である。草にかくれて姿は見えない。
歌は二度繰返へされる。
その二度目の真中あたりで、利男が水着姿で、街道の方からスタスタやつて来る。
唄声に近づくに従つて足音を忍ばせるやうにして、砂丘の下で立停り、ジツと唄を聞いてゐる。
唄が終る。
[#ここで字下げ終わり]
利男 ……京子さん! 京子さん!
京子 ……(草の上に上半身をムツクリ起して)あゝ、利男さんでしたの? 誰かと思つた。……(海水帽に水着一枚。肩から浴衣を羽織つてゐる)
利男 (チヨツトまぶしさうにしながら)しばらくでした。兄さんと御一緒ですつてね?
京子 いついらつしたの? 御見舞ひ?
利男 えゝ。たつた今来たばかりですよ。あなた方が泳いでゐらつしやると聞いたもんですから……。比企さんは沖ですか?
京子 もう海は冷たくつてよ。私は後でボートに乗るの。
利男 ……相変らず良い声だなあ。
京子 あら、聞いてゐたの? お人の悪い。
利男 少しボーツとしましたよ。毎日ガチヤガチヤと仕事に追はれてゐるもんだから、たまにこんな所に来ると、何だか変な具合になつちまひましてね。(京子に並んで腰をおろす)
京子 御就職きまつたんですつてねえ? おめでたう。
利男 さうさう、この前お目にかゝつたのは、学校卒業したばかりの時分でしたつけ。いやあ、どうも月給の高を考へると、おめでたうなんかと言はれると泣きたくなる位のもんですよ。(でもニコニコしてひどく幸福さうである)
京子 そんな事無いわ。はじめは誰だつてさうなんでせう? でも男の方はいゝわね、学校出ると直ぐさうして世間に出られるんですもの。女なんか、何かといふと、お嫁の話よ。いやんなつちやう。(口先では相手の話に乗つて行つてゐるが、実は利男とこんな話をするのに大して気乗りはしてゐない)
利男 でも京子さんなんか、兄さんは良い方だし、自分でもさうして勉強なすつてゐるし、そんな事はないでせう。
京子 さうでもないわ。いくら唄の勉強をして、自分だけは本気になつて一生やる気でゐても、それだけの才能が有るか無いか……無ければそれつきりでしよ。そん時になつて急にあわて出してお嫁に行く気になつても、もうオバーちやんになつちやつて、貰つてくれ手なんか居ないと。フフ。
利男 そんな事は無いでせう。
京子 (高飛車に)利男さんもそろそろお嫁さんの話ぢやなくつて? さうでしよ? いゝわね、どんな美人でも選り取り見取りつてわけね。
利男 (頭を掻きながら)なんだ、ひでえなあ!……でもなんですね。見合ひの写真なんてものも、次から次と見せられると、なんだか変な気がしますね。
京子 どうして? そんな事無いでせう? だつて男に取つて得意の絶頂ぢやなくつて? さうぢやありませんか、この中からどれでも自分の気に入つた美人を選び出しさへすれば、それが一ヶ月後には自分の物になるんですもの。まるで英雄になるんですもの。これがエゝノウと言ひさへすれば、自分の前にチヤンと御馳走が並ぶんですものね。
利男 それが不愉快なんですよ。だつて、大概まあ一人一人、必ずしも美人では無いとしても、とにかく何処へ出しても耻かしくない娘さんでせう? それを次から次と、まあ、たかが写真だといへば、それまでなんですけれど、とにかく舐めまはすやうにして見て行くんです。……正直言つて、男が見合ひ写真を見ながら、腹の中で想像することなんか、どんなに醜悪なものか、とても人前で言へたもんぢやありませんからね。
京子 どうしてそれが醜悪なんでせう? 第一、その娘さんの方で、そんな風に見て貰ふ事を望んでゐるんぢやなくつて? 写真に限りやしないわ、現にその人を見ながらなら尚更ひどい所まで考へられる訳ぢやなくつて? それでいゝんぢやないかしら。
利男 そりや……なんですよ……その、愛情と言ふか恋愛と言ふか、そんな感情がともなつてゐる場合なら、それでいゝんですよ。しかし、いきなりそんな失敬な――。
京子 同じ事ぢやなくつて? それに、いきなり初めて見てその瞬間に恋愛なんて、そんな手の込んだ気持なんか起りつこ無いわけでしようし、無理だわ。
利男 それぢや、なんですか、……それぢや、えゝと――京子さん、現にですね、あなたがさうしてゐらつしやる所をですね、僕がですよ……僕が見てですね、どんな失敬な事を考へてもいゝんですか?
