達のしている事は、なにに一番近いかと言うと、ファシズムに一番近い。人にはそれぞれ意見がある。その意見に賛成するしないは別問題として、少くとも人の意見に傾聴だけはするがよい。……それで今言ったように、私らには、自分のせいで、つまり自己の責任において此の戦争が起り、そして負けたと言う意識が有る。そして、そこから起きる反省が有る。あるいは、それは、お前の言う通り、封建的倫理観から来る考え過《すご》しかも知れぬし、また精神サクランかもわからぬ。しかし私には、そうは思えないのだ。よしんば、そうであったとしても、実感としてそのような意識や反省が起きるのだから、それについて考えて見なくてはならんのだ。それでな、それで、私は考えて見る。今度の戦争は侵略戦争であった。侵略戦争が悪い事であるのは言うまでもない。従って、それを計画し、挑発した直接の指導者達の責任は、あくまで追求されなければならぬ。それは、唯単に、悪い事をした者に、こらしめのためにお灸をすえると言う意味に、また、その程度にとどめて置いてはならぬ。徹底的に洗いざらい追求されなきゃならん事だ。そうだろう? そうだな、するとだな、同時にそのような者達を生み出したのは誰だ、どんな国、どんな民族がそれを生み出したか、つまり、そいつを生み出した母胎と言うか、地盤と言うか、それがなんだと言う所まで追求の手は伸びなければ意味をなさぬ。また、その母胎の方としても、そのような者達を産み育てて置きながら、あとになって、その者達の責任が問われる時になって、そんな事、自分は知らんですまして置ける事ではない。もし、すまして捨てて置いたとすれば、母胎そのものの上に、もう到底救いがたい――その民族その国民全部を遂には死滅させてしもうところの、根本的な堕落腐敗が起きる。いいかね? 私の言っているのは、それだ。つまりだ――わが国の指導者達は、悲しいかな、もともと、あさはかな、まちがった者達だった。ところで、そんな連中を生み出し育て上げ、自分達の指導者に据えたのは誰だ? 少くとも、そんな連中から指導されるのを拒まなかったのは誰だ? 拒み得るだけの、つまり、国民のホントの民意を国家の重大事に就て直接に反映させることの出来るような政治の組織を作り得ないで過ぎて来たのは、誰だ? ボンヤリしたままで、ないしは心の中は不本意でありながら、そんな人達の言う事を聞いて、それに従って来たのは誰だ? 私達だ。私ども国民の全体だ。すれば、私達にも、まるきり責任がないとは言われぬ。市ガ谷で行われている東京裁判で裁かれているのは実はあの人達だけではない。あの人達を通して、私達国民の全部が裁かれているのだ。
誠 違います! お父さんは、国民全体国民全体と言いますが、事実としては、他の者を圧えつけたりだましたり搾り取ったり利用したりしている側と、そうされている側とがあるっきりです。市ガ谷で今裁判されている連中は、その圧えつけたり利用したりしていた側の代表者――つまり選手です。連中の罪悪は徹底的に無慈悲に追求される必要があります。それは単に過去の犯罪に対する懲罰としての意味だけではありませんよ。今後の世の中の進歩のためになるからです。なぜなら、あんな連中を代表者にしたり、手先にしたりした当の階級――つまり他を圧迫したり搾取したり利用したりする側の根は、あっちこっちにまだ残っていますからね。放って置けばまた芽を出して来ます。なるほど、お父さんの良心――つまり、戦争に対して自分にも責任が有ったと言う反省に対しては、僕ぁ人間として敬意を表します。……しかし、それが、あの連中を、どんな意味ででも弁護する口実に使われるんだったら――現に使われています――だったら、僕ぁ賛成できない。ことわっときますが、僕は自分の主義や主張を、お父さんに対しても誰にも強いようとしているのではありません。世の中には他の考え方もあるし、あってさしつかえないのです。そんな人達とも、いっしょにやって行けると僕ぁ思っているんです。ただ、どんな思想を持つ人でも、どんな立場に立っている人でも、現在の事態を正確に認め掴んでですねえ、その上で積極的に人間的に生きようとする人ならば、生き方にそれぞれ多少の違いはあってもです、結局は世界の九割を占めている善良なコンモンピープル――つまり人民――勤労者と言ってもいいです――それと反対の側に立つわけにはゆかないと言っているまでです。そいで今市ガ谷でなにされている連中は、その反対側に立つ人達です。
柴田 よろしい、それでもよい、仮りにそうだとしてもよい。同じ事だ。指導した者のまちがいを、されている者の側が、それではなぜ矯正しなかった? 力が弱かったと言うかね? しかし矯正する機会が全く無かったとは言わさぬ。すると又お前達は、そのような機会をも捕え得ないほどに、お前達の力は弱かったと言うかもわからぬ。よろしい。私の言うのはそこだ。お前達の考えを仮りに正しいとしょう。すると、その正しい考えを以てしても、国民の間にそれほど弱い力、殆んど無いに等しい弱い力しか作り出し得なかったところの、国民全般の無知と無能――つまり日本人の低さだ、これに対しては国民全体に責任が在る。お前達にも無いとは言わさぬ。つまり右翼から左翼の一切合切をふくめて、今言った広い意味での責任が在るのだ。そして私の考えでは、これこそ、最も根本的な戦争責任だ。明治維新以来、日清日露の両戦役から第一次世界戦争、それから今度の戦争――その全体を通じて、全体としての日本国民が歩いて来た一歩一歩にそれが在る。今度の戦争だけに限った十年間位の責任を問うだけであったら手易いことだ。が、それでは何の役にも立たぬ。それでは日本は生れ変り得ない。日本は今、明治大帝や伊藤博文までさかのぼり、その時分からの国家の歩み方の検討をしなおさねば、生れ変るわけに行かない。今、私は敗けたから、こんな事を言うのではない。此の際、勝っていようと敗けていようと、それに関係無く、遅かれ早かれ日本は、それにぶち当らなければならんのだ。つまり、これが日本の運命だったのだ。運命なぞと言うとお前は又笑うだろうが、運命と言うのは、つまり必然性と言ってもよい。過去から現在に至る無数の事がらの積み重なりの、のっぴきのならぬ結果のことだ。それを一つ一つときほぐして、その中に本質を見つけ出さねば、ホントの日本の再建は起り得ない。私は及ばずながら、歴史を学んでいる人間の一人として、これからそれをやろうと思っている。やって見せる。それを私は――(喘いでヒッと言うような声を出して絶句してしまう。疲れ切っているところに、昂奮して長々と喋ったので、力が尽き果てたのである)
双葉 もう、よして下さい、父さん! もう、やめて! やめてちょうだい!
柴田 ……(しめ殺されそこなった鶏が、もう一度息を吹き返そうともがいているように、首を伸ばしたり、ちぢめたり、両手で食卓の上を掻きむしったりしながら、切れ切れに)……いや、私がな、この、闇買いをしないでやって行きたいと思っている事だって――そうだ、小さな事ではあるが、言ってみれば、実は、それに関係が有る。――いまどき、闇買いをしないではやって行けない事は、いかな私だって知っておる。また、自分ではしなくたって、間接的に、つまり欣二やおせいさんやなぞが闇で買って来たものを食べないわけにはゆかない事も知っておる。……不合理だ。人は笑うだろう。自分の不合理は承知している――それはしかし唯意地になっているのではない。……倫理道徳から来ているのでもない。……戦争中は、あれだけの苦しい戦さを国民全体がしているのだから、私など、それ位当然だと思ったから……又こうなって、自分達の愚かさのために、よその国に迷惑をかけた。戦勝国でさえ自分達の食糧をさいて日本にくれている。その日本のわれわれが、この敗れた国の人間が、これ位苦しむのは、あたりまえだと思うからだ。……それに、それに、私は、こうなっても、まだ日本人を信用している。……最後のところで、信じている。日本人は――役人にしろ誰にしろ――日本人が私を殺す筈はない! 