ィっしゃって――。いえね。私ども、チットはたしにしようと思って、セッセとやっちゃいますけど――今も、あなた、それなんですの――けど、なんしろ、焼跡でしょう、レンガやガラスだらけで、そう急にチャンとした畑になりやしません。やっと少し出来たかと思うと、はじからドロボウにやられる。泣くにも泣けません。――ホントにありがとうございます、どんなに助かりますか。
清水 ……(せい子の言葉は聞き流して、柴田から眼を離さぬ)みんな、先生を待っています。
柴田 (それまで飲むのを忘れて手に持っていたコップの水を一息に飲んで、しばらく黙っていてから)……じゃまあ、言うが――……みんなの気持は、ありがたい。が、私が休んでいるのはだな――からだのかげんが面白くないとか、食料に不自由しているとか――そ言った事のためではないんだよ。
清水 ……そいじゃ、なんのためですか?
せい (柴田がうつむいて、黙っているので)だってあなた、食料は不自由しているんですから。第一、先生は、おからだが弱いとか、食料に不自由しているとかなんて言ってらっしゃるけど、ちがいます。おからだが弱いのは食料がたりないからですよ。そのほかに、わけなんぞ有りゃしません。だってあなた、配給がこんなに少いのに、闇の物はお買いにならない。たまったわけのもんじゃないじゃありませんか。私なんぞ、あなた――
柴田 (苦笑)買おうにも、君、金が無いから――
せい いいえ、お金は、たとえ有ってもですよ、先生はそういう主義でもって――
柴田 はは、主義だなんどと、やかましい事じゃないさ。……第一、今にはじまった事ではない。戦争中からズーッと、まあ、同じ事をしているだけで――
せい ですからさ、永い間、栄養がとれていないので、今のようにおなりんなって。それを思うと、ホントに私、泣けて来ます。(言っているそばから、ポロポロ涙を流している)いえ、先生のような方が、いくらなんでも、こんな、あなた――
柴田 いや、おせいさん――すまんが、あんた少しだまっていてくれ。
清水 ――僕、言ってしまいます。先程お話ししました、僕等が先生の事に就て議論した時に、先生の事を馬鹿だと言ったのは、僕です。――だってそうじゃありませんか。配給を当てにしていればわれわれは死んでしまいます。そいで公定価格で何が手に入ります。公定と言うのは名ばかりで、それを決めた政府も守らせる気は無いし、国民は勿論守っちゃいません。守れないのです。つまり全部が闇なんです。全部が闇なのに、俺は闇はしないと言って意地をはっているのは、滑稽じゃありませんか。気ちがいじみていると思うんです。――お怒りになっちゃ困りますが――いや、お怒りになっても、かまいません。
柴田 怒りはしない。……しかしね、清水君。私が休んでいるのは、ホントにそんな事のためではないんだよ。そこまで君たちが言うんだったら、まあ言うがね――早く言えば責任だ。……話が堅苦しくなるがね、私も、まあ、永年、歴史の講義をやっていて、まあ、言って見れば、学者だ。……智識の切り売りばかりしていたわけでもない。多少は、自分の学問的な立場もあるし、又、信念と言ったものも有る。それがこんな事になってしまった。――いやいや、別にそれだからと言って、自分の立場が崩れたとか、又は、スッカリ考え直さなくてはならなくなったと言うのではない。歴史というものを見る見方の根本が変ったりはしないようだ。しかし、……とにかく、今迄の様に高い所から君達に講義が出来なくなった。いろいろ反省して見なければ一言も口が開けなくなった。(せい子が湯をわかすためにシチリンで燃しつけた火がけむって、その辺に煙が流れる。その煙のためにしぶくなった眼へ指を持って行ったりしながら語る)
清水 しかし――しかし先生は、戦争中、僕等を戦争にかり立てるような事は、一言もおっしゃらなかったじゃありませんか。むしろ僕等は、講義中に時々先生のおっしゃる事から柴田先生は戦争反対論者じゃないかなんて話し合ったことがあります。現に、先生が、配属教官から何度も忠告を喰わされた事があるのは、僕等も知っています。特高の刑事なども、始終お宅にやって来ては、先生をいじめ抜いたそうじゃありませんか。