京子 (自分の半裸の身体を見廻して)……さうね、……どうぞ御自由に。……だつて、あなたの頭の中まで私が支配するわけには行かないんですから。……でも、私の方だつて、あなたがさうしてゐらつしやる所を見て、どんな事考へることだつて自由ですからね、相みたがひだわ。
利男 ……(立ち上つてモヂモヂしてゐる)そんな! そんな事言へば――。
京子 アツハハハ。ハハハ。
利男 ……そいぢや、京子さんは、結婚の前提としての恋愛と言つたやうなものは否定なさるんですかねえ?
京子 否定なんかしないわ。でも、私がもしも結婚するとすればお見合ひをタツタ一遍だけして、決めちもうわ。もしかするとお見合ひもよしちやつて、いきなりまるきり知らない男の人の所へ行くかも知れないわね。同じ事ぢや無い? 恋愛から入つて行つてもさうで無くつても、そこから先きに何が在るか、どつちにしたつて前以つて判りやしないんですもの。
利男 さうかなあ……。
京子 さうよ。第一恋愛なんかメンド臭いわ。私のお友達なんかでも恋愛してゐる人も沢山ゐるし、恋愛から結婚した人も何人かゐるけど、見てるだけでもモタモタして来るわ。……こんな風に考へてゐるの、私だけぢやないの。同じやうなのが、随分ゐてよ。私たちみたいな変に半端な教養を持つた女なんか、顔でこそ何か理智的みたいな風をしてゐるけど、実は近頃殆んどこんな風に思つてゐるんぢやないかしらんと思ふわ。
利男 ……いやあ、なんぢやないですか、もしかすると京子さんは自分でその恋愛をしてゐるもんだから、わざとそんな事を言つてはぐらかすんぢやありませんか?
京子 私?……さうね、さうだとありがたいけどな。
利男 ……あなたは、久我さんの事など、どんな風に思つてゐるんです?
京子 久我さん?……五郎さんのこと?
利男 さうです。
京子 才能のある画家だと思つてゐるわ。それに奥さんが御病気でお気の毒ね。
利男 僕の言つてゐるのは、そんな事ぢやありませんよ。あの人の性格のことですよ。
京子 ……暗いわね。あの方を見てゐると私時々、ゾツとすることがあるわ。近頃益々さうぢやない? それに、ひどい独断家ね。良い意味でも悪い意味でもいつもドグマしきやあ持つてゐない人だわ。現に奥さんの病気だつて、もしかすると、あんな事をしてゐるよりも、奥さんだけサナトリウムにでも入れた方がいゝかも知れないでせう。だのに久我さんはそんな風には絶対に考へられない人なのよ。もつとも奥さんだつて、現在のやうにしてゐる以外の事は考へられないでせうけどさ。だから、それの良し悪しを言つてゐるわけぢや無いの。なんか、運命と言つたやうな物を感じるわ。結局、自分と言ふものをローソクみたいにして、そのローソクに火を附けて燃してゐる人よ。その火の光で人を見るんだわ。……あのまゝでだんだん行つてゐると、下手をすると気が変になるんぢやないかしら。……でも久我さんの持つてゐる魅力もそのせゐかもわからないわね。なんか恐ろしく執念深い動物電気みたいなもの。あの方の画だつてさうだわ。どす黒いみたいな情熱ね。
利男 ……いや、そんな事ぢやありませんよ。僕の言ふのは、なんと言つたらいゝか、……久我さんの事を、もしかするとあなたは、かなり興味と言ふか、なんか関心を持つて見てゐられるんぢや無いかと言ふ気がフツとした事を憶えてゐるもんですからね……。
京子 ……私が? へえ、さう。さうかしら?
