よ。
お辻 だつてみんな内証が苦しいから、仕方無しですよ。
彦六 そりやさうさ。だから尚の事だ。私がかうして居残つてゐるのも、自分だけの事を考へるからぢやない。立退いた連中に、もう少しづつでも取つてやらうと思ふからだ。
お辻 この上まだ取らうつて言ふんですか? 呆れたね! そんな法外な事を言つて見たつて、どうせ此方の負けだ。
彦六 ぢや、思ひ切り負けて見ようか。
お辻 フン、あれだ。三多摩自由党の生残りですか? おはこだ。自由党だか不自由党だか……あなたが自由党騒動で三四人もの人を叩き斬つても、二年や二年半でことが済んだ御時世とはわけが違つてきてますからね。
彦六 そんな事を誰も言つてやしないよ。
お辻 私達は、そいで、どうなるんです?
彦六 だからかまはんから私だけ置いて、どこかへ行つてくれと言つてるぢやないか。
お辻 ミルさんは、ぢや?
彦六 ……お千代は嫁にやる。
お辻 へーえ?
彦六 ……ハハ。田所さんは、おとなしいが、まつとうな男らしいぢやないか。あんなのがミルにや良い。ケガがなくてな。(階下で誰かがわめき唄ふ声)なんだい、あれは?
お辻 鉄造んとこで、客が酔つぱらつてゐるんですよ。
彦六 さうか、ハハハ、どうだもう一つ、あゝもう無いか。(酒瓶を振つてゐる)
[#3字下げ]第二幕 階下の酒場[#「第二幕 階下の酒場」は中見出し]
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近く閉店の予定で、さびれ切つてゐる。右奥にスタンド、その横から奥の居間に行ける。左側にしきりの壁、一番手前がスヰングドア、それを出た軒下にビリヤード旭亭の柱看板、その奥に階上への階段(下手寄り)。深夜の往来(下手奥)の、見通しの利かない暗い中に人影が時々ウロウロする。店内には客が二人。一人は洋服の三十四五の男でベロベロになつて唄つてゐる。もう一人は奥の壁の方を向いてテーブルに頬杖を突いて飲んでゐる。汚い背広に半ズボンに黒い巻ゲートルに靴の、チヨツトした土工と言つた後姿。店内の家具の全部に、小さい紙札がベタベタ張つてある。レコードが鳴つてゐる。――女給アサが酔つた客の正面、入口の柱にもたれ、ドア越しに往来の方を覗いてゐる。
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客一 (レコードに合はせてデタラメを唄ふ)あらよいよいよいと――おい君あ、なんで外ばかり見るんだ? さては色男が来たな? どれどれ、どうなんだ。(覗く)……あゝなんでえ、ルンペンだよ。さうか、君の色男はルンペンなのか?
アサ 大きな声をするのは止してよ、もう時間過ぎなんだから。
客一 まぶは引け過ぎつて言ふ奴か? ヘツヘヘヘ、こてえられねえなあ。若干、催すねえ。酒だ、畜生。
アサ 本当にもうお帰りになつたらどう、見つかると、又うるさいんだからさ。
客一 さう邪魔に、しなくともいいでせう? ねえ、君、ねえ、さうでせう、おテクちやん。(変にいやらしく、からんで行く)
アサ うるさいわね。(はなれる)
客一 オーツ、ウヰスキーだ!
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アサ黙つてスタンドの方へ行く。ミルが往来の方から戻つて来る。追ひすがつて来る鉄造。
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ミル ……いいの、わかつてゐるわよ。
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二人は外の階段の前に立停る。
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鉄造 ところがさ、大体あのお辻さんと言ふ人は、あなたの考へているやうな、そんなばかな……
ミル だつて、小父さんがそんな事を気にしなくともいいぢやないの。(と言ひすてゝ階段を昇らうとする)
鉄造 (ひきとめて)おゝ、おゝ、ミルちやん、まだ大事な話が残つてるんだ。後生だから、ちよつと顔をかしてくれないか。コーヒーでもおごるから。
ミル この真夜中に、コーヒーでもないわよ。
鉄造 まあ、さう言はずにさ、是非聞いといて貰はなけりやならぬつて事があるんだよ、全くのはなし。
ミル さう、何だか知らないけど、早くしてよ、上で心配してるといけないから。
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二人は中に入り、空いたテーブルに腰をおろす。鉄造はコーヒーを言ひつける。
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鉄造 くどいやうだがね、私は、あんたの為めや旦那の事を考へるから言つてゐるんだ。大体正宗さんと言ふ人は、度胸が良いのか、悪いのか知らないけれど、恐ろしい人ですよ。松田さんや白木さんを向うにまはして、一戦を交へようと言ふんだからね。私なぞこれでどれ程側杖を食つてひどい目に会つてゐるか知れやしません。
ミル さう? なら、私んちなど打つちやつといて、小父さんだけ越しちやつたらいいわ。
鉄造 そ、そ、そんな、あんた、今更になつてさう言ふ手はありますまいよ!