日本再建のためには、闇をするなと言っているその言葉を守って――なんとかして守ろうとしている私を、日本人を、見殺しにする筈はない! え? そうだろう? ……万々が一、これで死ぬならば、われひと共に、これが日本人のホントの姿、運命――身から出たサビと諦らめて、私は死ぬ。……いいかな? 歴史の勉強のこれが、私の実は出発点だ。日本人を信じている。これが出発点! ……それが崩れれば、私の学問も崩れる! 日本人一人々々の自己完成無くしては、学問も、日本の再建も、あり得ない! これが、崩れれば死んでも惜しくない! ……しかし、そんな筈はない、絶対に、そんな筈はない! 私は信じている! やって見せる! な、誠、わかるか? わかってくれ! 賛成するしないは、別だ。わかるだけは、わかるだけは、わかってくれ! そ、そ、そ――(再び喘いで、絶句する)
誠 ……わかります。お父さんとして、そう考えられるのは、当然でしょう。しかし一人々々の自己完成の方法には限度があります。全体が改革されなければ自己は完成できません。父さん一人が死んで見せたって――
双葉 兄さん、もう、よして! たくさんです! よして、兄さん!(片手で誠をさえぎり、片手で父親の腕を掴む)
柴田 う? (無意識に双葉の顔を見上げた顔の色が真青に変っている。しかし直ぐに又誠の方を見て喘ぎながら)なんだ? 言ってくれ、聞こう。相手が父だからと言って遠慮することはない。(双葉に)よろしい、よろしい。
誠 ……(父の様子を心配そうに見ながら、しばらく黙っていてから、つとめて静かに)……そんなふうな考え方は、お父さんの国士気取りの哲学癖に過ぎないと思います。……明治維新以来の日本の歩みがどうであろうと今現に現実の問題としては、先刻言った――つまりイエスかノウの二つの立場しかないんです。その中間のどっちつかずのボンヤリした「国民的立場」なんて、実は存在しやしないんだ。われわれは自分が今立っている現実の関係に立って歴史を見る。好もうと好むまいと、意識しようとしまいと、そうです。問題はお父さんが、どんな立場に立っているかと言う事だけです。
せい (どうなるかと思う心配のために、ハラハラと唇まで顫わせていたのが、こらえきれずに誠の言葉をたち切って)もう、あなた、いいじゃありませんか!いいえ、私は、なんにも知らない人間ですけど、先生のお気持は、よくわかります。そんな、あなた! (小走りに炊事場へ行き、コップを取って水を注ぐ)
誠 (そのせい子の方をジロリと見てから、つとめて自分を押えながら)なるほど、それは良心的です。誠実だ。しかし良心的で誠実であるだけに尚いけない。それはどこにも規準を持っていない。奉仕すべきものを持っていない。良心も誠実も抽象的に幽霊として宙に浮いてフラフラしているだけだ。だから最後にそいつは、遂にファッショのために利用されるだけです。現に利用されたんだ。うっちゃって置けば今後も利用されます。かって僕自身がそうだったんです。(柴田答えず。それは答うべき事が無いからではなくて、しきりと何か言おうとしても昂奮と疲労のために声が出ないのである。そこへせい子がコップに水を持って来て渡す。ブルブル顫える手でそれを受取って喘ぎつつ飲む柴田)……日支事変が始まってからもズーッと、太平洋戦争になるしばらく前迄――つまり僕がつかまる前迄、僕ぁハッキリしたイデオロギイなんぞ何一つ持っていなかった。たかだか素朴な社会主義思想――それにお父さんから注ぎ込まれた民族主義――そうです、僕ぁ、たしかにお父さんから育てられた、お父さんの弟子です。今でも或る意味でそうです、残念ながら。――とにかく、漠然として良心的進歩主義者と言ったとこでした。ところが奴等は僕等のような生まぬるい者まで邪魔になり出したんだ。それだけ奴等自身が追い詰められたんだ。そいで、つかまった。いじめ抜かれました。……奴等から僕は教育されたんです。正確
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