廃墟(一幕)
三好十郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)勁《つよ》さ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Si alguna vez en tu pecho, ay ay ay, mi carin~o no lo abrigas〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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人間

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柴田欣一郎
誠     その長男
欣二      次男
双葉      次女
富本三平
圭子
清水八郎
せい子
お光
浮浪者
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
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柴田一家が住み、食い、寝ているガランとした大きな洋室。もとはかなり立派な室の、現在では家具調度もなくなり、敷物もはぎとられた裸かの板敷の床。こちらに、仕事机兼食卓の大きな楕円形のテーブル。それを取りかこんで五六の椅子と腰かけ、奥の窓の下にテーブルと椅子。上手のズット手前に坐る式の勉強机。下手の手前の隅が炊事場になっていて、シチリンやバケツや薪や手斧や釜や急造の食器台など。あちこちの壁に寄せて、寝具と書籍が積みあげてある。上手奥の隅の天井が破れてポッカリと黒い大きな穴があき、天井と壁に裂け目が入っている。天井からさがっているシャンデリヤ。奥下手よりに出入口。上手の壁の手前に扉。その奥の壁に立てかけた梯子。
奥の窓から半焼けになった庭木の頭と晴れた夕空。
誰もいない。静かな中に、時々どこかでドシン、ドシンと鈍い音――間。

奥の出入口から清水八郎が出て来る。学生服の左腕が肩の所から無く、上着の左袖はポケットの中に突込んでいる。右手に重そうなフロシキ包をさげている。五六歩入って来てキチンと両足をそろえて立ちどまるが、誰も居ないので、あちこちを見る。――フロシキ包を床におろす。ハンカチを出して額の汗をふく。
同じ出入口からせい子が出て来る。抜けるように色の白い、しなやかな身体つきの三十前後の女。ひとえの着物にモンペ。美しい素足と泥だらけの両手。
[#ここで字下げ終わり]

せい ……(そのへんを見まわして)あら、どうなさいまして?
清水 ……はあ。
せい 先生は?
清水 は?
せい どっかへ、あの――?
清水 いらっしゃらないんです、どなたも――。
せい へえ。……ひるっから、そこでおよっていらしったんですけどねえ。(上手の壁のわきに敷きっぱなしになっている敷きぶとんを見る)――裏へでも、じゃ、おいでかしら、呼んでまいります。
清水 ――寝ていられると言うと、先生、まだやっぱり、おからだが――?
せい いえ、かくべつ、どこが悪いと言うんじゃないんですけど、なんですか、弱っていまして――私ども、心配しているんですけど――なんしろあなた、ちかごろの――(その時またドシンと響く音に気づいて)ああ! また、なすってる!(床を見る。上手の扉の近くの床板が三尺四方に切り取られて、そのあげぶたが横にずれたところから黒く見える床穴の所へ行き、下をのぞき込む)先生! あの、先生!――(床の下からユックリ何か答える声)
清水 何をなさってるんです?
せい 防空壕なんですの。
清水 防空? 今頃、また――?
せい 戦争中、先生、ご自分でお掘りんなったんですの、この下に、電燈を引いたりして。とても、そりゃ――。いえ、戦争がすんで、埋めちまったにゃ埋めちまったんですけど、いいかげんにしといたもんですからね、いつの間にか根太がゆるんでしまって、こら――(両足でドシドシ床を踏んで見せる)こんな。
床下の声 おっと! ど、ど、どうしたんだあ?
せい (笑いながら再び穴の下をのぞいて)ほほ。――(床下の声が何か言う)――いいえ、お客さんですよ。――(床下の声)はあ、学生さんで、あの――
清水 清水八郎です。
せい 清水さんとおっしゃるかた。(床下で何か言っている声)――そうです、あの、学校の方の。(床下の声)
清水 (床下へ向って)三年のBクラスの。――(床下で何か言う声)はあ、いえ、僕はいそぎませんから。
せい 腹んばいになってやっていらっしゃるんですから、急には出て来れないんですよ。まあどうぞおかけんなって。
清水 はあ。(しかし、立っている)――
せい こちらへ。(食卓のそばの椅子を指す)
清水 ――失礼ですが――奥さんでいらっしゃいますか?
