いと望んだ時には、往々にして、その事のために前後の一切を忘れることがあるし、まして、その事に関連した利害得失を没却し尽し、又、尽してこそ真に大きな利得を得る――つまり望んだものを手に入れることが出来る。これも事の自然なのである。
そして、今「高い演劇」は君達にとっての「神」では無いのか? 高い演劇を生み出して行こうとする事は今君達にとって国に尽そうとする志ではないのか? 高い演劇を担って行きたいと思うことが今君達の真に欲していることでは無いのか?
しかも現在君達は、スタア意識も道楽意識も生活の安全保証も捨てようとしない。そこにはどんな種類の断絶も自己放棄も無い。在るものはせいぜい「映画の仕事が暇になったから、その暇をなるべく有益なことに使おう」または「映画の仕事の報酬の中から少しずつを[#「少しずつを」は底本では「少しづつを」]割いて(良心的な仕事)をしよう」と言った程度のシミッタレな「善意」だけだ。君達が払おうとしているものは君達にとって、殆んど言うに足りない程の代償である。それ程の代償で君達が購おうとしているものは「今日本が必要としている高い演劇」なのだ。虫が良過ぎると思う。あ
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