に何の原因も無いのに――少なくとも僕等には見当の附かない原因から、初めから衰弱している。多分、もう暫くすれば、苦楽座のあげる何かの種類の悲鳴を聞けるであろうと僕は思っている。

      7

 次に君は言っている。
「一つの劇団、又は一つの演劇運動は永続する必要がある。永続とは忍耐と聡明である。忍耐と聡明は熱情と勇気より尊い。花よりも実が尊いように」
 正にその通りである。僕の言いたい事をソックリ君が言ってくれている。
 だから――と僕は次に言う――君は、他ならぬ新築地劇団の指導的なメンバーの一人であったのだから、その新築地劇団を永続するように全心身の努力を払ってくれればよかった。それを君はしなかった。少しばかりの貧乏に耐え切れずに君はそこから逃げ出してしまった。しかしこれはもう既に過ぎた事であるし、かつ新築地が永続する事が出来なかった理由は、後述するように、主として他の所に有ったのだから、此処では言わずともよろしい。
 だから、と僕は次に言う――君は苦楽座を永続させてくれるがよい。これは反語では無いぞ。僕が今この様に君を打ちたたく言葉を吐き散らしているのも、結局、せっかく始めた君達の苦楽座を永続させて欲しいと僕が望むからである。そして、今のままの性格を持ちつづけて行ったのでは苦楽座は健全な姿では決して永続する筈が無いからである。
 永続する筈の無い、又永続させてはならぬ性格を持ったものを唯単に形の上だけで永続させることは真の永続では無い。その様なものは叩きこわすことこそ真の永続である。永続性と言うことは、劇団や演劇運動にとっては非常に重要なことではあるが、しかし、何が何でも――つまりその本質がどんな風になってしまっても、ただ形の上だけで永続しさえすればよいと言うのは、まちがっている。その本質に於て永続さすべきで無いと言う事がハッキリしたら、その瞬間にそれは打切られなければならぬ。
 過去に於て、新協劇団や新築地劇団等が、癒すべからざる思想的過誤と、芸術至上主義的陥穽に陥ちたのを見て、僕は即時解散を主張した。それは聴き入れられず、反対に、僕は「裏切者」と呼ばれた(十数年以前)。僕はやむを得ず、両劇団の属していた団体から脱退して、ひそかなる自信と光栄の裡に「裏切者」の名に甘んじた。なぜならば、既にその三四年前から、新協劇団や新築地劇団などの演劇運動の基礎をなしていた思想(つまり、それ以前までは僕もその中にいたところの思想)を自身の裡に於て崩壊させてしまい、その根本的な誤りに気附いたために、自ら進んで実際上その思想を裏切っていたからである。僕に冠せられた「裏切者」の名は、少しばかり時期遅れではあったが、至当なものであったのだ。とにかく僕の即時解散の主張は無視され、新協劇団や新築地劇団は続けられた。それまではまだよかった。次第に、そして自然に、新協劇団や新築地劇団の中でも左翼的思想は崩壊して行った。そして、その時に両劇団は解散して居れば、まだ、よかった。しかし、それをしなかった。事態は自然に更に悪くなって行った。
 そして、ただ漠然とした左翼的態度や左翼的気分だけが、一つの習慣乃至後味として残り、それを中心にしてダラダラと芝居は続けられた。一面から言えばそうしている方が、極く卑近な対世間対ジャーナリズムの態度として有利であったからである。なぜと言うに、その頃まで一般の社会に、特に新劇の常習的観客をなしていた「知識階級」の中に、未だ非常に多数の同様漠然とした左翼的態度や左翼的気分が残っていて、それに迎合したり、それらを引き附けたりする事は、これらの劇団の、たゞ単に経営的劇団としての存立にとって必要であったからである。そして両劇団とも「永続」しつゞけた。つまり曾て「政治的」「イデオロギイ的」劇団であった両劇団が、既に真の意味では政治的でもイデオロギイ的でも無くなってしまってからも、その政治やイデオロギイのシャッポをかぶっているような、かぶっていないような、甚だ怪しげな姿で以て「永続」しつゞけた。