せい はあ?
清水 いえ、あの、先生の――?
せい まあ!――ほほほ。
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(床穴から柴田欣一郎がニュッと首を出す。半白の頭髪を手拭でしばり、青白くむくんで、あちこちに泥を附けた顔が、キョトリと周囲を見まわす)
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せい (それを見て)まあ!
柴田 (泥だらけの手で、顔に取りついているクモの巣を払いのけながら)――やあ、清水君か。
清水 先生。(床の上の首へ向ってキチンと礼をする)
柴田 (きげんよく礼を返して)よく来たねえ。まあ、おかけ。
せい ぷーっ!
柴田 うむ!
せい ふふふ、ほほ! はは!
柴田 なんだい?
せい なんだじゃ、ほほ、ありませんよ! そのかっこうで、あなた、ほほ、そんな、落着いていらしたって――(清水もふき出す)
柴田 だってさ、しかたがない――(自分を振返って笑い出している)クラスの連中、元気かね?(穴のふちに手をかけてあがろうとする)
清水 はあ、まあ、やっています。
柴田 そりゃ結構だ。どっこいしょっと!(飛びあがるが、全身を支える力が両腕に無いため、再びスポッと穴に落ちる)おっと、と!
せい (近づいて)ごらんなさいよ。
柴田の声 やあ、どうも!(両腕だけをモガモガと穴から出す)ちょっと、手を貸してくれ。
せい はいはい。(その両手を掴んで引上げにかかる。清水も近づいて来て、右手を柴田のわきの下に入れて、両人力を合せて引上げる)
柴田 やあ、すまん。すまん。ふう!(息を切らしながら、穴のふちに坐って、肩や手足の泥を、穴の中にはたき落す。顔はむくんでいるが、からだがひどく痩せていて、自分の古背広を着ているのが、まるで倍も大きい人の借着をしているようにパクパクである)
せい (いっしょに泥を落してやりながら)チョットゆだんをすると、すぐに! また後で、熱を出したりなすったら、どうします?
柴田 (まだハアハア言いながら)なに、たいした事あない。
せい 先生はたいした事はなくっても、双葉さん、また、どんだけ心配なさるか――ちったあ、それ、考えておあげんならなきゃ、あなた――
柴田 はは、なにさ――
清水 なんでしたら、自分が埋めましょうか?
柴田 なあに、もうあらかた、埋めるにゃ埋めてある。あと二三本、根太の下を突きかためるだけだ。
せい ですからさ――
柴田 もともと、私が自分で掘ったものだからね。自分で埋めるのは当然だよ。はは、言わば自業自得だ。第一、床がブカブカして、歩くにも、寝ていてもグラグラする、コップはひっくり返る――(立とうとするが、うまく立てない)まあ、おかけなさい。
清水 はあ。(椅子にかける)
柴田 学校へも、だいぶ出かけないでいるんで、君達にゃ悪いと思っているが――
せい (柴田の胴に手をかけて助けおこしながら)ごらんなさいな、こいだけ、からだが、なにしていらっしゃるのに。
柴田 チョット疲れただけだ。(ヨロヨロしながら食卓のそばの椅子にかける)はは、なあに。……すまんが、水を一杯くれんか。
せい いっそ、でも、井戸へ行ってお洗いになったら?
柴田 いや、飲むんだ。
せい それなら、どうせ、すぐお茶を入れますから――
柴田 お茶はお茶で貰うとして、その前に――
せい はいはい。……(炊事場になっている所へ行き、バケツをヒシャクでかきまわして見て)おや、おや。……(からのバケツをさげて、上手の扉を開けて出て行く)
柴田 ……よく来たね。
清水 (柴田の様子を見守っていたのが)どっか、苦しいんじゃありませんか?
