りゃ、たくさんだね。わけないよ、そんなものになるのなんか。しかし、そうなったからって、どうなんだ? ヘッ、俺に言わせりゃマルキストなんか無邪気なもんだ、いやマルキストにしてからが、自分を動かしているものが、ほんとは、マルキシズムなんかとは縁もゆかりも無い、もっと根深い所に有ることに気が附いていないね。
誠 じゃ言ってごらん。君は気が附いてるのか?
欣二 附いているとも。んだから、三半規管をよこせ!
三平 ハハ、三半規管たあ、妙な事を言い出した。
欣二 蛙の耳の中から三半規管をとってしまって水ん中に入れると、奴さん、上か下か方角がわからなくなって、むやみに下へ下へともぐって行ってしまって、しまいに窒息して死んでしもうそうだね? フフ、おもしれえだろうと思うんだ、そいつを、はたから眺めていたら。しかし、また、当の蛙にとっちゃ、なにがつらいと言って、こんなたまらない事ぁないだろうと思うね。なにをメドにして、どっちい行っていいか、わからないもんなあ。中にゃ、自分から窒息して死んでしまおうと思って、下へもぐったつもりの奴が上へ出てしまって助かったりさ、ハハ、とにかく、いくらドデン返しを打って見たって要するに、これでいいと言う事にゃ永久にならないもん。
三平 一体、そりゃ、なんの事だ?
欣二 だからさ、要するに、その時その時で、出たとこ勝負で、茶にして暮すほかにしょうがねえだろうと言うんだ。
三平 ハハ、人間と蛙は違うよ。
欣二 違うかね? どこに違うと言う証拠が有るの? ドデン返しをさんざんやらされて来たじゃないか俺達は? そうだろう? もう、いやだよ! もう、これ以上はごめんだ。くたびれちゃった。ほかのどんな事でもいいが、ドデン返しだけは、もう、いやだ! 眼がまわる。ヘドが出る。こらえてくれよう! もうドデン返しをしないと言う保証をよこせ! 信用の出来るメドを俺によこせ! そしたら俺ぁ、たった今すぐ、なんにでもならあ! (このあたりから、欣二も誠も、その他の人々の言葉も、速射砲のように早く、かんだかになり、かつ、互いに他の人の言葉を中途でたち切ったり、同時に言い出して、ぶっつかり合ったりする。最後に至るまでに、それは益々はげしくなって行く)
誠 お前の言っているのは違う! 日本がこれまでして来た戦争は侵略戦争だった。それをお前は見おとしている。むしろ、故意にそれを見おとそうとしている。それは――
欣二 見おとそうとなんか、してない! 俺の言っているのは、そんなこと同じ事じゃないかしらんと言うんだよ。眼かくしされていたんだ俺達ぁ。しかも、かんじんな事は、眼かくしされていると言う事に気が附かない。気が附きようがない。そりぁ、兄さんみたいに、かしこい人達は気が附くだろうけどさ、一般の俺達人民にゃホントの事ぁわからん、わからなかった。この先きも、どうすればわかるようになるか、そいつを俺ぁ――。
誠 そんな事ぁないよ。今、いろんな人が戦争を振返って見て、すぐに、だまされていた、だまされていたと言うが、そりゃ嘘だ。たくさんの人間が、そんなにかんたんにだまされるものじゃない。
柴田 そりゃ、あとになって自分の責任をごまかして他になすりつけようとする卑劣さだな。私には、まけいくさそのものよりも、日本人の中にこのようにたくさんの卑劣漢が生れたことの方が悲しい。この方はもう、どんな言いのがれをしても、追っつかない。日本国民は敗れた結果、劣等になったのではなくて、その前から劣等国民だったのだな。それを思うと私は――
誠 違うんです。僕の言うのは、誰がリードして戦さをはじめたかと言うことです。誰の利益のために、戦さがやられたかという事です。その連中が、だから、大多数の国民に目かくしをして、だましたというのは、或る意味ではホントなんですよ。今までのような社会機構の中では、大衆が一部の指導者からだまされたという事は、その大衆の無智や劣等さの証拠にはなりません。(欣二に)しかし君の言っているような意味では、これまでもこれからも、俺達が眼をハッキリ見開いていれば、それが見えないという事はあり得ない。
欣二 そいだけハッキリ見えていたんだったら、じゃ兄さん達の連中は、その侵略戦争になぜ反対しなかったい? 反対してそいつをよさせるように、どうしてしなかった?
