てくれんかな。
せい はあ、でも、この人が、みんな、なにしちゃって――
双葉 お汁が有るから――
せい いいわフーちゃん、私がやるから――(鍋から椀に汁をよそいはじめる)
欣二 出て行けよ。おい――(男、頭をさげる)
柴田 (欣二が男に対して出しかけた手をとめて)だが、今ごろ、出て行っても、この人だって困るだろう。まあま――
欣二 いいんですよ、こんな奴あ、犬小屋かガード下で寝りゃ、たくさんだ。(相手を睨んでいたが、やがてスタスタ奥へ歩いて行き、壁に立てかけてある梯子に登る)
三平 どうするんだ? ……まあまあ捨てとけば、よい。なにはともあれ、少しこの腹を拵えんことにはねえ。ハハ(圭子に)さあさ、どうぞあなた、おかけになって、さあさ、(馴れ馴れしいインギンさで圭子を自分の傍の椅子に招じて、丁度その時、せい子がよそって双葉が取次いで渡してやった汁の椀を、圭子に当てごう)さあ、どうぞ。
圭子 いえ私は、たくさんですの。(その間に欣二は梯子の上で、こわれて大きな口を開いた天井の穴に右手を突込んで、そこから酒の瓶を取り出す。その間に、せい子は一同の椀に汁をつぎ、双葉がそれを一つ一つ食卓の上に並べ置く。風景だけは夕食の風景になる。誠は黙って汁椀を持って口をつけながら欣二のしている事に眼を附けている)
三平 (その誠の視線を追って欣二を見て)おおお! えらい物が有るじゃないか!
欣二 ふん! (梯子を降りてノッソリ食卓の方へ)
せい (まだ男の前に立っている柴田に)さあ先生、おかけになって。
柴田 だがこの人を――
三平 (欣二に)どうしたんだね? ジンじゃないか。
欣二 入れといたんだ、あすこに。フ! (瓶のセンを抜く)汁はいらん、僕ぁ。(双葉の手からカラの汁椀を取ってそれに瓶の酒を注ぎながら若い男と父の方を見て)お父さん、よしなさい、そんな、よしなさいよ!(柴田がしかたなくノロノロと男のそばを離れて食卓の方へ来て欣二のそばの椅子にかける。せい子が、それに汁椀を渡す。双葉もせい子も既に汁をよそい終って自分達も椅子にかけて食卓についている)チッ! (椀の酒をグーッと一息に飲む。そして瓶の方を三平に渡す)
三平 おっとと! いただくよ、こりゃすばらしい! (と左手に持っていた汁椀の、まだ残っている汁を口をとがらしてガツガツと呑み込んでから、そのカラになった椀に酒をつぐ。その思い切って動物的な動作を一同が見守る。圭子は顔をそむける。誠は無関心な顔で汁をすする。せい子は目をふせる。双葉は子供のようにヒタと見入っている)
欣二 (低く)畜生!
三平 どうも、やあ! (一息に飲んだ酒に激しくむせる)プッ! うまい、クシッ! ゲエ! ハハハ。(やつぎばやにもう一杯ついで、再び口をとがらせる)
柴田 ……(汁椀を受取って一口すすりながらも若い男の方を見ている)どうも……どうしたと言う――?
欣二 (三平を睨んでいた眼を、その父に移して)いいんだ! よ、お父さん! 飲みなさいよ。これ、飲んでごらんなさい! (左手で自分のカラの椀を父の鼻の先へ持って行き、右手で酒瓶を三平の手からもぎ取って、ゴブゴブとつぐ)さあ!
双葉 駄目、お父さんは!
欣二 いいじゃないか、なんだい! そら、お父さん!
双葉 駄目ですったら! (汁椀をカラリと置いて、中腰に乗り出して欣二の左腕を掴む)
三平 フッ! (ピチャピチャと舌を鳴らして二杯目の酒を飲みながら)ヘッヘヘ! まあまあ、ええじゃないか、ええじゃないか、飲みたくない者は。
欣二 ええじゃない事ぁねえよ。ヘッ! (言いながら、その椀の酒は自分で飲んでしもう。そのカラの椀を今度は誠の方へ差し出して)兄さん、ひとつ。
誠 いいよ、僕ぁ。(汁をすする)
欣二 うまいよ!
誠 僕は飲めない。
欣二 飲めない? 冗談言っちゃいけない。(圭子に)じゃ、君ひとつ。
圭子 ありがとう。でも――
欣二 遠慮するなって。
圭子 でも、今日は、駄目なの。
欣二 へえ? ああそうか、ヘッヘヘ、でも一杯位いいだろう?
双葉 圭子さん、駄目だって言っていらっしゃるじゃないの兄さん! (欣二の左腕を掴んでいた手がすべって、欣二のワイシャツが[#「ワイシャツが」は底本では「ワイシャッが」]めくれて、その二の腕に、ガーゼでおさえてバンソウコウを張った所が現われる。圭子の話を思い出し、それをジッと見て)……なあに、兄さん?
欣二 ……なに、チョット、すりむいた。
双葉 ちい兄さん――私たちが、ちい兄さんの事、どんだけなにしているか――
欣二 離せよ。(腕を振りもぎって)フッ、アラアの神様か。まあいいよ。(立って若い男の方へ行く)おい君、飲みたまえ。(椀を差し出す)
男 ……(受取らず、一歩しりごみして、ヒョックリ、頭をさげる)
三平 食べる物は、もう無いのかね? いくらなんでも、これだけじゃ、どうも――
せい ですから――あの――明日になればなんとかいたしますから。
欣二 (男に)いいから飲めよ。(男又しりごみして頭をさげる)なんだ? どうしてそうペコペコするんだ? (男更に頭をさげる)
柴田 (三平に)また、なんだ、近頃、この順々に配給が悪くなって来ているから――
せい ここんとこ押せ押せに、お尻が全部集って来て――欠配が二十四五日続いているもんですから。――もう少し早いと闇市でチットはなんか買えやしないかと思うんですけど、なんでしたら私一走り――?
三平 どうする気だろうなあ政府は? これじゃ大部分の国民は遠からずして餓死じゃね。食物が間に合う頃になったら、金が無くなってら。やっぱり、のたれ死にか。助からんねえ。阿呆な戦争をやらかしたもんさ、全く!
欣二 (男の顔を見たまま)ヘッ、ガウチョが何を言う! おい、飲めよ。よう! ……(不意に男の頬をピシッとなぐる。なぐられてもポカンとして、頭をさげるのも忘れている男。それを見て更にカッとした欣二が、更になぐる)こら! なぜ、そんなに、ペコペコしやがるんだ! (又なぐる)
双葉 兄さん!(走り寄って兄の手を掴む)なによ、なにするの!
欣二 野郎! フー公、これなんだと思う? え? これ、なんだと思う?
双葉 (怒って涙ぐんでいる)なぜ、そんな乱暴するの!
欣二 (歯をバリバリ噛んで)よく見ろ、こいつを! え? ナリを見ろよ。眼つきを見ろよ。かかって来たら、どうだ? くやしかったら、俺にかかって来たら、どうなんだ? ポカーンとして、ヘッ!(双葉に押されて食卓の方へ)
双葉 ですから――だから――そんな、ちい兄さんが乱暴する事はないじゃないの!
三平 まあまあ、じれたもうな。わかる。わかるけれども、アラアの神は曰く、一切は過ぎ去る。すべてはホンのいっときさ。アッハハハ。
欣二 なにが、アハハですよ? 一切が過ぎ去ったりして、たまるもんけえ。俺達ぁ、負けるべくして負けたんだ。(誠に)そうだろう兄さん? そうだね?
誠 …………。
欣二 え? 兄さん達から言やあ、そうなんだろ? そう言ってたね、こないだ? ……なぜ返事をしないんだ?
誠 いいよ。
欣二 そんな、変なふうに笑うのは、よせよ。
誠 お前は酔っている。
欣二 酔うなんて言うなあ、こんなんじゃねえよ。兄さんこそ酔っているんじゃないか、共産主義と言う奴にな。ヘヘ、近頃左翼ファッショと言う言葉がはやってるが、知ってる? 高慢な顔をして、他人の事は何でもかんでも批判する。そいで、てめえが批判されると忽ちむくれちゃって、そんな事を言う奴は反動だと来る。傲慢に毛が生えちまった。反動とさえ言やあ、人がビックラすると思っていやがる。いまどき言葉でレッテルを貼られてビックラするような人間が一人でも半人でも居ると思っているのかね?
三平 うむ、そりゃ、なんだなあ、(誠に)たしかに君達みたいな連中が、わけも無しに人を教えようとする態度にとっつかれている事は、事実だなあ。十七八年前の左翼の盛んだった頃は、これ程じゃなかった。あの頃よりも全体に左翼の質は落ちたらしいね? (誠答えず)
欣二 叔父さんは引込んでろよ。あなたなぞに、なにがわかる。叔父さんは、闇屋相手にトランプばくちでも打ってりゃ、そいでいいんだ。
三平 私が、いつ、ばくちを打った?
欣二 知らないと思っているの僕が? じゃ言ってやろうか、池袋のトンガリ松や、渋谷の原正なんて、どうしたい? (三平答えず)ハハ、いいさ、いっちょう行こう。(三平に酒を差す)
柴田 ……人の事はどうでもよい。欣二、お前は少し自分の事を考えたら、どうかな? お前は、どんなわけで、そんな風になってしまった?
欣二 ……全く、人の事はどうでもいいんですよ。お父さん、あなたは少し自分を考えたらどうです? なぜ、お父さんは、そんな風に痩せこけてしまった?
双葉 ちい兄さんの、バカ!
柴田 私は冗談言っているのではない、まじめだ。……お前は一二年前迄は立派な青年で、まじめ過ぎる程まじめな――それがこんなふうになって――
欣二 ダス・イスト・アイン・メルヘン。僕は冗談を言ってるんじゃない、まじめです。あなたは一二年前迄は、温厚篤実な立派な学者で、学生達からは人望が有って――それがこんなふうになってと――いまだに温厚篤実な学者かあ。なあんだい!
誠 (黙々として聞いていたが)……欣二。
欣二 …………?
誠 僕の言うのを聞いてくれ。……僕が何か言うとすぐお前のカンにさわるらしいから、なるべく俺ぁ言わんようにして来たが、今日は、まともに俺も言うから、聞いてくれるかい?
欣二 ああ聞くよ。酒の肴《さかな》に説教もオツだ。
誠 (相手の嘲弄の調子を無視して冷静に)すぐそんなふうに取るのは、君のまちがいだ。……なるほど僕たちに、すぐ、人を上から眺めおろして一段高い所から物を言う、実に薄っぺらな傲慢さが、これまで、いくらか有った。それは認める。今でもまるきり無くなってはいない。それは薄っぺらさだ。僕らのまちがいだ。僕らは、全体としてそいだけ力が弱くなっちゃってるんだ。衰弱したんで、言葉の上だけのウルトラになっちゃってるんだ。気が附いてる。……誰より僕ら自身気が附いて、早くそれを治さなきゃならんと思ってる。‥‥今俺の言うのは、説教じゃない。一段高い所から見おろして君を批判しようとしているんじゃない。
欣二 説教強盗と言うやつは、どろぼうに入られない方法を人に教えながら、どろぼうをした。
誠 (相手の調子に乗らず、まじめに)もともと、君は頭が良い。鋭い。いや、そんな事よりも君ぁ俺の――たった一人の、大事な弟だ。……小さい時分の事を僕ぁ思い出す。お前はシンはやさしい子だったがカンがつよかった。ほかの子がチットでも不当な事をするとお前はすぐにかかって行った。正義派だった。とてもそりゃ――そいでお前がやっつけられると、俺が仇うちをしてやった。思い出すんだ俺ぁ。……その気持で――あの頃と同じ気持で俺ぁ今言ってる。説教だなぞと思ったら、そりゃお前のヒガミだ。……そいで、欣二、こうやって、みんなが、こんなことになって、いろんな事を歪められてしまって、苦しみながらだ、こうしてみんなが――いや、この内の者とは限らないんだよ。世間のみんながだな、のたうち廻っているのがだな、これをなんだと君は思う? え?……なんとかして立直ろうとしているんだと俺は思う。建て直そうとしている姿なんだと思う。そうじゃないのか? そりゃ、大変だ。チットやソットの事で立ち直れる筈はない。あっちを見ても、こっちを見ても、やりきれない事だらけだ。踏みつぶして――お前の言うように、踏みつぶしてしまえと言う気のする事だらけだ。メチャメチャだ。どこへ行くか、どうなるか、わからない。真暗だ。……そいでいて、それであっても、これは立直ろうとしている姿なんだよ。そうじゃないだろうか?
欣二 わかった。そいでお前も立直れだろ? わかってるよ。その次ぎに、勤労階級の側に立てと来る。その次ぎに唯物弁証法と来る。ああ、立直ろうとも! 勤労階級の側に立つとも! 弁証法結構だ。なんでもない。半日も、いりゃしない。一時間だけ有
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