、ミルの方を見る。ミルは修を睨んで立つ、――やにはにキユー台からキユーを掴み取り、振りかぶつて、修の方へ迫つて行く。びつくりしてダンサー二人がそれを押し止める。
[#ここで字下げ終わり]
ダンサー一 何をするんだよ、ミルちやん。
ダンサー二 ばかなこと、およしつたら。
[#ここから2字下げ]
ダンサー二人が、ミルの手からキユーをもぎ取る。ミルはキラキラ光る眼で修を睨む。
[#ここで字下げ終わり]
修 ……こらへて呉れよ! (奥の下方、窓の外を指差して)前の往来を先刻から、変なのがウロウロしてるもんだから、つい気になつちやつて――
お辻 へえ、なんなの? (立つてスリツパを穿き、窓の方へ行く)
ダンサー二 (キユーをキユー台に戻しながら)向うの角にも二人立つてゐる。あゝ此方を見てるね。
[#ここから2字下げ]
ダンサー一もミルも窓へ行く。
[#ここで字下げ終わり]
修 よく見えないけれど、十人以上はたしかにゐるよ。
お辻 なに、その辺のルンペンさ。残飯貰ひに夜歩きをしてゐるんだ。
修 だつて、それなら、此の家のまはりだけをウロウロする筈はありませんよ。
ダンサー一 気味が悪いわ、私、早く帰らう。ね、タカちやん!
[#ここから2字下げ]
球台の上に脱ぎ捨ててあつたワンピースをドンドン着る。ダンサー二も急いで仕度する。
[#ここで字下げ終わり]
ミル いけないよ。未だ済まないぢやないの!
ダンサー二 だつてもういや。マゴマゴしてゐると、なにされるか判りやしない。
ミル なにさ! ルンペンなどにビク/\してゐて、ここいらに住めると思つて? 馬鹿々々しい。
ダンサー一 そりやア、ミルちやんは帰らなくともいいから強い事が言へるけど……
ミル ぢや、泊めたげる。やる所まではチヤンとやつちま〈お〉うよ。
ダンサー二 唯のルンペンならいいけどね。
ミル ぢや、なにさ? (又窓を覗く)あたしが追つ払つて来てやる。
修 よせよ、危い。それに先方がなんにしろ、往来を歩いてゐるのを、ハタからどつか〈へ〉行つちまへとも言へやしないぢやないか。
ダンサー一 そりやアさうだわ! ぢや、あたし、帰ろウツと!
ダンサー二 でもいやだなあ、二人きりで出て行くの。
ミル それごらん、弱虫! イーだ。
ダンサー二 そんな意地の悪い事言はないで。ぢや、田所さん、一緒に帰つてよ、ね。どうせあんたも帰るんでせう。
修 あゝ。
ミル だめだよ、修さんにはまだ弾かせるんだから。
ダンサー一 フーンだ。あとで二人きりで、気分を出さうつて、言ふんだらう? みんな知つてゐますやうだ。
ミル 引つ掻くぞ。(でも耳の附根を赤くして、てれて笑つてゐる)
ダンサー一 よきぢやねえ!
ミル 早く帰つちまへ。
ダンサー二 でも困つたなあ、ぢや修さん、ホンのそこ迄でいいからお願ひ。
ミル チエツ、仕方がない、僕が駅んとこ迄、行つたげる。(すばやくワンピースをかぶつて着る)修さんをやると、なんだかだと言つて又連れてつてしまふから。
ダンサー一 ミルが焼きます。(と言つといて逃げ出す)
ミル 此の、馬鹿ヤロヤイ! (片手で洋服を引つぱり下げながら小犬の様に相手に飛び附く)
ダンサー一 さ、行かうつと。さいなら。(ドアを開けて消へる)
[#ここから2字下げ]
ミルとダンサー二も一緒に肩を組み、ふざけながら外へ出て行く。ドアが開くと、階下のバアで鳴つてゐるレコードの音楽と歌が、急にハツキリと聞こえて来る。
[#ここで字下げ終わり]
修 (窓から往来の方を見おろしてゐる) ……あ、来た!
お辻 なんですつて?(窓へ寄る)
修 今、向うの軒下から一人スーツと出て来たのがゐるんですよ。
お辻 ルンペンよ。あんたも神経質ね。フフ、色事の一つもしようつて言ふ良い若い者が。(横眼で田所をジロジロ見てゐる)
修 此の家の事で、何か始まるんぢやありませんかねえ?