アサ (ウヰスキーの杯を客一のテーブルの上に置いて)はい、これつきりよ。
客一 (酒のツラを見て)ブラボー。アハハハ。
鉄造 それにねえ、お辻てえ女は、なにをするか知れたもんぢやありませんよ。あんたあ気が附いてゐないかも知れないけど、田所君の事ですよ。あの女は、これはと眼を付けたが最後、どんな男でもモノにしてしまふんだからね。
ミル それが、どうしたの?
鉄造 だから、気を附けなくちやいけませんよ。
ミル へーん、お辻さんの方で惚れてんのか?
鉄造 まあ、そんなものかね。
ミル だつて、あの女はあんたといい仲なんぢやないの?
鉄造 じよ、じよ、冗談を言つちやいけない! 私は、あんたの為を思つて――
ミル 修さんは、あたしに惚れてんのよ、おあいにくさま。
鉄造 ……だけどさ、相手はお辻だ。田所君が気が弱くつてウブだと来てますぜ。
ミル そうよ、だから私、好きなんだわ。
鉄造 (手の平で額の汗を拭く)いや、手離しだねえ。だからさ、蛇に見込まれた蛙でいつなんどき……でせう? だからさ、私あ……
ミル フン、修さんが私よりもお辻さんのことを好きならばお辻さんも取ればいいぢやないの。私、心配なんかチツともしやしないのよ。一体、話がある話があるで黙つて聞いてゐりや、ろくでもないことばつかり……あたしやもう行くよ。馬鹿々々しい。
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鉄造を後に残してトントン階段を昇つて行く。鉄造あわてて外へ出るが、間に合わない。女給アサも鉄造につゞいて出て来て彼の背後に立つ。
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鉄造 (身をめぐらす)おゝ……なんだよ?
アサ ……(鉄造の顔を見詰めてゐた後)お辻が田所さんと出来てしまふと、あんたが困るんでせう、だから、あんな事言つてミルさんを、けしかけるんだ。へん、どつちがあやしいか判つたもんぢやない、あんな糞婆あの尻の匂ひをかいで廻つて――
鉄造 なにを言ふんだ、お前――
アサ (相手の胸倉を掴む)私をどうしてくれるんだ! おめえさは、おらを一杯ひつかけた積りだべさ! この……
鉄造 おい、なんだい、まあ、こんな所で、なにを又――
アサ ぢや内に入つてたんと話すよ! (と相手を引つぱつてドアを押して店にはいる)はじめあんた、おらに何んと言つた? ねえ! こんど出来る食堂の酒類の事は一手に引受けてやる様にチヤンと約束が出来てゐるから、さうなつたらあたしを正式の女房にしてやつて、そいから女給の取締りにしてやつて!
鉄造 (キヨロキヨロ店内を見廻し、あわててゐる)なにを言ふんだ! こら! おい!
アサ お辻の奴とグルになつて、あんたらが何をたくらんでゐるか位、おらちやんと知つてゐるんだよ! あんたあバーの方の株と手数料が欲しいんだろよ。お辻はお辻で、うまく二階の旦那を立退かせりや、白木から五百円出る約束になつてんだ。その位のこと知らなくつてさ。なんてまあ、腹ん中の小ぎたねえ!
