せん。
織子 逆です、それは。あなたが、お礼も出せないほど貧乏だったから、舟木は奥さんの手当てに夢中になったんです。小さい時分から青年時代へかけて非常に貧乏な家に育ったために、貧乏な人には病的な位に同情するんです。サナトリアムのこともそこから来ていますし、或る意味で省三さんより激しい貧乏人の味方かもしれません。現われ方がちがうだけです。そういう人なんです。もちろん、あなたや亡くなった奥さんが好きで、好意持っていたからではあるんですけど、もしお宅がお金持だったら舟木はあれほど熱心にはならなかったでしょう。そう言う人間です。私は十年近く舟木に連れ添っています。腹の底から舟木を知っています。
私 …………しかし――(次第に恐怖が全身を占めて来て、手に持ったシガレットを吸うのを忘れて、遠くの闇を見つめている額に冷たい汗がにじみ出て来ている)
織子 どうにかして下さい! 舟木にあなたから、そうおっしゃって、此処から、どこかへ――今夜にでも、舟木を御一緒にどこかへ連れ出しでもして下さるか――私、ズーッと自分の部屋で今まで祈っていましたけれど、今夜は、どうしても私、神さまが見えて来ないのです。見失ってしまいました。気が変になりそうですの。……ほかに仕方が無いので、こうしてお願いするんです。おすがり出来るのは、もう、あなたしか有りません。
私 そう言われても、私にも、どうしてよいか、まるでわからない……。
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(そこへ、ワンピースの胸の所をビリビリに裂かれて、ミゾオチの辺まで見える取り乱した姿の房代が、おびえ切ってソワソワと、背後の闇を振り返りながら入って来る。そこにある椅子にドシンと突き当る)
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房代 あっ! (自分でおびえて叫ぶ)
私 どうしたんです?
房代 あたし、怖い!
織子 ど、どうなすったの? どうなすって、その服?
房代 ああ、織子さん! (と抱き附くようにすり寄って)どうにかしてちょうだい。怖いの! (ふるえている)
私 ……須永が、じゃ、あんたに、何か――?
房代 もっと殺さなきゃならないと言うんです。私の父も殺してやるとそう言って――
私 ……え? 若宮さんを? どうして?
房代 どうしてだか、わからない。毒虫だと言うんです。この世の中の毒虫は全部殺してしまえ、俺が殺してやる。……かと思うと、たしかに殺したのは自分だと言うの。ズーッと殺そうと思っていたのだから、確かに自分が殺したのだ。おれたちを圧迫し、植民地化しようとする奴等を全部殺せ。殺さなければ奴等がおれたちを、しめ殺す。全体、どんなわけが有って、お前たちは原子爆弾を最初に日本に落したのだ? そんな事をしなくても、あの頃すでに日本は戦争を続ける力を失ってしまっていて、捨てて置いても間もなく降伏するばかりになっていた、のに、どうして、どんな理由であんな悪魔の爆弾を広島・長崎に落したのだ! そう言ってわめいて、そして、その、そいつらと一緒に寝ているのが貴様だ! その恥知らずがお前だ! そう言って私の首をしめにかかるの!
私 ……須永が、あなたを?
房代 え、須永さん――?
私 ですから――
房代 いえ、省三さんです。
私 ……ああ。
織子 でも、省三があなたに対して、そんな失礼な――どうしたんでしょう?
房代 まるでもう、いつもと違うんです。気が変になったんじゃないかしら?
私 須永を見ているうちに、自分の内に眠っていたものが、省三君の中で眼をさました。……省三君だけではない、みんながそうだ。
房代 どうしたんでしょうホントに? なんか、とんでもない、恐ろしい事が起きるのじゃないかしら? 怖いわ私! (織子に抱きつく)モモちゃん、どこかしら? あの子だけだわ、いつもと変らないのは。
織子 (私に)どうすればいいんですの、私たち? 言って下さい。どうすれば――
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(そこへ舟木がノッソリ入って来る。手に注射器の入ったケースと幾種類もの注射薬の入った小箱をわしづかみにして持っている。態度は落着いているが眼だけは異様に光っている)
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私 ああ、舟木さん。
舟木 ……(ジロリと三人を見まわして)須永をどうします?
私 ……しかたがない、警察にそう言ってやらなくちゃなるまいと――
舟木 そう。今頃はもうあんたの事がわかって、この家に対して手配が附いているかも知れない。とにかく、早くなんとか処置しなければ、この家の中でロクな事は起きない。柳子さんの様子など、少しおかしい。
私 おかしいと言うと?
舟木 あんたも気が附いているだろう、かねてあの人にはプシコパチヤ・セクシュリアスが有る。大きなショックがあると、変な分裂が起きて、それが元へ戻らなくなる事があり得る。少し鎮静させてやろうと思って、これを―
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