お辻 なあに、この近廻り、空店が、十何軒も出来てるでせう。そこへもぐり込んで寝てやらうと思つて、人気の無くなるのを待つてゐるのよ。
修 もう間も無く此処は取壊しになるさうですね?
お辻 うん、跡に直ぐ、松本てえ人が大きな食堂を建てるんですつてさ。なんでも鉄筋コンクリートの三階建だつて。お金の有るのに逢つちや、かなうもんかね。
修 そりやさうだけど、でも随分無茶だなア。
お辻 だつて、みんな権利金や立退料が一度にドカツとはいつたら、結局、その方が得なんですよ、こんな目抜きの場所を、腐れかかつた小売店がふさげてゐると言ふ法はないよ。どうせみんなデパートに押されて、儲かつて行つてる家なんぞ一軒だつて有りやしないんだもの。
修 でも永年苦しんで店を張つて売り込んで来た信用と言ふものも有るだらうし、とにかくそれで食つて行つてたんだから……
お辻 (かぶせて)喧嘩面になる方が損さ、内の旦那なぞがそれですよ。はじめに、この建物中、全部で十三軒、これこれの事を先方でしなければ立退くまいと申合せをした際に、どうか代表者になつて掛合ひをやつて下さいと一言言はれたので、好い気持になつちやつて、わざ/\寝ちまつたりして頑張つてゐるんだからね。かんじんの頼んだ方ぢや、とうの昔に金を掴んで立退いちまつたのに! いい恥さらしだ!
修 だけど僕には此処の小父さんの気持は解るなあ。
お辻 なあに、意地になつてるんですよ。なんとか言やあ、むかしあばれてゐた時分の気になつてさ。まるきり、三多摩自由党の幽霊と言ふとこさ。
修 僕にはさうは思へないなあ、早い話が、これだけにやつてゐた店を叩き出されて、あと直ぐ、どうして食べて行けるんです? ミルちやんだつて、まだいくらも取つちやいないし――
お辻 そんな事まで私が知るもんですか……。(話しの間にジリ/\修の方に寄つて居たのが、フイと畳敷きの方へ三四歩行き、カーテンをジツと見る)……おやすみだ、フン、(低い声)……ねえ、修さん。
修 な、なんです?(相手の調子が急に違うので、びつくりしてゐる)
お辻 あんた、ミルの事、ホントに好きなの?
修 え? な、なんですか?
お辻 (肉の豊かな腰をユラユラさせる歩きつきで、修の傍へ)……いえさ、私だつて、かうしていれば、まあ、ミルの母分よ、でせう?……。気になるからさ。
修 そりや、なんです。す、好きです、非常に、僕は……
お辻 フフフ、非常に、か。さう? 非常に?
修 よ、弱つたなあ。
お辻 さう、母分は少し可哀想だつたわね。姉分。これでもまだ若いのよ、いくつ位に見えて、私?
修 ……(困つて壁の方へペツタリとくつついて)僕には女の人の歳はどうも……
お辻 (身体を修にこすりつける)言つたわね、えゝ、どうせ私はお婆さんですよツ。……ミルは、やつと十九、手も足もまだコリコリ固くて……フン。まだ綺麗なんでせう、あんた達?
修 え?
お辻 綺麗な附合いでせうつて、言つてるのよ。
修 そ、そんな、勿論です。僕、その内チヤンと此の方の小父さんにお願ひして、さう思つて――
お辻 あゝ酔つた。(片手を上げ、二の腕の辺まで覗かせて髪を掻く)おゝかゆい、私はね、修さん。
[#ここから2字下げ]
修は殆んど怯えてしまつてゐる。カーテンの蔭でクスクス笑ひ出す声、お辻稍々ギヨツとして、カーテンの方を見るが、別にドギマギもしないで修の前から歩き出す。
[#ここで字下げ終わり]
お辻 ……あんた、まだ起きてゐたの?
声 うむ。……うん。
[#ここから2字下げ]
お辻、畳敷の方にあがつて行き、カーテンを引開ける。寝床の上に横になつた主人の正宗彦六が、女を見上げてニコニコ笑つてゐる。五十六七の男、枕元に手廻りの道具等。
[#ここで字下げ終わり]
お辻 眼が覚めたんなら、さう言やあ、いいじやありませんか。
彦六 ハハゝゝゝ。……いや、私に遠慮はいらんよ。ハハ……
[#ここから2字下げ]
お辻、修へヂロリと眼をやり、テレかくしに頭髪の根を櫛でゴシゴシ掻いてゐる。
[#ここで字下げ終わり]
彦六 (修に)やあ、おいで。
修 はあ、今晩は。……いかがですか?
彦六 ありがたう。どうも朝から晩まで、かうしてゐるんだ。あんたも毎晩御苦労様だ。お千代の奴が無理ばかりお願ひして。
修 いえ、ミルさんは熱心だから、此方も張合ひがありますよ、それに僕の稽古にもなりますからね。小屋でやればいいんですけど、ハネると規則で一人残らず追出されちやうんで……。
彦六 いや、営業してゐると言つたつて、一日せい/″\五六人の客があるきりだ。却つて賑やかでいい。しつかり仕込んで下さい。
お辻 そりやさうと、どうするの? こうして今まで腰を据ゑてゐるのは、もう、うちと階下の鉄造さんとこの酒場の二軒だけですよ。それも鉄造さんちぢや、うちさへ立退けば今夜にも一緒に引払ふと言つてんぢやないの、全体この先どうするつもり?
彦六 それを私に聞いたつて、わかりやしないよ、自分の内だから、かうして居る迄さ。
お辻 (ヂレて)チエツ、いやんなつちまふ。それに借金も借金だしさ。あたしや――
[#ここから2字下げ]
そこへ左のドアから、四十七、八の血色の良い井伏鉄造があわててキヨロキヨロしながら入つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
鉄造 ……お辻さん、あの、チヨツト――
お辻 どうしたの?
鉄造 松田さんの委任状を持つた仕事師がやつて来てね、この家の向うの角から取壊しにかかるから、さう思つて呉れと云つてるんだ。
お辻 へえ? こんな夜中に?
鉄造 昼間だと近所が迷惑するからと云ふんだよ、ねえ旦那、どうしたらいいんですかね? え?
彦六 ……さあ。……困つたねえ。
鉄造 困つたぢやすみませんよ、先方ぢや、ああして解つた話をしてゐるんだから、アツサリ私等と一緒に立退いて下すつてもいいぢやありませんか! それをかうしてギリギリのどたん場まできておいて今さら……(オロ/\声である)
彦六 さうさなあ……だが、あんたは何もこつちにこだはらずに立退きあいいぢあないかね。
鉄造 そ、そ、それだ。直ぐに、それだ。今更になつて、そ、そんな薄情な事を――あすの朝早くでも、御一緒に早々引払ふやうに、ひとつ、考へて見て下さいよ。お願ひですよ。大体、先方から頼まれてお百度を踏んでやつて来てゐる白木と云ふ男の正体を、旦那知らないから平気でゐらつしやるけど、白木軍八郎と云へば新聞も持つてゐれば多勢の子分も持つてゐるし、かうした事にかけちや鳴らした事件屋なんですよ。あの男の手にかかつたら、万事おしまひですぜ。ごらんなさい、あれだけ居坐らうと申合せをして居た此の建物中の小店十一軒と云ふもの、白木が乗り出して来たら、ひとたまりも無く立退いてしまつたぢやありませんか。
彦六 話はおとなしさうな人だがな。
鉄造 そいつが曲者なんでさ、腹の中はどうしてどうして、山の手一帯の土地家屋のブローカー仲間では「蝮蛇《まむし》」で通る男ですよ。
彦六 鉄さん、ひどくおどしに掛けますねえ、ハハハ、さては白木さんから頼まれたね。
鉄造 (怒つたやうな口調で)じよ、冗談云つちやいけませんよ。な、なんで、あんた、これだけこちらさんに忠義を尽してゐる私をつかまへて――
彦六 いやあ、これは冗談ですよ。ハハ、どつちせ、まあかうして自分でごろ/\して居るぶんには、まあ誰にとがめられる事も無からう。追ひ出されりやノタレ死をしなきやならんからねえ、人様の畑の物を盗み食ひをしてゐる雀とは違ふから、案山子にびつくりして逃げ出すことも無からう。
鉄造 なんですつて、案山子ですつて? ぢあ、旦那は私のやつてゐる事を――
彦六 たとへ話だ、気にしちやいけません。とにかく、だから、あんたの方は、私にはかまはず引払つて下さいと云つてゐるんだ。事実、かうした病気で動きたくも動けはしないし、なさけ無い話さ。
鉄造 そ、そ、そんな意固地な、ねえ正宗さん、私あ、あなたの為めを思つて――
[#ここから2字下げ]
階下の酒場の女給のアサが急いで入つて来る。廿四、五の野生的な女。
[#ここで字下げ終わり]
アサ (戸口に立ちはだかつたまま眼はお辻の顔を射抜くやうに睨み詰め〈据ゑ〉
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング