あん?
彦六 こいつめ!
ミル (逃げる)いらんのか? ウワーイ!
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親子三人顔を見合つて笑ひ出す。
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彦一 ……だが、先方から取ると言つた五千円とかは?
彦六 かうなれば、もういいんだ。
彦一 だつて、そりや……
彦六 なあに、二千五百円だけは、かうしてトウの昔に受取つてある。
彦一 なあんだ、さうか。
彦六 それ位取つてあるさ、この私を見損ふなよ、アハハハ。この中から立退いた連中に送つて分けてやらう。一軒当り百円として十一軒で千百円。これでもみんないくらか助かるだらう。実は、もうあと百円づつも取つてやらうと思つてゐたが、どうやら潮時らしいな。……だが俺は白木なんぞに負けたんぢや無いぞ。あんな小僧に負けてたまるかい! まあ強いて負けたと言へば、彦一、お前に俺は負けたんかな。
彦一 アハハ。そいで仕度は?
彦六 仕度もヘチマもありはしないよ。チヤンと大事な物だけ肌身につけてある。
彦一 この球台や道具類は?
彦六 放つとけ。どうせ家賃のカタに押へられてゐた物ばかりだ。
彦一 歩けるかい、父つあん?
彦六 なあに……さうだな、お辻に金を少し置いてつてやるか。(ミルが持つて来たブランデイのビンを見て)どうだい、一杯行こう。(コツプを取る)
彦一 よからう。まあお父つあん。(注ぐ)
彦六 (グツと一口に飲んで眼の前を睨んでゐたが突然と大声で詩吟を発する)さ、飲め!(彦一にコツプを渡して注ぎ大笑)アハハハ。アハハハ……。
ミル ブラボーツ!
彦一 (これも一気に飲んで)ハハハ。……乾杯もすんだ。さあ、行かう!
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そこへ、髪をくづしたお辻がのぼせ上つた顔で乱入して来る。
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お辻 ……畜生、殺してやる。群馬県あたりからつん昇つて来たベエベエあまのくせにしやあがつて……(三人の姿は眼にも入らない。畳敷に駈け上つて、道中差しを拾ひ上げると)ひとの男を寝取つたとは、ふざけやがつて!
彦六 ……どうしたんだ、お辻?
お辻 あゝ……(ポカンと見てゐる間にギヨツとする)な、なんですか? どう……?
彦六 いい加減にしろよ。
彦一 さあ、父つあん、夜が明けちやつたぜ。
ミル (兄のポケツトから花束を取る)どうしたの、これ?
彦一 さつき、階下で売り付けられたんだ。お前にやるよ。
ミル さう。あゝ綺麗だ!
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左手には靴とフロシキ包みを下げ、右手に花束を高く差し上げる。
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お辻 (坐つてゐる)……どうしてくれるんだよ? 皆で寄つてたかつて私に恥ぢを掻かさうつて言ふんだな? よし、なら、死んでやる! 死んでやるとも!(刀をひねくり廻す)
彦六 ……死んで見ろ。昔の縁だ、見届けてやる。死んで見ろ。……おい、どうした?
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お辻瞬間キヨトンとするが、不意に刀を放り出して畳に突伏してヒーヒー声を出して泣く。彦一が刀を拾ひ鞘に納めて持つ。
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彦六 どうだ、死ぬより金の方がいいだらう。三百円ある筈だ。まあ、達者で暮せよ。
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お辻、金を受取り、夢中で勘定し始める。ミルを先頭に、父子三人、扉口の方へ歩いて行く。ミルは「糞でも喰へつ! こんな家!」。彦六は立止つて、お辻や、部屋の中を見廻してゐたが、大声にカラカラ笑ふ。
あたりはもう朝である。
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[#地付き]――幕――
底本:「三好十郎の仕事 第一巻」學藝書林
1968(昭和43)年7月1日第1刷発行
初出:「新演劇」
1936(昭和11)年12月号
※字下げ、アキの不統一は、底本通りにしました。
※「〈〉」内は、底本編集部による注記です。(底本では、「〈〉」はきっこう括弧です。)
入力:伊藤時也
校正:及川 雅・伊藤時也
2010年4月12日作成
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