利男 あの人は、僕の姉の亭主ですがね、今僕が言つてゐるのは、自分の姉の味方をして、なんか心配になつたりして言つてゐるんぢや無いんですよ。……僕、自分の気持から言つてゐるんです。自分でそいつを知りたいからなんですよ。
京子 ……さうね、さう、嫌ひぢや無いわね。でもなんか、あぶない様な気もするわね。それに何だかあの方は古いわ。もつとも、私は古いと言ふ事自体は好きだけど……。
利男 ……実はさつきも其処まで来てあなたの歌を聞いてゐながら、もしかすると、あなたは歌を唄ひながら久我さんの出て来るのを待つてゐるんぢやないかと言ふ気がチラツとしたんですよ。いや、こりや僕のチヨツトした空想だから当らないかも知れません。多分当つてゐないでせう。
京子 当つてゐるかも知れなくつてよ。フフフ。とにかく、今此処に五郎さんがヒヨツコリやつて来ると、なんだか面白いわね。……利男さん、私がね、あなたのお嫁さんになりたいと言つたら、あなた、どうなさる?
利男 えゝ? そ、そ、そんな――。
京子 私、本気で言つてゐるのかも知れなくつてよ。ホント! どうなさる? 貰つて下さる?
利男 そ、そ、それホントですか? ホントなら、僕あ――。
京子 ホホホホ。フフ……だからさ。どうなさるのよ?
[#ここから2字下げ]
この時、出しぬけに砂丘の向うから五郎が出て来る。酔つた顔に何か戸惑ひした様な表情を浮べて、家の方角を振り返り振り返りしながら、ボンヤリしてゐて、此処の二人が居る事など全く知らずにゐる。
足音で京子が振り返り、次に利男が五郎を見る。
[#ここで字下げ終わり]
京子 ……まあ、五郎さん。
利男 どうしたんですか?
五郎 うん……(まだ家の方角を見る)
京子 ホホホホ。ハツハハハ。
五郎 なんです? どうしたんです?
京子 ……いえね、あなたが此処へ来たら面白いと話してゐた所だつたの。そいで――。
五郎 さうですか。……(此の場の会話には関心が持てないらしい)
利男 どうしたんですか? ひどくボンヤリしてゐますね。
五郎 (やつと表情らしいものを動かして)うん?……うん。なあに、ハハ、美緒の奴に家を追ひ出されちやつてね。わけもなしにヂ[#「ヂ」に「ママ」の注記]レヂレと怒り出すんだ。病人の頭の考へ出すことなんか判らんよ。ハハハ。
利男 熱でも出たんぢやないかな?
五郎 それさ。……心配させやがる。
利男 赤井さん達はもう帰つたんですか?
五郎 いや、まだ居る。
利男 だいぶ飲みましたね?
五郎 うん、頭がガンガンしやがる。三日ばかりロクに寝てゐないしね。
利男 ぢや、やつぱり姉さん悪るかつたんですね?
五郎 ……一時はもう駄目かと思つた。まるでもう死に物狂ひだ。比企さんが来てくれたんで、ありがたかつた。でも、もう大丈夫だ。いつでも一定の周期があつて、つまり峠だな……そいつの昇り坂の所では、どんなに抵抗しても人間の力では到底駄目だ。自然に頂上に来るのを待つより手は無い。やり過すんだね。下り坂にかゝると、うつちやつて置いても、多少無理をしても、平気だ。ケロリと落着いてしまふ。やれやれと言ふ所だ。あゝあ!
利男 実際、すみませんねえ。五郎さんにばつかり苦労させて。
五郎 なんだよ?……利ちやんが、そんな風に言はなくつてもいゝよ。僕は辛いとも何とも思つてやしない。……美緒が変なことにでもなると、多分、もう俺も駄目になるかも知れんからなあ、つまるところ自分が可愛いゝから、かうしてゐる様なもんさ。
利男 ……母さんが、もう少しシツカリしてゐて、代り合つて看病でもしてくれるといゝんだけど……。
五郎 いやあ……いやね、看病はいゝから、ただ美緒に変なこと言つてくれないと、ありがたいけどね。
利男 ……この前も、なんか名古屋の家の話をしたんぢやないんですかね?
五郎 うん、チヨツト。
利男 やつぱりそれで姉さん悪くなつたんだな?
五郎 いやいや、さう言ふ訳もないが……。
利男 僕があれ程反対しても母さんは言つちまふんだからな。大体、名古屋の財産なんか、いくらの物でもありやしないし、初めから美緒姉さんの物なんだから、今更僕等がヤイヤイ言へた訳のもんぢやないんですよ。事実僕なんぞ、そんな物無くたつていゝんだ。そりや金は欲しいけど、それは姉さんの病気が治つて
前へ
次へ
全20ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング