んが食べさせてくれるから。
五郎 (母親に)あのう、話の方は後で僕が、その事は僕がよく伺ひますから、ごゆつくりして下さつて、後で僕が、なんですから――。
恵子 (小さい声で)大丈夫よ、五郎さん、私が居るから、此処で母さんにその話はさせないから……。
五郎 ぢや頼みますよ。(庭を廻つて立去る)
小母 (美緒に養つてやりつゝ)赤かあい顔をなさつて、どうぞしやはつたか?
美緒 ……(顔を横に振つて打消してニツコリする)
小母 ターンとお食べやす。……ハツハ、五郎はんは、なんぼさう言ふてもあきまへん、ハダカのまゝでトツトと表に行きはる。……なんぼ海岸と言ふたかて、今に、おまはりさんに掴まりはつたら目玉を喰うた上に罰金や。
美緒 ……(手真似で、小母さんは食事は済んだかと訊く)
小母 へえ、済んました。……(離れてマヂマヂ見詰めてゐる母親に)奥様、そこに立つておいやすと、まだ暑うおす。おはりなつて、チヨツトお休みやしたら。
母親 (実の娘と小母さんが仲良くしてゐるのを妬みながらも、自分が小母さんほど美緒に近づいて看病してやる勇気は無い。その矛盾した気持を自分で処理しかねてイライラして、小母さんを必要以上に見下げてゐるやうな態度を執る)……小母さんはいつも丈夫でようござんすね?
小母 へえ、奥さんも、この間中暑い頃にはチヨツトお悪うおましたが、近頃メツキリ元気におなりやした。
母親 (美緒に)小母さんの月給はチヤンチヤンと払つて呉れてゐるだらうね。
美緒 ……(返事をしない。もう母や妹に返事はしない決心をしてゐると見えて、しまひまで貝の様に黙つて、噛んでゐる)
恵子 聞えるわよ、母さん。
母親 大丈夫だよ。……でもこの年になつて、耳は遠いし、身寄りもあんまり無くつて、こんな事をしてゐるのは可哀さうな人だねえ。
小母 へ? そうどす。(母親の言葉の一部分が聞えたと見え、ニコニコして)こんなに耳が遠うなつて、もうあきまへん。……(美緒に養つてやる)もつとも、日に依つて、ズツと良く聞える時もあるのどす。変どすえ、なあ奥さん。
美緒 ……(うれしさうにコツクリ)
母親 (美緒に)なんて言つたつけ、気胸療法とかも駄目だつたつて? ……さうかねえ、そりや、その医者がまづかつたんぢや無いかしらねえ? 一回二十円取られて二回やつたさうぢやないか。四十円無駄をしたわけだねえ、ホントに。……さうすると、今やつてゐるのは注射だけなのかい? ……すると、なにかね、お医者の方は、まあ一言で言ふと、差当り手当なんぞしないで、いえさ、見離したとか何とか言ふ事は無いだらうけど、でも此の間来てゐた先生は、たしか四人目の人だろ?……どう言ふのかねえ? 五郎さんが、あんまり気むづかしい事を言ふんで先生達が手を引いてしまふんぢや無いのかねえ?……(美緒が石の様に返事をしないのでしかたなく小母さんに、少し声を大きくして)ねえ、小母さん!
小母 (耳の遠い人の常で、相手の唇の動きをマヂマヂ見てゐたが)へえ、さうですとも。お医者様のお薬なんぞ、あきまへん。ホンマの一時押へだけで、あんなもんで病気は治りまへんえ! 気をシツカリ持つて、おいしい物をターンと食べる事どす。どうしてもお薬飲みたければ、縞蛇を黒焼きにして食べたらよろし。
恵子 蛇を? まさかあ! (ゲラゲラ笑ひ出す)
小母 (自分も笑ひ出しながら)お笑ひやす! でもな、わてが十七の時に肋膜炎患うて、蛇食べて治つたんですよつて、それが何よりの証拠どす。ハツハハ、でもな、ロクマクエンは治つたが、治つた時にほ、髪の毛えが、みんな抜けてしまうてな、キレーに丸坊主になりましてな。尼さんが一人でけました。
恵子 (笑ひながら)そんな非科学的な物、駄目よ小母さん。
母親 蛇なんて、迷信だよ、あゝ。
美緒 ……(小母さんに向つてニコニコしながら、その顔を撫でゝやる)
小母 そうどすえ! えらい精の強いもんどす。五郎はんは、わてがさう言ひますと、目に角を立てゝ怒らはりますけど、わてが生き証拠どすよつて。……もつとも、五郎はんが反対しやはるのは、奥さんを丸坊主にしてしまうのがお嫌やなんどす。わてにはチヤーンとわかつてゐますがな! なあ奥さん。
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会話はトンチンカンなまゝで進行する。母親も恵子もそれから美緒までが、それぞれの気持で笑ふ。当の小母さんも美緒が笑ひ出したのが嬉しくつてゲラゲラ笑ひながら、食物を美緒に養つてやりつゞける。
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小母 さうどすえ! 奥さんが尼さんになつてしまはるのを、五郎はん、いやがつておいやすのや!
母親 ハツハハ!

     2 浜で

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 もともと第三流どころの海水浴場で、殆んど設備らしい設備も無い海岸なのが、今は既に真夏も過ぎて、さびれ切つてゐる。
 上手は街道、下手は海、中央は雑草の生えた砂丘が起伏して下手奥の波打際に開いてゐる。街道に添つて、既に店の人の引上げてしまつたヨシズ張りの茶店の一部が見える。時々ザーザブンと低く響いて来る波の音。
 五郎が先刻のまゝの姿で、腕組みをして砂丘の下にあぐらをかいて坐つてゐる。少し離れて長髪に上衣を脱いでシヤツにズボンだけの尾崎が、右手にビールのコツプを持つたまゝ立つて、砂丘の中腹に置かれたスケツチ箱の上の、描きかけのスケツチ板をためつすがめつ眺めてゐる。スケツチ箱の傍には飲み倒されたビール瓶が五六本と、食ひかけのイナリずしの包みなど。それまで五郎と共にビールを飲み、話しながらスケツチをしてゐたらしい。此の男は、金貸しが本業だが、画商みたいな事もやり、暇があれはムキになつて画を描かうと言ふ男で、金貸しと言ふ商売柄から来るズルイ所は時々覗くけれど、全体の人柄に稍々とぼけた様な愛嬌があり、もともと好人物なのであらう。とにかく、坊主頭にしてギリギリに疲れ切つて、特に今イライラときびしい顔付になつてゐる五郎と並べて見ると、尾崎の方がよほど本物の洋画家らしい。
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尾崎 ……こいつは、どうも、しくじつたかな? (コツプのビールをカプツと飲む)
五郎 ……(考へ込んでゐる)
尾崎 若干、最初にこの、構図を取りそくなつたらしいや。
五郎 ……(気が付いて、スケツチ板の方を見る)なに、さうでも無いだらう。
尾崎 君がビールなんか仕入れて来て呉れたりするのが良くない。飲んでたら、変な絵になつちまつた。ハツハハ。(ビールの所に戻つて来て坐る)……少しやつたらどう。
五郎 いや、俺あ、いゝんだ。
尾崎 だつていくらも飲んでないぢやないか。たまにや君も少しやつて、ポーツとしないと身体が続かない。
五郎 いや、今あまり飲みたくないんだ。こつちの方がありがたい。(言ひながらイナリずしをつまんでムシヤムシヤ食ふ)考へて見たら昼飯が未だだ。
尾崎 大変だなあ君も。……そいで奥さん近頃どんな具合なんだよ?
五郎 う?……うん。……
尾崎 そんなにいけないのかね?……いや、毛利さんがこないだ言つてゐた。久我んとこの病人の具合が良いか悪いかを知るにや奥さんに逢つて見る必要は無い。久我の眼付きを見りや一遍にわかるつてね。……痩せたよ君は。(ビールを飲む)
五郎 ……あのね尾崎君、……何度も同じ事ばかり言ふやうで済まないけど、もう半月、この月末まで待つてくんないかなあ。頼まあ。月末になれば何とかして、と言つても勿論百五十円そつくりとは行かないが、溜つてゐる利息の分と、元金の中からせめて五十円でもなす[#「なす」に傍点]やうにするから――。
尾崎 なんだい、君あ先刻から、その事にばかりこだはつてゐるが、僕は今日は催促に来たわけぢや無いとこれ程言つてるぢやないか。そりや勿論、多少でも何とかして貰へれば、僕の方も目下融通が付かなくつて弱つてゐるんで大助かりだが、今日の主眼点はそれぢや無いんだ。
五郎 ……でも水谷先生の方の話は、とにかく、駄目だ。
尾崎 それが僕にはどうしても解らないんだよ。なるほど、久我五郎とも言はれた者が、今更水谷先生の門をくゞつてペコペコするのは不愉快なやうに思ふかも知れないが、水谷先生と言ふ人は、別にそんな人ぢや無いんだよ。それに何といつてもあれだけの大先輩だもんなあ。そりや君としては、今こんな風に言はゞ落目になつてゐる所を、一時君が仕事の上ではまるで弟子の様にしてゐてやつてゐた毛利さんなどの口利きで、水谷先生の所に出入するのは、いやかもわからない。それはわかるよ。毛利さんはズツと以前から水谷先生の所へ行つてゐたんだから、今度君が行けば、どうせ一応は毛利さんの下風に立たなきやならんだらうからね。しかし、そんな事を言つてゐた日にや人間どうにも運命の打開のしようは無いと思ふんだ。毛利さんだつて君んとこに通つてゐた頃に較べると偉くなつてゐるよ。良い画を描くやうになつたぜ。
五郎 ……毛利は、以前から良い画を描いてゐたよ。
尾崎 そら、君は直ぐにそれだ。……大体毛利さんがこの事では君宛に何度手紙を出しても君はロクに返事も出さないさうぢやないか。そいで、手紙ではラチが開《あ》かないと言ふんで、こうして説き付けに僕をよこしたりすると言ふのも、以前から受けた好意を徳としてゐるからだよ。そんな風にこじれて受取るのは、どうかと思ふんだ。
五郎 ……そいだけの好意が有れば、自分でやつて来たらどうだい? 俺達が東京から此処へ引越して以来、毛利は見舞ひに一度も来やあしないぜ。いや、うらんでゐるんぢや無い。画描きも羽織りが[#「羽織りが」はママ]良くなれば忙しくなるのは俺だつて知つてる。その点はむしろ、俺あ毛利のために喜んでゐる位だ。
尾崎 嘘だ。君はひがんでゐるんだ。そいぢやあんまりケツの穴が小さくは無いかなあ。毛利さんの方ぢや、いつも此方の事をシンから心配してゐるんだよ。
五郎 ……(すなほに、毛利に対して反感を抱いた事を自ら恥ぢて)うん、俺あケツの穴が小さい。近頃益々偏狭になつて来たやうだ。俺あなさけ無いと思ふ事があるよ。……でも仕方が無いんだ。……毛利にはよろしく言つてくれ。好文堂の絵本の仕事だつて毛利が見付けて呉れたんだから、俺が毛利の事を少しでも悪く思ふのは間違つてゐる……俺あ、ホントにありがたいと思つてゐるんだ。それだけで沢山だから、どうかソツとしといてくれと言つてくれ。
尾崎 ……さうかなあ。しかし……結局君がそんな風になるのは画が本当に描けないからだよ。だから、水谷先生の所へ行つて何か仕事を貰つて、金が出来りや道具も買へるし、暇も出来るし、自然――。
五郎 いや、金の問題ぢや無いんだよ。……画が詰らなくなつちやつたんだ。
尾崎 ば、ばかな! 君が、そんな――。
五郎 信じられないだらう。以前には画の虫と言はれた俺だもんなあ。でも事実、さうなんだ。……美緒がね、……実は美緒の事ホンの此間まで、俺は彼奴の病気は治るもんだ、どんな事があつても治して見せると思つてゐたんだ。どう言ふわけだか俺はさう思ひ切つてゐた。……いや、今でも俺はさう思つてゐるけど、でも近頃、ホンの時々、フツと、美緒はもう駄目になるかも知れない、どんなにしてやつても此奴は死んでしまふかもわからないと思ふ事があるんだ。……以前には唯何となく、俺がこれだけ大切にしてゐる奴が死ぬなんて筈は絶対に無いと思ひ切つてゐた。そいつが、つまり俺の本能的な信念が、少しグラついて来た。
尾崎 ……だつて、その事と、画が描けないと言ふ事に、どんな関係が有るんだい?
五郎 ……俺も始めは、関係なんか無いと思つてゐた。……ところが有るんだね。有る段ぢや無い、美緒の事も画の事も同じ所から来てゐるんだ。……つまり何と言つて良いか、生命の力と言ふのかねえ……医学だとか人間の意志の力だとか言つたものも含めてのだよ、この生命と言つたものに対して俺が無意識の裡に抱いてゐた信頼と言ふか信用と言ふか、勿論今から考へると妄信だね、……実は俺は子供の時から、人間がホントに一生懸命になれば、ホントに火の様になつてやれば、どんな事だつてやれない事は無いと言ふ気がしてゐた。それこそ地球を背負
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