て)……請負師のひとが、旦那何処へ行つたと、やかましく云つてゐますよ。
鉄造 あー――弱つた。ね、お辻さん!……(アサに)そいで、店は?
アサ さつきから二人のお客さんは、まだ居ります。ここでドシ/\踊るもんだから、天井からホコリが落ちるつて、酔つた方の人が怒つてゐたわよ……とにかく早く来て下さいな。(階段の方へ消える)
鉄造 (お辻に)お辻さん、ちよつと、顔を……
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お辻、スタスタ降りて行く。それを追つて鉄造も急いで出て行く。落着かないで窓を見たり彦六を見たりしてゐる修。彦六は階下から響いて来る音楽に聴き入つてでも居るやうに、寝床の上で黙つてゐる――。
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修 ……あの、僕――。
彦六 ……修さん、あんた……お千代の事、ほんとに好いてくれてゐるんかね?
修 (ヘドモドどもつてゐたが)な、なんです、僕、もう少し唄へるやうになつて、収入がもう少し、多くなつたら、けつ、結婚を許して戴きたいと――。
彦六 ……私が云ふとなんだが、あの子は竹を割つた様な気性の娘です。
修 そ、そうです! (アコーデオンのキイを掻き廻す)
彦六 アハハ……。(はじめて修を見て)それに引きかへてあれの兄貴と来たら、もう仕様のないゴロンボーだ。彦一と云ひましたがね、何処かで、もう死んじまつたかも知れん。大体、親父の私が少し口小言でも言ふと、それが気に喰はないと云つて、黙つてとびかかつて来ようと云ふ代物だ。
修 はあ。
彦六 ……しかし、なんですよ、此処のお辻にや用心しなきやいけませんよ。あれは、いけない、まるで、まあ女郎蜘蛛のやうな奴です。仮りにも自分の女房みたいにしてゐた女を、こんな言ひざまは無いけど、これ迄チヤンと手切れを渡して、何度追払つたか知れないんだ。金が無くなつて男に捨てられると必ず舞ひ戻つて来る。この前なども、つい其処のガレーヂの運転手と一緒にね、此の内の有金をさらつて逃げて行つた。やれ/\と思つてゐると、物の二月もしたら寝巻き同然の姿でシヤーシヤーとして帰つて来ましたよ。ハハハゝゝゝ。最初ゲーム取りで来たのを、一時の迷ひとは言ひながら、ついそんな事にしてしまつたのが私一生の不覚です。ハハハ。
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階段に靴音がして、ミルが駈け上つて来る。戸外で支那ソバ屋のラツパの音。
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ミル なんだい、なんでもありやしないぢやないか! 裏通を行くと怖いから、大《おもて》通りを行くんだなんて、大廻りをさせてさ、世話が焼けるつちや、ありやしない。(言ひながら又洋服を脱ぎにかかる)
修 駅迄行つたの?
ミル うん。あら、お父さん、起きちやつた。
彦六 うむ、どうも寝飽きたよ。
ミル ……なにを笑つてんの? 私の顔になにかくつ附いてる? んぢや、何をそんな、やたらにニタニタしてんのさ、お父さん? ……あら、どこい行くの?
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父親は立上つてカーテンと押入れの間の通路へ歩いて行く。
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彦六 久しぶりに、急に一杯飲みたくなつた。肴を買つて来るんだよ。うまい所へチヤンソバが通る。たまにや少し外へ出ないと毒だ。ハハハ……。
ミル ぢや私が買つて来たげるよ、何もお父つあんが行かなくたつて。第一、なんで不意に酒なんか飲むの?
彦六 まあさう言ふな、身祝ひだ。
ミル 身祝ひ? へへーん、こうして内ぢや追立てを食つているのに? 先刻は私わざと黙つていたけど、表をウロウロしてんの、やつぱし白木の子分らしいわよ、いつなんどき飛び込んで来るかわかりやしないつて言ふのに。
彦六 さうか、まあいいよ……ハハハ。お前には解らなくともいいのだよ、ねえ修さん。
修 ……ありがたうございます。
ミル へーん? (二人を身較べている)なんだい?……(彦六はニコニコしながら裏梯子の方へ)私が行つたげると言つたら。
彦六 お前はお稽古をしろ。(消える)
ミル ……(ふくれてゐる。やがて修の顔を見て)なんなの、一体?
修 君のお父さんは良い人だなあ。
ミル 自分達だけで、変に心得てばかり居て……生意気だわよ!
修 ハハハ、君は怒つている時が一番綺麗だよ。
ミル なにを言ふか! 急に気が強くなつちまつたにや、オドロイタ。少しどうかしたんぢやない、此処が?
修 矢でも鉄砲でも持つて来い!
ミル 松沢村が近いから用心なさいね。フン、本当になんなのよ、さつきのありがたうございますつて言ふのは?
修 僕が君のお父さんに御礼を言つたのさ。
ミル 知らない! 勝手にするがいいや。さあ、稽古だ。えつと、お辻さん、どこ?
修 僕には事情はよく解んないけど、全体どうする気なんだらうね、君のお父さんは?
ミル 私いちんち家に居ないからよくは知らないけど、いろんなのが次から次と、引つきりなしに押しかけて来ちや、なだめたりすかしたり脅迫したりしてゐるらしいわよ。此の十日ばかり町会の方の弁護士まで来やがつて、その言ひ草が良い、町内の平和を乱す恐れがあるから、いい加減に譲歩して貰ひたいだつて。大食堂を建てるんだかなんだか知らないけど、金さへあれば、何でも横車が通るかと思つて、ほんとに町内の平和が聞いて呆れるわよ!
修 いづれ、地主や今度の経営主から町会の方へも渡りが附いているんだらう?
ミル さうかもわかんない。それに、くやしいぢや無いの、階下のバーのおやぢまでがさ、あれはお父さんのズツと前からの知り合ひだとかで、店を出す時なんか金を拵へてやつたり随分面倒を見てやつた奴よ。
修 くやしいな、金が欲しいなあ!
ミル こんな時、兄さんがゐてくれたらなあ。
修 でも乱暴な人だつて言ふぢやないか、お父さん今話してたけど、会ひたくないつて言つてたぜ。
ミル 嘘、口ぎたなく言つたつて、本当は兄さんの事を恋しがつて会ひたがつているのよ。そんな人よ、お父さんて人は。兄さんが四年前に仲間の顔役を喧嘩で斬つちやつてね、土地に居られなくなつた後、しばらくと言ふもの、夜になると「彦一、彦一」つて、寝言を言ふのよ。
修 今どこに居るんだ?
ミル わかるもんか……
修 ……そりやさうと、あのお辻さん少し変だと僕は思ふがなあ。僕さつきねえ――。
ミル え? 変?……(少しギヨツとして、相手を見詰める)
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そこへドアからお辻が、だるさうに歩み入つて来る。
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お辻 ……いよう、御両人!
ミル 帰つたの? 白木の奴!
お辻 白木ぢや無いのよ、此の屋台を取壊しに来た仕事師だつてさ……あゝあ。……お父さんは? 便所《はばかり》?
ミル うゝん、ソバを買つてくるつて出てつた。
お辻 ふうん、外へ? さう……
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四辺をキヨロキヨロ見廻してゐたが、なにか一人でうなづき乍らドアの方へ走り出し階段へ消える。
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ミル どうしたんだろ? おかしな奴。
修 ……僕はね、もつと勉強するよ。秋迄にはキツとソロを唄へるやうになるんだ。そしたら給金だつて八十円ぐらゐにはなる。それだけ有りや倹約すれば二人でやつて行けると思ふんだ。ねえミル! ミル!(抱く)
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ミルは鼻を鳴らすが、しかし拒みはしない。間……不意に、開いたままになつてゐたドアから、ハンテン着や、ボロボロのコールテン服や、少しはましな洋服を着たりした、ルンペンとも暴力団とも附かない五人の男達がザザツと入つて来る。修とミルが抱き合つて立つた姿に足を停めるが、忽ち畳敷の方へあがり、押入を開けたり、乏しい家具に手を掛ける。ミルと修は立ちすくんでゐたが、やがてミルが五人の方へ行く。
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ミル なにをするんだ!
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五人は歯牙にかけず、一人はニヤリとしてカーテンをベリベリと引きちぎる。ミル飛びあがつて行き人夫につかみかゝる。そこへ彦六が裏梯子の方から押入の横へ現はれる。右手に一合瓶、左手にシユーマイの皿を持ち、立停つて皆をウツソリと見廻してゐたが、やがてしづかに寝床へ行き坐る。人々の眼が、彼の上に集る。……やがて彦六は手を出し、懐中から取出したチヨコに酒を注いで飲み、シユーマイを、ボソボソ食ひはじめる。一言も口を開かない。周囲は石の様になつてゐる。……鉄造の顔がドアから覗く。続いてお辻。
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鉄造 あゝ、いけねえ! 居るぢやねえか。(恐ろしくヘドモドして)全体これは――。お前たちあどうしようと言ふんだい? いづれ、白木さんの方のなのだらうが――
彦六 ふん……
お辻 (キヨトキヨト彼方此方を見てゐたが、急に大きな声で)何だい、人の家に踏み込んで来やがつて! おい! サツサと出て行つて貰はうぢやないか! ばかにしてやがる! (その見幕はたゞ事でない。五人の闖入者はびつくり呆れた顔、口を開けてお辻を見てゐる。少しも解せない様子)放り出すなら放り出して見ろつてんだ! チヤントかうして主人が居るんだよ! ふざけやがつて!
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五人はゾロゾロ階段の方へ去る。終始無言だが、出がけに中の一人が「なあんでえ、話しが違うぢやねえか」と言ふ声がきこえる。
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ミル 畜生め。(やがてお辻の方を向いて)お辻さん、先刻あわてて何処へ行つたの?
お辻 なにさ、旦那が一人でソバを買ひに行つたてえから、心配になつてね、ちよつとそこまで……なんだい。
鉄造 だが事態がこんなになつて来てゐるんだ。此方でも考へなくちや。ねえ正宗さん。
彦六 動けないんで弱つた。出て行くと言つたつて行く先もありませんしね。
修 ……僕、これで失敬します。
ミル さうね、おかげでお稽古がフイだ。其処まで一緒に行つたげる。
修 いいよ、いいんだよ。
ミル だつて、あんた怖いんだろ? 怖がつてる癖に。
彦六 ハハ。送つて行つてあげるさ。修さん、ひとつ。(杯を差す)
修 えゝ……(困つて人々の顔を見まはす)
ミル よしなさいよ、飲めやしない。
彦六 まあいいよ、一つだけ、私が差すんだよ。ねえ、いいな?
修 はあ……(中腰になつて杯を取る)
彦六 (注ぐ)それぢや、こぼれる、ハハ……
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修の杯が顫へてゐる。
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修 (飲んで)ありがたう……した。
ミル さ行かう。
鉄造 しかし戻りはミルさん一人だから、物騒だよ。私も附いてつてあげよう。
ミル いいわよ、一人で沢山。
鉄造 まあまあさう言はずにさ、とにかく一緒に行くよ。何か間違ひでもあると困るからな。
お辻 あんた御親切だね。……フン。
彦六 ぢあ附いて行つて貰ふさ。(ミル、修、鉄造出て行く。彦六がシユーマイをつゝきお辻を見てゐる)
彦六 ……ひとつ、行かう。(杯を差す)
お辻 私は、どうも鉄造が、怪しいと思つてゐるんですよ。(杯を取る)
彦六 なんだ。
お辻 いえ、今の人足共がやつて来たのがさ。
彦六 (酒を注ぎながら)私あまた、お前かと思つたよ。
お辻 え? なんですつて?……ぢやなんですか、白木やなんかと、私が腹を合せてなにしてると?……
彦六 さうぢやなかつたのか、ハハハハハ。
お辻 いい加減にして下さい、冗談ぢやありませんよ。ほんとにあんたもぼけましたよ。……(飲んで返杯して注ぎながら)然し、とにかく、かうなれば、もう此の辺が潮時ぢやありませんか。
彦六 出すものの耳を揃へりや、いつでも退くさ。
お辻 へえ、まだそれを思ひ切らないんですか?
彦六 思ひ切るも切らぬもない、はじめから此方あおとなしい話をしてゐる。此の辺の店なら、たとへ屋台位の店にしたつて、二千や三千の権利金なら、通り相場だよ。この店を五千円と言ふのは、よくよく此方で泣いた値だよ。
お辻 だつて、よそぢや、大概千円以下で手を打つたつて言ひますよ。
彦六 彼奴《あいつ》等は、はじめはみんな結束して一軒あたり五千以下ではテコでも動かないと言つてゐた。それが要求してゐた額の十が一にも足りない金でもいよいよ現ナマの面を見るとコソコソコソとしつぽを巻いて居なくなつちまふ。全く風上にも置けない連中だ
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