いだけの物が此の内に入つて来るんなら、何もツノメ立つ事は無いぢやないか。
彦六 ハハ、鉄造さんとの約束を忘れちや、苦情が出るぜ。今度此処に出来る食堂で鉄さんは酒場の方をやるし、お前は女給の監督になるやうに、チヤンと話が出来てゐるさうぢやないか。
鉄造 そ、そんな、旦那、そりやあなた――
彦一 階下の女給さんも監督にして貰ふ約束だつて言つてたぜ。監督が一度に二人出来るわけか。
白木 さう言ふ事よりも、ねえ正宗さん、あんたは、松田の方では金がうなつてゐるとでも思つてるから、癇も立つんだ。ところがどうして/\遊んでゐる金なんて今時あるわけのものぢや無い。地代の値上げもあり、あれやこれやで積つてみると、みすみす一日にど偉い金が消えて行くんだ。松田のオヤヂさん、日に二度も三度も私の方にやつて来ては、泣いてゐる始末ですぜ。
彦六 そつちは泣きや済むかも知れないが、此方は直ぐに命にかかはる事だからね。
白木 ですからさ、チヤンとそれだけの事はしてあるんだ。ねえ!
彦六 私やそれでもいい。だが、叩き出された十一軒の家がそれでは済むまいよ。よしんば、みんながそれで泣寝入りになるとしても、正宗彦六が通さないんだ!
白木 ふざけるなつ! 綺麗な面をして今迄の分を倍にして五千円払へだと? へん! 誰のフトコロに入る金だか解るかい。
彦六 金がそつちの物なら家は此方の物だ。
白木 家賃だつてロクに入れて無い癖に!
彦六 貴公、いつから此の家の差配までするやうになつたんだい?
白木 こ、こ、この……(掴み掛らうとする)
彦一 おい/\、乙なまねをするなよ。
彦六 こつちは御覧のやうなテイタラクだ。叩つ殺されてもヘドが出る位のもんだらう。
白木 ぢや今迄にそちらに渡した分の金はどうなるんだ?
彦六 どうにもなりはしないよ。そちらでは渡したから受取つたまでのことさ。
白木 仕方が無い。そつちがさういふ気なら、こつちも考へはある。
彦一 だからどうだつてことよ。
白木 (彦一に)昔はなんだか知らねえが、お前さんが、与太もん仲間で売つてゐた頃とは、新宿も大分様子が違つてゐるからね。あとで、ホエ面をかかない様にするがいいぜ。(トツトと出て行く)
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間――青くなつた鉄造口をモガモガさせて立つて居たが、薄気味悪くなり、白木の後を追つて去る。
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お辻 ……(彦一に)あんな事を白木さんに言つて貰つちや困るぢやありませんか!
彦一 悪かつたかねえ?
お辻 不意に帰つて来て、事情もなんにも知らない癖して、何だよ、ほんとに……
ミル 兄さん、もう何処へも行つちやいけないよ。
彦一 いや、俺あチヨツト寄つて見ただけだ。さういふわけにやいかねえ。
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お辻、小走りに階下へ去る。あと親子三人、互ひに見合つてゐる。――間――
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彦一 父つあん……随分久しぶりだなあ。
彦六 (噛みつくように)どつからうせやがつた?
彦一 ひでえ事になつたもんだ。ハハ、どつか悪いのか?
彦六 貴様、又この辺をウロ/\してゐやがると、向ふずねを叩き折つてやるぞ。(足を踏みしめて立つて来る)
彦一 だが、よくこれまで頑張つたねえ。
彦六 利いた風な頤をたたくかつ! 貴様、この家の事件をどこかで聞きこんで、一口割込まうと思つて来やがつたんだらう。
彦一 何を云ふんだ! 俺あ、宵の中に府中から出て来たんだが、何だかバツが悪くて階下でマゴマゴ待つてゐる間に、はじめて話を聞いたんだ。
彦六 何を出鱈目言ひやがる、出来そくないめ!
ミル ……兄さん、なぜもつと早く帰つて来なかつたの?
彦一 あんな、薄ぎたない阿女[#「阿女」に「ママ」の注記]に、おふくろ面をされてゐる家に帰つて来られるか。
彦六 なにを! 不良狩りに引つかかりさうになつて、ずらかつたくせしやがつて!