鉄造 困るよ、おい! 話をすれば解るから、ま、此方へ来い! 話をすれば……(客達をはゞかつて、アサの背をかかえて、スタンドの傍から奥へ連れて行く)
客一 (あつけに取られてゐたが、我れに返つて)ヘヘヘヘ。話したつて解るもんかよ。話したつて解るもんか、馬鹿め! ねえ君! さうだらう? 俺は金はないさ。いや、もつとるかも知れんぞ。(ポケツトを探り、バツトの箱をとり出す)こりやなんだ? バツトの空箱か……ゴールデンバツト/\/\/\(とでたらめのバツト節を歌ふ。その歌に混つて、奥から喧嘩の物音とアサのわめき声がして来る。客一それに気附き歌を止める)ほう、やつとる……(キヨロ/\四辺を見廻してゐたが、やがて飲み残りのウヰスキーをカプツと音を立てて飲みほし、ゴールデンバツト/\と云ひながら裏に逃げ出す)
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客二はニヤ/\してそれを見送つてゐる。ところが忽ち、表でワツと人の声。往来の方から此の店めがけて小走りにやつて来た洋服で小さいカバンを下げた四十六七の紳士(白木軍八郎)が出合頭に客一にぶつつかられて、はね返りさうになつて挙げた声だ。客一は、しかし倒れさうになつてもウンともスンとも言はず逃げ去つて行く。白木は驚いて、その後姿をチヨツと見送るが、なにさま、これもあわててゐると見えて、階段の方を見てそちらへ行きさうにするが、思ひ返してバアのドアを押して飛び込む。
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白木 井伏さん! 鉄造さん! (客二を見て)やあ、ええと井伏さん! 居ないのかね、鉄造さん! (奥から鉄造が出て来る。チヨツと見ぬ間にシヤツは乱れ、顔はみみずばれだらけになり、手の平でにじみ出す血を拭いてゐる)全体、君、どうしたんだ! え?
鉄造 白木さんですか。へえ、どうもねえ、ヘヘヘ。
白木 困るね、勝手に人夫を二階にあげたりなんかして……君やお辻さんは、私の言ひ付けるだけの事をやつて呉れりやいいんだ。(頭で天井を示して)相手が相手だぜ、また曲られたら、この上どうなると思つてゐるんだ。
鉄造 ……へえ。
白木 へえじや無いよ君! たつた今も電話で知らせがあつたんで、びつくりしたんだが、一了見で変なおチヨツカイを出して貰つちや困る。人夫はこつちの命令で踏込むことになつて居るんだぜ。それを、君達が動かすと言ふ法は無いよ! 藪蛇になつたらどうするんだ?
鉄造 どうも済みません。いえ、此方で放り出してしまへばあなたの方の手間が省けると思つたもんですからねえ。それに先程はお辻さんが降りて来て、今奴が居ないからと言ふんで、そいで、つい!
白木 その抜けがけの巧名がいけないんだ。実は今夜はいよ/\何んとか解決しないと私も間に立つてゐて、松山さんの方に合はす顔が無いんで、最後の掛け合いに来る気でゐた。それに応じなければいよいよの手段に訴へるつもりで手続きは取つて来てある。そいで、出かけようとしてゐる所へあの電話だ。
鉄造 すみません。
白木 とにかく上へ行かう、今夜はもう否やは言はせない。
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二人出て行きかける。丁度そこへ、じだらくな恰好で階段を降りて来たお辻が、髪の地を指で掻き〈掻き〉ドアを押す。
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お辻 あゝ白木さん。
白木 やあ、困つた事をして呉れるねえ。君達が頼まれもしないおチヨツカイを出したばかりに、彦六め、又ぞろ尻を据へて捩《ね》ぢ〈れ〉て来出したら、あの約束も切[#「切」に「ママ」の注記]角だが取消しだよ。
お辻 (あわてて)だつて鉄造さんが、あなたの話だつて、さう言つて――
鉄造 おい/\、邪慳な事は言ひつこなしにしようぜ、もとはと言へばお前が――
白木 まあ/\いいからとにかく行かう。居るんだらう?
お辻 ゐますよ。どこまでネバる気だか、さすがの私も驚いちまつた。あんまりクサクサするんで、ブランデーでも貰ほうと思つてね、鉄造さん、一本頂戴。
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鉄造スタンドの棚から酒ビンを取つて来る。お辻、客二の後姿を認め、ビンを受取りながら、鉄造に、不用心を眼顔で知らせる。その間に白木は外に出て、往来の奥の方へ手で合図をすると、コールテン服の男がスーツと出て来てペコ/\する。白木低声に、二階を指差して何か命令している。
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白木 ……いいな?
鉄造 おいアサ! お店を頼んだぜ。
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お辻は外に出て階段の方へ、白木も階段の方へ、コールテン服は往来へ消え
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