私 須永を? だって、あれは、ただ――
織子 あの方を見ていると、なにか、地獄へひきずりこまれるような気がします。……いえ、反対に、あの、地獄の中へ降りて来た天使を見ているような気もします。
私 それは、だけど、あなたはクリスチャンだから、そんな風に思われるかも知れませんが、あれは、つまりが犯罪者で――
織子 いえ、それだけではありません。舟木もそうなんです。舟木は、どういうんですか、さっきからしきりと薬品棚の劇毒剤の整理をはじめています。今まで夜中にあんな事したことは無いのです。……恐ろしいのです私。
私 ……ふむ。
織子 ですから私、さっき、もうこんな家など、どうでもいいから打っちゃっといて、明日からでも、どっか引越してしまいましょうと言いますと、舟木は何も言わないで私を睨みつけたまま、手を休めようとはしません。このままで居ると、今夜何がはじまるか、わからないような気がします。
私 しかし私には、知り合ってからまだ日は浅いが、舟木君がそんな事を考えている人だとは思えません。
織子 私も永いこと疑いながら、そうは思いきれませんでした。しかし近頃では、そうとしか思えなくなったのです。それに舟木には舟木としての信念、と言いますか、医者としての、舟木の側から言わせると正しい考えから出発している事らしいのです。この家屋敷が自分の自由になったら、此処に大きな新式のサナトリアムを建てると言うのです。そして貧乏な人達を相手に実費診療の事業を始めると言うのです。大学の助教授をよした時から舟木の持っている理想なのです。つまりあの人の夢です。実は、その舟木の夢の美しさに引かれて、私は、あの人と結婚したようなものです。……そいで、舟木は、その話を此処の伯父さん――つまり、亡くなった此の家の御主人――その人の、またいとこだかの子供が舟木ですから、ホントの続きがらは、どう言えばいいんでしょうか、とにかくほんの少しばかり血のつながりがあります――伯父さんに話したらしいのです。その伯父さん言うのが又、えらい役人でいながら、どこか神がかりみたいな、理想肌の方だったそうで、舟木のそう言う話にひどく共鳴して、むしろ焚きつけたらしいのです。いよいよサナトリアムを始める時には、此の邸宅全部を提供すると言ったらしいのです。その事を書いた伯父さんからの手紙も舟木持っています。舟木には、それだけの理由があるのです。舟木はそして恐ろしい程意志の強い人間です。自分の夢、自分の理想を実現するためには、どんな事でもやりかねないのです。しかも自分のやろうとする事は、社会的に絶対に正しいと思いこんでいます。その正しい事を妨げる者は、みんな悪い。そうでなくても、広島で寝ている伯母さんや、柳子さんや若宮さんや浮山さんなど、世の中にとって、まるで有害無益の人たちだと言うのです。虫けら同然だと言うのです。犯罪にさえならなければ、みんな殺してしまっても差しつかえないんだと言ってた事があります。……自分の夢を実現するためには、そこまで思いこんでしまう人です。そういう点、ああして弟の省三さんとは始終議論して真反対のようですけど、それは現われ方が違うだけで、省三さんはああして政治的なことで、まるで気ちがいのように夢中になっている、舟木はそのサナトリアムの夢にとりつかれている――やっぱり兄弟なんです。
私 それは、しかし――夢は誰にも有ることで、そのために人を殺しでもしたいと思うことは有っても、実際に於て殺しはしないのですから――
織子 それがホントに殺すんじゃないかしらんと、今夜チラッと、そんな気がしたんです、舟木を見ていましたら。いえ、須永さんを見ていたら、と言った方がいいかしら。とにかく、そんな気が私、したんです。
私 誰をです? 誰を殺す――?
織子 誰かわかりません。今夜の舟木の眼を見て下さい。須永さんは、やさしい眼をなすっていますのに、舟木は恐ろしい眼をしています。
私 ……それは、しかし、あなたの敏感な、クリスチャンらしい一種の――幻想というか、いや、今夜のここの空気がいけない。須永が、来たのが、いけない。なんとかしますよ直ぐ。――とにかく、そんな事におびやかされたあなたの神経、つまり一時的なヒステリイが描き出した幻想ですよ。舟木君のような冷静な科学者が、そんな――
織子 いえ、まるで冷静に落ちついて、どんな事でも出来る人なんですの、舟木は。しなければならないとなったら、落ちつきはらって、私たち全部でも、夕飯の中にストリキニーネを入れて毒殺してしまえる人です。
私 僕は人格的に言っても舟木君がそんな人だとは信じられません。仮りにもそんな人が、ロクにお礼もあげない、あげられない事のわかっている僕んとこの、死んだ家内の治療に、あんなにけんしん的に、あんな遠い所へ通って来てくれる筈がありま
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