ことわって置くが、僕がこれを言うのほ、僕が自らを清しとして、他の古キズをとがめているのでは無い。又、自分の「先見の明」をひけらかすために言っているのでは無い。言わねば話がわからぬから、事実を言っているまでである。もし「先見の明」を誇って、とがめているとするならば、僕は自身をも含めてとがめているのだ。なぜならば、既にその様なものになり果てた両劇団からさえも、外部の一個の劇作家として乞われゝば、そして、その時に表明された両劇団の思想的、社会的立場を、その時僕が承認した限り、僕は、上演戯曲を提出した事が両三回あるからである。
 で、とにかく、そんな風にして両劇団ともつゞいて来た。その「永続」は、形の上だけの永続であった。一言に言って、悪質の永続であった。まして、君の言う「忍耐」にも「聰明」にも当らぬ、むしろ反対に「未練」と「愚昧」に起因する永続であったのだ。僕は、その頃から今に至るまで、この自分の見解を公けの席で公言し、公けの場面に書いて来た。しかし、誰もそれに耳を傾けようとはしなかった。勿論、両劇団はそんな意見に全く耳をかさなかった。僕も遂に言うことに飽きた。両劇団はその後も、あたかも切れ切れなること牛の小便の様にではあるが、同時に、いつ打ち切られると言うことも無い点でも、牛の小便の様にタラタラと続いた。そしてそれは恰も半永久的に続くかに見えていた。そして三年前、両劇団とも当局のすすめに依って、辛うじて打ち切られたのである。
 君は「新築地劇団は過去の或る時期に犯した思想上の誤りからその命脈を断ったが、でなくても上述の錯誤(=もともと食える筈の無い劇団が、無理に食おうとして無理をしたこと)から、早晩その永続性を失う運命……解散或はそれに近い大改造を要する運命にあった」と言うが、真実は「命脈を断った」の所までゞあって、「でなくても」以下は全部嘘である。新築地は、幸いにして当局の明断に依って解散させられたからこそ、やっと、つぶれる事が出来たのだ。もし当局の明断が無ければ、新築地は、生きているか死んだのかハッキリしないような姿で、ダラダラと生き続けていたに違いないのである。切っても切っても生きつづける単細胞動物の様にダラダラと現在までも今後も形の上だけでは「永続」していたに違い無いのだ。こゝに於てか、これを解散させ打破らせた当局の明断は、世間のために幸いなことであった事は言うまでも無い。ばかりで無く新協新築地両劇団のためにも幸いであった。勿論、僕は喜んだ。
 此処までの経過を一つのたとえ話にすると、或る一家が在って、その家は既に久しい前から、実質的には没落と言ってよい程の紊乱状態にあった。ただ今までの習慣と惰性とで形の上だけで一家として存在しつづけてはいても、家族達の混乱と放埓はその後も益々紊乱状態をひどくして、それは殆ど収拾のつかぬ程の有様となっていた。しかも此の一族の全体を支配している気分は、それ自体として何等明確なものではなくても、社会にとっては一種有毒な空気を発散していた。
 親戚に一人の伯父さんがいて、これを心配した。許して置けなくなった。遂に見るに見かねて、乗り出して来て、この一家の財産整理にかかった。整理は、とにかく済んだ。一家は離散させられた。しかしそのために子供達の一人一人は、とにかく存立して行けるようになったのである。……それを聞いてそのズット以前に此の一家から勘当されて出奔していた息子の一人(即ち僕)は、よろこんで、ヤレヤレと思った。