彦一 それもあつたさ。……だが、もともと俺がグレはじめたのは、お父つあんの女狂ひのせゐだぜ。
彦六 それがどうした? 私あ、助平だよ。
彦一 おつ母さん施療院で死んぢまつた時のことだ。「お父つあんは、ソツとしてお置きよ、あの人はツムジを曲げ出すと、自分で自分の了見が解らなくなつてしまふ。本当は、お父つあんは、私の事を心から思つてくれてゐるんだけど、ただ性《たち》であんな事になるんだ」つて、さういつたよ。そんな時のおつ母さんの顔が俺の眼から離れなかつたんだ。
彦六 へん、なにを世迷言ぬかしやがるんだ。
彦一 可愛いい女房が病気になつてさ、金が無くなつて施療院でノタレ死をした。それがしやくに障つたからつて、バクチ打つ、女狂ひを始めるなんて、筋が違い過ぎてるぢやないか。
彦六 ぢや、オヤヂの女が気に喰はねえからつていふんで八つ当りにほかの奴を斬つてさ、土地を売つたのは筋が違つてゐないのか。(息子も父も思はずニヤニヤ笑ひ出す)ときに、お前、今なにをしてゐるんだ。
彦一 なに、土方みたいな事だよ。
彦六 府中でか?
彦一 府中は家だけで、あつちこつちの現場を歩き廻つてゐるよ。方々行くが、大体三多摩一帯だ。
彦六 ほう、あの辺なら私も二十歳前後によくあばれて廻つたところだ。三多摩の自由党は威勢のいい奴が揃つてゐたからなあ。さうか。(自由党時代の事を思ひ出して身内が熱して来るらしい)当時、貧乏党、共和党と云ふのが有つてな、共和党万歳など書いたムシロ旗を立てて、あの辺の寺を押し廻つちや、藩閥政府ぶつ倒せの演説をして歩いたもんだ。その刀もそんときの名残りだよ。
彦一 昔からあの辺には、そんな気風があつたんだね。
彦六 昔からと云ふと、今でもあるのか?
彦一 うん、そりや自由党たあわけが違ふが、元気な仲間がゐるよ。
彦六 仲間と云ふのはなんだつ!
彦一 仲間だよ。貧乏だけど、みんな生きの良い連中だ。人は土方々々と馬鹿にするが、義理堅えし、善い事は善い、悪い事は悪いで、一旦仲間同士でかうと決つたら、グツともする事ぢやない。
彦六 ぢやなにか、ムシロ旗か?
彦一 さうだなあ、まあ、そんなもんかなあ。
彦六 さうか三多摩にや今でもそんなのがゐるのか。……しかしあの辺は、近頃、朝鮮の人間が多いさうぢやないか?
彦一 多いよ、だが大体が同じやうに働らいてゐりや、鮮人も内地人もあつたもんぢや無え、現に、大阪の玉造辺でゴロ/\してゐた俺をしよぴくやうにして此方へ連れて来て二年近く、附きに附いて俺の性根を叩き直してくれた男が鮮人だ。こいつは偉い男だよ。
彦六 へえ、そんな事があつたのか?
彦一 二人で東海道を歩いて上つて来る途中、ロクに飯が食えねえもんだから、俺がへたばる――
ミル まあ、東海道を歩いて?
彦一 すると其奴が俺をおぶつて呉れるんだ。まるで仏さま見てえな男だ。俺あ彼奴の背中で何度泣いたか知れない。そん時のおかげで俺あ地道に働ける人間になつたんだよ。
彦六 ふーん、……さうか……
彦一 どうだ、とつつあん、ここを引きはらつて、おれ達のとこへ一緒に来ちや。こいだけトコトン迄やり通しや、もういいぢやないか、第一無駄だ。
彦六 なに? 無駄だ? おれのしてゐる事が何で無駄だ?
彦一 だつて、外の連中は父つあんだけほつぽり出して行つちまつたぢやないか? かうしてゐたところで斬り死にするようなもんだ。
彦六 お前なにか、私に説教する気か?
彦一 おれ達の仲間なら、一人をうつちやつといて逃げ出したりはしないと言つてる迄だよ。第一働いて暮すにしたつて、同じやうに働く人間の仲間で暮すんでなきあ、泣くも笑ふも面白い事があるもんか。父つあんの自由党だつてその辺は同じ事だつたらうぢやないか。
彦六 なにをいやがる。
彦一 さうぢやないか。父つあんが、つむじ曲りになつたのも自由党以来の父つあんの了見を誰も解つてやらうとしなかつたからだ。俺が昔ゴロになつちまつたのも、俺の心持を知つてくれるのがわきにゐなかつたからだ。一人ぼつちになりや、人間曲るより他に法はねえよ、俺だつて父つあんの子だい。……そりや俺達あいつも不自由だらけだがこんなところで、ろくでもねえ連中を相手にしてゐるよりや、まだいくらかましだ。楽ぢやねえか、ホントの暮しがあるよ。生きるも死ぬのも一緒だ。仲間の骨は仲間が拾うんだぜ。
彦六 仲間の骨は仲間が拾ふか、……フン、そいで此の家はどうするんだ?
彦一 うつちやつとけばいいよ。
ミル へーん、私はどうすんの? 私、劇場のダンサーしてんのよ。ウンと勉強して、今に日本一の女優さんになるつもりなんだから絶対に劇場はよさないわよ。
彦一 電車で通へばいいよ。日本一にでも世界一にでもなるさ。だが、千代も大きくなつたもんだな、もう立派なモダンガールぢやないか。
彦六 さうさ、もうチヤンとお婿さんの見当まで付いてゐるよ、なあ、お千代?
ミル うゝん、いやツ! いーだ。
彦一 さうか、そいつはいい。
彦六 ときに、お前まだ一人か?
彦一 五日前に赤んぼが生れちまつた。
彦六 赤んぼ? 誰の赤んぼだ?
彦一 俺んだよ。
ミル へーん、ぢや、おかみさん貰つたの、兄さん?
彦一 一年前から世帯を持つてゐるんだよ、男の子だ。
彦六 へえ、私に孫が出来たわけか、こいつは笑はせる。なんて名前だ。
彦一 名前はまだ無えんだよ。なんだか変てこで仕様が無いんだ。
ミル そんなの無いわよ、あたりまへぢやないの、馬鹿ね。
彦一 それが変てこなんだから、仕方がないよ。
ミル ぢや、兄さんの子ぢやないの?
彦一 たしかに俺の子だけど、変てこなんだ。そいで、父つあんの顔を見たら、納りが付きさうな気がしたんで、実は帰つて来たんだがね……
彦六 で、どうだい? フフ。
彦一 ……父つあんの気持が、俺にも解る様な気がする。
ミル ぢやこれで私も立派な叔母さんになつたわけね。どうだい!
彦六 で、相手の女はどこのもんだ?
彦一 うん、仲間の妹でな、少しぼんやりしてるけど、気性はいい女だぜ。今メリヤス工場に通つて働いてゐる。
彦六 なぜその赤ん坊をつれて来て見せねえんだ。
彦一 駄目だよ、まだフニヤ/\して手に負えねえ。
彦六 ふーむ、孫か……笑わせやがる。馬鹿野郎。(流れ出して来る涙を横なぐりに拭く)
彦一 なあ、父つあん、思ひきつて、一家ひき移らうぢやないか。家もあるし、気の合つた仲間もゐらあ。
彦六 (考へ込み乍ら)だが、私が行つて、ボンヤリふところ手で毎日遊んでゐるのもな、今更。
彦一 だつて、父つあん、病気だらう?
彦六 病気で寝てるんぢや無い! 寝てゐたから病気みたいになつてしまつたんだ。
ミル あれあれ! あんな事言つてゐる。
彦一 アハハハ。ぢや問題無いよ。捜しや帳付けでもなんでも、仕事はあるさ。……ぢやいいね?
彦六 うん。
彦一 ……ぢや、お千代、話を付けるから、先刻の連中を呼んで来い。
ミル うん。(走り出して行く)
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間――黙つてゐる父子。右奥の少し離れた所でガーン、ベリベリと大きな物音。音の度にシヤンデリヤが顫へる。この物音は最後まで断続する。
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彦一 ……なんでも、向うの端から取壊しにかかるつて、先刻階下でさう言つてたな。
彦六 ふん。……彦一……ぢやあ、お前の赤んぼは、私が名前を付けてやるかなあ。
彦一 うん、一つ頼むよ、父つあん。
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ミル戻つて来る。開かれたドアから、階下でお辻とアサが猛烈に口論してゐる声。
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ミル 白木も鉄造も下にはゐない。
彦一 あれは、なんだ?
ミル アサさんとお辻とが喧嘩してゐるのよ。二人とも鉄造さんのおかみさんになるんだつていつてね、スタンドの所で掴み合つてらあ。
彦一 ハハ、さうか……さうだつたな、父つあん、お辻さんも連れて行くんだらう?
彦六 うつちやつて置け。どうせ金を掴めば向ふで逃げ出そうとしてゐた女だ。
彦一 遠慮をするなよ、父つあん。まだ入用だらうが?
ミル アハハ、私に気兼ねしなくたつていいわよ。
彦六 もう、いらんよ、コリ/″\だ。
彦一 いらんのか?
ミル いらんのか? お父つ
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