んどきでも逃げ込める場所を自分一個のために留保して置くことに依り、安心しながら、これを果そうとする。果してこれが大望と発願に値いするか? 君の大望と発願は、唯単なるキャッチフレーズか口頭禅の類ではあるまいかと僕が疑うのに無理があるだろうか?
われわれは神に祈る時に、すべての持物を置き、個の心の一切を放棄し、手をすすぎ口をゆすいでこれをする。それは法式ではなくて、われわれが神に祈ろうとする心のひたむきなものが、これを自ら命ずるのだ。事の自然なのだ。そして、それでこそ神はわれわれの祈りを嘉したまう。また、僕は知っている。戦場に於ける一人の工兵が、ただ一本の橋梁を此方の岸から向うの岸に泳ぎ渡す時に、自己の心身の既往の持物の一切を放棄断絶して、死ぬとも生きるとも思わぬまでの境にまで自己を自己の任務に集中する。これも、この兵士を強うるものがあってするのでは無い。国に尽そうとする一片の心があって、これを自ら命ずるのであろうと思う。事の自然なのである。そして、それでこそ兵士は自分の任務を果し得る。また、神への祈りや、兵士の事を言わずとも、われわれが日常生活の中でも、たとえば、何事かを真に強烈に得た
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