誠 反対した。したが僕等の力が弱くって成功しなかった。
欣二 嘘だあ。
誠 嘘じゃないよ。
欣二 そうか、ハハ、牢屋の中で、戦闘機の部分品を拵えながらだろう? 同じ事だね。そうじゃないか。牢屋の外にいる国民だって、それをしなきゃ、生かして置いちゃくれなかったもん。現に、俺達が召集令を貰って、行くのはいやだって言って見ろ、ズドンだ。五十歩百歩だ。威張る事ぁないじゃないか。兄さんたちの連中が、自分達だけは戦争責任は無いなんて大きな口を叩くのは、猿の尻笑いだね。
誠 そりゃ俺達は力が弱くって、そのために、国民全般に俺達の考えを充分に植えつけ戦争に反対させる事が出来なかった。それほど俺達の力は弱かった。しかし弱いために押しふせられて公然と戦争に反対出来なかった事と、積極的に戦争に協力した事とは、違うよ。
欣二 違うで、いいさ。しかし、違っていたからって、そいで、俺達の、こんな風になり果てた状態がどうなっていたんだ? どうなるんだ? 同じじゃないか。ハハ、そのうちに又、世間の調子が変って来るとする。するとまた兄さん達は引っこんじもうよ。俺が太鼓判を押さあ。そして、後になって、俺達の力は弱かったから、うんぬん。
誠 それまでに、いや、そんな事の無いように、だから、俺達は大急ぎで世の中を作りかえなくちゃならんのだ。労働者農民の手で上から下まで固めた社会を作り出さなくちゃならんのだ。そうすりゃ、侵略戦争をする必要は無くなる。又侵略戦争を無くしてしもうには、そうする以外にない。
欣二 そら出て来た、侵略戦争を必要とするのは資本家である。結構だ。ところで、資本家が無くなる事があるかね?
誠 無くなって行くよ。必然的にそうだ。これから進歩的な人間が、そいつらを無くなして行く。
欣二 個人は無くなっても、蓄積された富そのものは無くならん。つまり資本は無くならん。
誠 人民がそいつを管理する。だからもう人民を搾り取り頤で使う力ではなく、反対に人間の生活を豊かに幸福にするための力になる。
欣二 ところで、いつになったらだい。そんな時が、いつ来るかね?
誠 今に来るよ。俺達の持って行きよう次第で早くもなりおそくもなるが、必らず来る。
欣二 ブラボー! ありがたいね、そいつは。ところで今此処にいる俺達をどうしてくれるんだ? いいかい兄さん! 頼むからこの俺を、ようく見てくんないか。さあさ、お代はいらねえから、よく見ておくれよ。なにさ、もう三十分すれば、飛び出して十中の十、必ずと言う所まで行ったんだ。そして結局自分をまるきり棒に振ったんだ、なんて事ぁ大した事じゃないよ。今から思うと、こっけいさ。お笑い草だね。そんな事ぁ、どうでもいいさ。見なよ、俺達のなくしたもなあ、命なんかより、もっと大きなものなんだ。……人を信用する気をなくしちゃったんです。わかるかい! 兄さんにゃ、わかりゃしねえだろう? こいつ、チョット、オツリキな、へんてこな加減のもんだぜ。そいつは、てめえがダラシがねえからと来るだろうが、そりゃまあダラシがないにゃ違いないからね、さよでございますかと言うだけで、そんで、しょうがねえもんなあ、ハハハ! ことわっておくが、オアズケはごめんだぜ。オアズケを見せびらかされたって、腹がクチくなるか?
柴田 (それを押しとどめて)もう、黙んなさい欣二! もういいから!
三平 ハッハハ、腹がくちくなるか、はよかった。全くだよ。そんな高級らしい事をガアガア言いたくなるのが、実はただ腹がへっているという原因から来ている。胃の腑のかげんです。栄養失調の結果の精神失調ですな。そんなもんさ人間なんて。はだかになってしまえば、とどのつまりが、食い気と色気。餓鬼です、要するに。こめんどうな理屈を言い合ったって、どうなるものかね。家庭の平和がみだれるだけ。ここの内じゃ、二人三人寄るとたちまち議論だ。久しいものさ。いいかげんに、よそう。とにかく今日はよしなさい。そんな事よりも、問題はこのすきっぱらさ。おせいさん、なんか、もう少し食べるもの無いかね?
せい ええ、でも、――
双葉 私は、だけど、ちい兄さん、いけないと思う。そりゃ私なぞ、誠兄さんの言うこと、よくわからない。よくわからないけど、こうして、つらい思いをして、働いて食べて行ってる貧乏な人達のために都合の良い世の中が来なくちゃいけない、来させるようにしようと言う考えの、どこがいけないの、え、ちい兄さん? 兄さんはただイコジになっているだけだわ。そうじゃありませんか。腹の奥の奥の奥では、ちい兄さんだって、それを望んでいるんだと私思うわ。そうじゃなくって? 私は――私、今とてもつらい、つらいけど、そいでも、まだこれで以前の時代より、良くなったと思うの。本質的によ。本質的に良くなる望みが出て来たと思うの。本質的に良くなった、良くなる望みが出来て来たという事を認めたら、その事から今差し当り起きて来ているいろんなつらい事位がまんして、こらえて行かなくちゃならないわ。そして、そんな事を自分の手で順々になおして行かなくちゃならないのよ。
欣二 双葉、そいじゃ、お前のその顔のキズをなおして見ろ。ヘッ、お前のツラなんか此方から見るとバケモノだぜ、いえさ、もう少し経ってお前に恋人でも出来てからだな、今言ってるような事が言えるか?
双葉 (カッと見ひらいた両眼からバラバラ涙をこぼしながら)言えますって! 言えるわ! これ位の事で、私――私は、生きて行くのよ。姉さんと違ってよ。私は生きて行く!
欣二 あいよ、俺も死にたかあねえのさ、昂奮するなよ。おい圭ちん、踊ろうか? (立って行き圭子の腰を抱く。圭子黙ってそれをふりほどく)ヘ! そう、かんたんにくたばって、たまるかい! (立ってフラフラと上手の方へ歩き出す)死に神の歯の間から、皮一枚の違いですり抜けて来たんだ。虫けらになっても、ドブドロを呑んでも、たとえ、ばけて出ても――なあおい! (丁度その前に来ていた若い男の顔に、自分の顔を突きつけるようにして言う。男はペコリと頭を下げる)
柴田 (誠に)だけどねえ誠、私の考えは少し違う。そりゃ、日本が始めた戦争が侵略戦争であった事にまちがいはないが、その戦争と自分との関係と言うか責任と言うか、それが少し違っている。(話しかけられている誠は、男のそばを離れてフラフラしながら室の奥へ行っている欣二の方を眼で追っている)……つまり、お前達の考えと私などの考えの違いは、結局お前達は今度の敗戦は自分達に関係の無い事、つまり軍閥や財閥が勝手に始めて勝手に負けた事件であって――つまり負けたのは自分達ではないと思っているのに反して、私などは自分も負けた、いや、自分が負けた事件だと思っている、つまりその違いから来ているようだ。
誠 しかしお父さんは戦争前から戦争中もズッと戦争には反対だったじゃありませんか。僕はそれを知っています。今更それをそんな風にお父さんが言うのは、封建的な、つまり「衆に先んじて憂う」とか「死屍に鞭打たず」とか言った式の観念的な倫理観のコンガラカッたものです。愚劣だ! 普通に良心と言われていますそれは。しかし、そりゃ、病気になって、過敏になってしまった良心――ザンゲ病――自分が犯しもしない罪を自分が背負ってむやみとザンゲする――と言うのが有るそうです、それだ。良心ではない精神さくらんの一種です。
柴田 いや、よく聞きなさい! 欣二が言ったようにお前達は自分達の考えが常に一番正しくて、他の思想は愚劣だとする。そしてすぐに人を見おろして断定してしもう。自分の気に入らぬ意見は忽ち反動だと言い放って人に口を開かせないじゃないか。つまり、お前達は理窟ではデモクラシイを標ぼうしながら、そしてファシズムと闘っていると言いながら、実際に於てお前
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