしで夢中になつてゐるんですよ。それが嵩じて仲仕が海員協会へなぐり込みをやつたんだ。
お秋 けが人が随分出たつてねえ。
客三 さうだよ、協会にゐる山海丸《さんかいまる》に乗つてゐる男を私は一人知つてゐるがね、そいつも側杖を食つて(頭の横を押へて)こゝんとこをやられてね。なにしろ表から見たが、玄関のとこのはめ板が真赤になつてゐらあ。
客二 そいつあしかし解らねえ話ぢやないか、仲仕だつて労働者ぢや無いか。船の連中がせつかくこゝまでこぎつけたものを、なにも。
客一 それよ、――だけど一番大事なのは誰にしても自分の鼻の下だからな、無理も無えて。
客三 いや、そりや組合の中にだつて、ちつたあ骨の固い者はゐますよ。現に、仲仕の方もストライキに入つて一所にやらなきやいかんと言ひ張つた連中もゐたさうですよ。片腕の、それ、何と言つ
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