み合い、親しみ合いながら、お互いの中へ深くは踏み込んで行く人は無いので、平凡ながら、おだやか過ぎる程におだやかな暮しだ。ギラギラする幸福を持った人は一人も居ないが、落ちついた平和な空気がここには有る。今の世の中では幸福な人たちだと言えるかも知れない。そうだ、たしかに今となっては、これは幸福なのだ。毎日の夕食だけは、一階の食堂で、女の人たちの作ったものを、一同寄り集まって食べることになっている。今日も間も無く、それの知らせの鈴が鳴るだろう。
すっかりもう暗くなってしまった。窓の向うの空だけが明るい。三味線の音も、やんだ。
2 食堂
房代 さあ出来た。
織子 ひい、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここのつ。
房代 みんな居るかな?
織子 内の省三がまだだけど、間もなく帰って来ます。
房代 アルバイト?
織子 そう。大学生があなた、講義に出るのが一週二日で、あと四日はアルバイトで稼いでんだから、変なもんね。はい、お箸。
房代 モモちゃん、どこかしら? また塔に登ってるかな。
織子 連れに行って来ましょうか?
房代 でも、下手にあの子の世話を焼くと柳子さんに睨まれちゃう。
織子 そう言えば、三味線やんだから、柳子さん、塔の方へ迎えに行ってらっしゃるかも知れない。房代さんのお父さん、お帰りんなった?
房代 ええ。上で帳簿をしている。セロリ、もう少し切るかな?
織子 こいでたくさんじゃない? 食べるのは内の舟木と三階の先生だけなんだから。
房代 ……先生の所には、今日もお客さん見えたんですの?
織子 さあ、一人二人、声はしていたようだったわ。
房代 どうしてあんなに若いそれも女の人たちまでチョイチョイ来るんでしょ?
織子 いろんな事を聞きにくるんじゃないかしら。それとも、フフ、奥さん亡くなった後なんで、その後釜をねらって押しかけて来るのかな?
房代 あら、あんな人――あんな、怖いみたいな?
織子 怖いは、よかったわね。
房代 でもさ、あの方が、黙っている時の眼をヒョイと見て、この人すこし気が変じゃないかしらと思う事があるわ、私。
織子 そう言えばそうね。普通の人とは、どっかちがっている。……でも良い人よ。
房代 御飯よそっときましょうか?
織子 みなさんおいでんなってからの方がよくはない? ええと……これで、なにね、こうして仕度をしてしまって見渡して見ると、たった二品か三品の御馳走だけど、戦争の直ぐあとは勿論だけど、これで去年あたりと較べても、まるで夢のようね。
房代 それはそうですわね。材料だけから言っても、三四年前には手も出なかった物ばかり。
織子 それを思うと、あたしなぞいろんな事思い出して泣きたくなる。なんだかだと言っていても、すべてが良くなって来ているのねえ。
浮山 (シャツ姿で入って来る。手に三四枚の夕刊新聞)良くなって来た? なにがです? ……や、こりゃ御馳走が出来たな。
織子 いえ、その御馳走がですの。たかが手作りの惣菜料理なんですけどさ、二三年前の思いで見ると、まるで豪華と言ってよいか。
浮山 そら、そうだ。戦争中から終戦直後など、大豆しか無かったんだから。金も無いにゃ無かったが、たとえ有っても肉も魚も手には入らなかったんですからね。思い出すとゾッとする。
織子 うなされていたような気がしますわね、あの時分のこと考えると。それがしかし、又ぞろ再軍備だとか徴兵だとか、あっちでもこっちでも又々おかしな調子になって来てるんですからね、人間なんてホントにまあ……。
浮山 死んで亡びるまで、又しても又しても、うなされるのが人間かも知れませんね。仕方が無い。
織子 仕方が無いで諦めていられれば、なんですけどさ――
房代 鈴を鳴らすわよ。せっかくの御馳走が冷めちまう。
浮山 よしよし私が――(棚の上の大きい鈴を取って振り鳴らす。古雅な音が家中に反響して、遠くへ消える。……その反響の先きから笛の音が起きる。笛は単調な二節ほどを長く引いて近づく)
房代 ああ、モモちゃん、来た。(その方角に附いているドアを開けてやる)
織子 さあてと。(電燈のスイッチを入れる。そこらが目がさめたように明るくなり、大テーブルにすっかりととのえられて並べられた食物や食器が華やいで光る)今ごろになると、もうスッカリ暗くなる。外はあんなに明るいのに。
浮山 いや、外も、もう明るいのは空だけだ。
若宮 よう。……(言いながら、房代の開けたドアからセカセカと入って来る。手に小さいソロバンと手帳)いつもより遅いなあ今夜は。(言いながら正面の一番良い席の椅子にかける。浮山は夕刊を開く)
房代 お父さん、自分がいつもより早く帰って来たもんだから、あんなこと言って。
若宮 そうかな。……(卓上をジロジロ見まわして)よう、フライか。一杯いかざるを得ずと言うとこだ
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