柴田 はは、そりゃ、かなり、やられた。言う通りにしないと縛るぞと言ってね。しかし、そんな事位、別に珍らしい事じゃなかろう。たいがいの人がもっとひどい目に逢っていたんだからね。上も下もあの時分は、頭がカーッとして眼が見えなくなっていたんだね。――私の言っているのは、そんな事じゃないさ。なるほど私は、戦争中だからと言うので、自分の講義のやり方を曲げたりはしなかった。その点はハッキリ言える。しかし、私は愛国者だ。日本を愛している。……だから、とにかく、戦争に負けたら、たいへんだと思った。負けさせたくなかった。……指導者達の、とんでもなくまちがった考えのために、悪い戦争が始まってしまった事は知っていた――たしか、教室でもハッキリその事は君達に言った事があるね? (清水ガクンとうなずく)――が、とにかく、始まってしまった戦争に負けたくなかった事は事実だ。そういう自分の気持が、ところで、私の講義の内容をだな――内容の一つ一つではなくてもその全体の基調や気分をだな、無意識のうちに戦争協力の方へ持って行った。少くとも、それが無かったと言い切ることは私には出来ない。それに気が附いた。
清水 ……私には、もう君達に対して講義は出来ない――あの時、先生はそうおっしゃってお泣きんなりました。
柴田 いやあ、涙が出たのは……ありゃ君、これきりで君達とも別れるかと思って、それがつらいんで、ちょっとその、はは、センチメンタルになったのさ。
清水 しかし――しかし、いずれにしろ、うちの学校で戦争協力について責任のあった先生達は、ちゃんともう三四人追放令に引っかかって、よされたんです。もし先生までがそんな風にお考えになるんでしたら、続けて教職についている資格のある先生は一人も居なくなります。現に、先生を嘲笑された斎藤先生だとか学生課の二三の先生達、戦争中、まるで神がかりになって軍部や勤労動員の先頭に立たれた先生がたは、どうなります?
柴田 そりゃ、人それぞれで、各自の考え方の相違――
清水 戦争中、先生のことを反戦論者だと中傷していた同じ口で、今度は国策居士は偉いもんだよなどと、白い歯をむいて嘲笑なさっているじゃありませんか。まるで猿です。
柴田 いやいや、そんな君、人を裁くもんじゃない、人を裁いちゃいかん。……人の事は、まあ、いいよ。人の目はごまかす事は出来る。恐ろしいのは自分自らの裁きだ。
清水 じゃ僕は、先生、僕など、どうなります?……戦争はいやでした。どんな事があっても二度としたいとは思いません。しかし僕は出征して戦いました。そして、こうして片腕をなくして来ました。僕は自分をどう裁けばいいんですか?
柴田 君はそれでいいんだよ。君は実は、正確に言えば、戦争の犠牲者なんだからな。私は、私自身の腹の中で、国民一人ぶんの戦争責任が有ると裁いたんだ。つまり私は有罪なんだ。
清水 僕が犠牲者なら先生も犠牲者じゃありませんか。先生が有罪なら、僕も有罪です。そんな風にお考えになることは、不当だと思います。ご自身に対して不当だと思うんです。行き過ぎで、病的だと思うんです。
柴田 病的かもしれんなあ。……しかし、病的であろうとなんであろうと、実感としてそう思っている自分が居ると言う事だ。人をごまかす事は出来るが自分をごまかす事は出来ない。
清水 ……(しばらく食卓の上をジッと見つめて黙っていてから)ホントは、僕の言いたいのは、こんな事じゃないんです。……僕等あ、先生が欲しいんです。先生を見たり、先生のお声を聞きたいんです。理屈なんかどうでもいいから、僕等は、先生をなくしたくないんです。
柴田 ……。(ひた押しに押し迫って来る相手の気持が胸にこたえて来るだけに、もう言葉ではそれを受けかねて、黙ってしまい、眼をパチパチさせたり、かと思うとその眼を室の一隅の方へジッと据えたりしている。そこへせい子が茶を入れて食卓の方へはこぶ。茶碗を取って清水と柴田の前に置く。先程からの二人の話を、湯をわかしながらジッと聞いていたのだが、口出しをするのをつつしんでいる)……や、ありがとう。(茶碗をとりあげる)
せい あら、それじゃ、手が泥だらけで――ちょっとお洗いになったら――?