柴田 む? いやあ、どうしてだね?
清水 いえ、なんだか、その――
柴田 いや、馴れない仕事をしたんで、ホンのチョット息切れがするだけだ。はは。
清水 (不意にムキになって)先生は、学校でも、そんなふうにおっしゃった事があるんです。
柴田 なにが?
清水 五番教室に行く三階の階段です。うしろから見ていると、手すりにつかまって、先生、ヨロヨロして、五度も六度も休んでいらっしゃいます。――そいで、加藤が、いつか、どうかなすったんですかと、きいたんです。そしたら、今と同じように――
柴田 そうかね、私あおぼえていないが――なにしろ、脚気の気が有ってなあ。
清水 (相手の言葉は受けつけないで、寄り眼になったような視線を柴田の半白の前髪にヒタと附けたまま、しかし、静かな無表情な語調で)いつだか僕等の間で議論をしたことがあるんです。……早くなんとかしなくちゃと言う者もありました。……馬鹿だと言う者もありました。……そこへ斎藤先生が通りかかられて、ニヤニヤ笑われて、しかしあすこまで国策を守れる人は、えらいもんじゃないか、と言われました。……その時の、斎藤先生の笑い顔と眼つきを、自分は忘れる事が出来ないのです。
柴田 ――なんの事を、君あ、言ってるんだえ?
清水 ……(しばらくだまっていてから)今日は、自分は、クラスの代表として、クラスの全員の意志を持っておうかがいしたんです。
柴田 よくわからんなあ。ハッキリ話してくれんと――
清水 先生、講義をつづけてください。
柴田 うむ――そりゃ、しかし――
清水 Bクラス全員の希望です。Aクラスでも、そいから全校のみんなが希望しています。
柴田 ――しかし、そりゃ――だが、私の単位は今学期は取らなくてもパスさせる事になっていると教務の方で――
清水 パスするしないの事じゃないんです。先生の講義をみんな聞きたいんです。
柴田 ……だがね、私は、とにかく、休職願を出していて――
清水 それを引込めてください。
柴田 ……そいつは、どうも――(指の先で額にこびりついた泥をこすっている。清水は上体をまっすぐに椅子にかけて、相手を正面から見すえている)……うむ。……まあ、しかし――どうだね、君の腕はその後? もう痛まないかね?
清水 ……(表情も動かさぬ)
柴田 胸にも、たしか貫通銃創を受けていたね? そっちの方は、もうスッカリ――?
清水 ……(平然としている)
柴田 うむ……(相手がだまっているので困って額をこすったり[#「たり」に「ママ」の注記])
[#ここから2字下げ]
(せい子がバケツをさげて戻って来る)
[#ここで字下げ終わり]
せい ――ポンプの工合が又悪くなったんですよ。ホントにしようがない――。(炊事場に置いたバケツからコップに水をついで柴田の所へ持って来る)はい。
柴田 ありがとう――
清水 これは――(と床の上に置いた包を持ちあげて)クラスの者から、先生に差しあげてくれ――ジャガイモです、すこしですが。皆で持ち寄って、もっとたくさんにしてとも話し合ったんですが、持ち寄ると言っても、どうせ買って来る――するとけっきょく闇で、先生お食べにならんから、なんにもならん。――そいで、しかたがないので、グランドのクラスの畑に出来たのが、まだ残っていたもんですから――。
柴田 ……(あきれたように、口をすこし開けて清水を見ている)
せい ……(手早くヤカンに水を入れ、火を燃すために、そこの薪を小さく割ろうとして手斧を取りあげたまま、清水の言葉を聞いていたが)まあ、ねえ!(パチパチと眼ばたきをしていたが、着物の袖で涙を拭く)……それ程、先生のこと思って下すって。
清水 (吐き捨てるように)なあに、これっぱっち、なんにもなりません。
せい (寄って行き、ていねいに頭を下げて、包をいただいて食卓の端にのせる)……皆さんによろしくお礼を
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