 そこまでは、よかったのである。そこから先きがいけない。と言うのは、その伯父さんは一家を離散する際に子供達の一人々々に、今後まじめにさえやって行けば、それぞれに身を立てて行くに足るだけの資本は添えてくれた(それは何かと言えば、芸術家としての良心と技術である)。ところが、離散して一人々々になった子供達の中で、その資本を妙なところに使いはじめた者が出て来た。その或る者達はバクチや投機にこれを使い出した。(即ち曽ての新劇人達の中で、あれ以来、映画でござれ芝居でござれ、金にさえなれば、そして少しでも多い金にさえなれば、その余の事はどうでもよいと言う「お役者根性」になった者達がいる。そして運良く、思いがけない金=月給にあり附いたもので、トタンにのぼせあがってしまって、小成金になった気の者が相当居ることは、誰もが知っている)。或る者は、せっかくの資本で、女買いをはじめた(即ち、演劇(=女)に惚れた惚れたと言いながら、実はホンの時たまのインギンを通じたいだけの気持で、自身の身体にも自身の財布にも決定的な危険を及ぼさぬ範囲内で芝居をしようと言う者達――即ち君もその一人だ――が現われて来た)。等々々。
 曽ての勘当息子が、これらを見聞きしていれば、心外に思うのは当然であろう。第一、せっかく、チャンとして今後やって行くように取計らってくれた伯父さんに対して済まないのではないかと思うのだ。
 即ち僕は、それらを心外に思う。当局(引いては国家社会)に対しても、それでは済まないのではないかと考える。此の際こそわれわれは、腹のドン底から自戒し自粛して、国家と自己の関係、文化芸術と自己の関係を洗い突きつめ、鍛えて浄めて、国家の子としての誠実と、文化芸術の僕としての良心に徹することに努めた上、文化芸術の事を為すには全身全心の誠を以てこれに当るに非ずんば、過去における過誤を償い得ないばかりでなく、われわれ自身をも遂に真に救い得ないではないかと僕は思うのだ。
 しかも、演劇に対して女買いが女にするのと同じような事をしているその君が、自身のその様な中途半端な放蕩心を蔽うためにミソもクソも一緒にした「永続性」の必要と言う言葉を使っている。僕は君のために惜しまざるを得ないのだ。
 なるほど君達苦楽座の座員諸君は生活の道(しかも、かなり裕福な生活の道)を映画その他に持っていて、その余力で苦楽座をやって行くのだから、その生活の道が断たれない限り、苦楽座は「永続」するであろう。丁度、女買いが自分の生活費から女買いの費用を楽に捻出し得る限り、女買いを「永続」して行けるのと同じように。
 しかし、僕は言う、すべて本質を伴わざる「永続」は、あらゆる物事に於て、悪しき「永続」である。有害である。それは一刻も早く、それが本質を失い本質を歪めている事が明瞭に徹底的に判然とした瞬間に、打ち切られなければならぬものだ。
 君の言う「永続性」という事の正しき意味は「伝統」のことである。そして、われわれの伝統は、ただ単に形の上で一つの事が永続することであってはならぬ。要はその本質だ。その精神だ。先人の本質と精神を受けつぎ生かすものが、伝統の正統の受継者である。たとえば、万葉の正統の受継者は、訓古と模倣と形式だけを事とした中世の歌読みでは無くして、却ってたとえば源実朝であり、たとえば橘|曙覧《あけみ》であり、たとえば平賀元義であった如く。たとえば蕉風の俳諧の正統の受継者が、芭蕉の直弟子達や孫弟子達では無くして、却って、たとえば正岡子規であり、たとえば大東鬼城であった如く。
 そして、新劇に於て(更にさかのぼって言えば、その新劇こそ実は、歌舞伎を中心にして発達生成し来った日本演劇の正統の受継者であり、なければならぬのであるが、今はこれに触れず)、明治以来の諸先人達の作り上げた伝統の、今後に於ける正統の受継者は誰であろうか? 僕には未だハッキリとは言えない。しかし少くともそれは、苦楽座又はそれに類する本質や精神のものでは無いことは、言える。なぜかと言えば、それら先人達の本質と精神は、演劇を道楽として扱い、余力を以てやろうと云うのでは無かったから。彼等は彼等の全部をそれに賭けた。そして、彼等は彼等の仕事に賭けただけの、すぐれたる伝統を生み出し得た。そして、彼等の伝統を正しく受けつぎ生かすのも、われわれの中で自己の全部又は最良のものを賭けて演劇を担おうとする者である。又われわれは、われわれがそれに賭けただけの伝統を生み出し得るに過ぎないのである。
 僕がこの
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