柴田 かまわん。どうせ、もう少しやるから。……(飲む。せい子は再び柴田をたしなめにかかりそうにするが、ムッとして柴田を見つめている清水をはばかって、黙って炊事場の方へ)
清水 学問上の智識だけを先生から教えてもらいたいんじゃないんです。そんなものよりも、もっと大きなものなんです。……戻って来てほしいんです。
柴田 うむ。……うん。……(因っている)まあ、飲みたまえ。(言われても清水は茶碗に手をふれようとしない)……そりゃねえ、どうもそう言われると、なんだ――
声 (上手の扉の外で)ごめんください! ごめんなさい!
せい ……(そっちを見てチョット考えてから)はい。
声 あの、ごめんくださいよ!
せい はい、どなた――?(扉の方へ)
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(せい子が扉を開けるのを待たず、向うから突き開けるようにしてズカズカとお光が入って来る。あかじみた手足や顔に煮しめたような着物を着た女で、はじめからしまいまでグッタリと眠ったまま泣声もたてない幼児を背に紐でくくって負うている。青黄色く憔悴した顔に眼が光っている。少し話しているうちに二十三歳であることがわかって来る)
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せい あらまあ、大工さんとこの……お光さん――
お光 こんにちは、ヘヘ。
柴田 やあ、おいで。
せい いやじゃありませんか、表口からおはいりんなりゃいいのに。
お光 だって、外はグルッと焼けてしまって、どこが表だか裏だか――(ニコニコしている)
柴田 ごぶさたしていて……すまんと思っているが、棟梁はお元気かな?
お光 ヘヘ、お父つぁんは毎日寝ていますの。壕舎は、しけましてねえ、又ひどくリューマチが出まして。あれやこれやでグチばっかり。大工の棟梁が自分の住む家も建てられねえで、こうしていつまでもモグラもちみたいに穴ん中に住んでいりゃ世話あねえだって。
せい そいで、あなたの御主人は、まだ、あの、復員になりませんの?
お光 はあ、もう、とにかく、主人の行っている方面からは、無事な兵隊だけは帰って来るのは済んだって言いますもん。死んじまったんでしょ。(ケロリとしている)
せい ……(此方で胸がつぶれて)まあねえ。(清水が無言で椅子を立ってお光にすすめ、自分は壁に近い所にある背の無い腰かけの方へ行く。お光はペコンとおじぎをして椅子にかける)
柴田 ……すると秀三君は?
お光 弟は電車の方につとめていますの。なんしろあなた、十八や九の弟一人の働きで、お父つぁんとおっ母さんと私と、この子ともう一人の上の子の六人口をまかなっているんでしょ? いっそ私なぞ、こんな子さえ無けりゃ、どんなひどい商売でもやっちまおうと思うんですけど、ふふふ、いえ、なに、いよいよとなりゃ子供が有ったって、かまやしませんけどさ、ヘヘヘ。
せい でも弟さんは、えらいわねえ。
お光 だめですよ。近頃電車やなんかも騒いでばかりいて、いつなんどき首にならないとも限りませんからねえ。そう言えば、こちらの誠さんの新聞社でもストライキがはじまるんですって?
柴田 そうかねえ……誠は別に――
お光 共産党なんでしょ? たしか柴田さんの誠さんだったって、いつか、なんたら言うデモの時に、日比谷へんで見かけたって秀三が言っていましたわよ。
柴田 ……ふむ。……(ペラペラと取りとめなく喋りかけられて返事が出来ない)
清水 先生、それでは、僕、これで――
柴田 う? うむ。……まあ、チョット待ってくれ。ええと――(清水は、再び腰をおろす)
お光 双葉さんは、いらっしゃいませんの?
せい (何を言い出すかわからない相手にハラハラしながら)
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