こんな郊外の不自由な家に? 広島のお姿さんが死ぬのを待っているんじゃないんですか?
舟木 なにい? (立ちかける)
織子 あなた!
省三 ヘヘ! (笑いながらスタスタと室を出て行く)
8 私の室
私 いや、そう問いつめられても、正直、僕にはわからない。そりゃ、第三の道と言うのは在るような気はする。少くとも在り得るとは思う。しかし、現在、僕が駄目になっているんだ。積極的に、この、生きると言う事が、どうにも考えられなくなっている。そんな人間がただ観念だけの問題として、つまり自分が生きると言う場から離れた思想として第三の道などを言って見たって、しょうがない。つまり今の僕には実はそんな事興味が無いんだ。わからんとしか言えない。
省三 しかしですねえ、こないだ朝鮮問題を此処で話していた時――たしか須永君なども一緒にいた時ですよ。ええと、須永君どうしました? もう帰ったんですか?
私 いや、二階で花引いてるようだった。
省三 ……つまり二十五時の問題と言いますかね、あれを話した時に、あなた言ったじゃありませんか。朝鮮で起きている事は本質的には日本でも既に起きている。目には見えないが三十八度線は日本内地にも引かれている。それを境目にして、その向う側の第一の勢力と此方側の第二の勢力の対立の中間には実際的にはどんな立場も存在し得ない。そこまでは、あなた認めましたね?
私 三十八度線は線だからね。線には幅は無い。その上に人は立てない。そこに立とうとした、立って南北朝鮮を妥協させ統一に導びこうとした金九などは、その瞬間に殺された。生きておれないんだな。……そう認めたよ。
省三 認めといて、そいで第三の道、つまり、線の上に立てと言うんですか? すると、死ねという事を言ってるんですね?
私 いや、死ねだなんて、そんな――だから私には答えられないと言ってるじゃないか。ただね、どういうわけだか、自分でもハッキリ言えんが、僕が一番注目し、大事に思い、尊敬するのは、金日成でもなければ李承晩でもない。殺された金九だ、日本の国内を眺めても同じ事が言える。徳田球一も吉田茂も、私には、もう何かの影ぼうしのように見える。両方とも私には退屈だよ。そいで、いつかほら、両方の側から痛めつけられて自殺した菅季治、あの人の事は忘れられない。時々、夢に見るよ。尊敬すると言っては当らないんだなあ。大切な人なんだ僕にとって。
省三 あんな、しかし病的な神経過敏と言うか――あんな人は唯単に両勢力の摩擦の間にとびこんだ虫みたいなもんで、摩擦に耐えきれなかったと言うだけだ。この現実中で生きて行く資格は無いですよ、気の毒じゃあるけど、ハッキリ言うと軽蔑するな。
私 君たちにあの人を軽蔑する事はできんよ。あの人が一番美しいさ。……僕は今になっても菅季治の姿をズーッと見つづけている。その中に、大事なことが全部ふくまれているような気がする。
省三 だからですよ、だから、それは何ですと聞いているんですよ。その大事な事と言うのは、何なんです?
私 わからない。……いや、説明すれば或る程度まで理論的には説明できない事はない。しかしそんな事をしても仕方がない。特に今の僕には、それは出来ない。
省三 やっぱり、すると、はじめから立てないとわかっている線の上に立って、トタンに死ねと先生は言ってるだけなんだ。
私 そういう事になるかな。……しかし、それで何が悪いかね? ……ただ、生きていると言う事が、それだけが、どうしてそれほど重大なんだろう?
省三 それが重大だからこそ、自分に取っても全体にとっても、生きよう、より良く生き抜こうと思えばこそ、こうやって自分の血液まで売ったりして闘っているんじゃないですか!
私 そうなんだ。君のその言葉の中にだって、生きようと思えばこそ死にもの狂いに――なんと、生きようと死にもの――死だ。……おかしなもんだなあ、人間なんて。
省三 ……(ニヤリとして)奥さんに死なれた事が、そんなに、あなたにこたえたんですかね?
私 え? ……(びっくりして相手をしげしげと見ていた末に、乾いた、ほとんど明るいと言える笑声をだす)ハハ、そうさ、そうかも知れんね、フフ。……とにかく、どうも僕など、もう、個々人の生死の問題、つまり自分がどう生きてどう死ぬかと言う、つまり言えば生命観と言うか――そんなものと切り離すことの出来るような形では、社会革命の事にしろ戦争の事にしろ、もう考える事が出来なくなって来た事は事実のようだね。
省三 そりゃ、そうですよ。そうなんですもの。第一、あなたの奥さんが亡くなられたのは――その病気になられたのは身体の弱いのを無理して組合運動や方々のストライキの応援に歩かれたと言うのが直接の原因だそうじゃないですか? 兄が言ってましたよ。
私 うん、そう。
省三 だからで
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