まりに虫が良過ぎる。「あれも欲しい、これも欲しい」なのだ。結局どちらかが嘘なのだ。どちらかが遊びなのだ。引いては、どちらをも嘘で遊びにしてしまおうと君達はしていることになるのだ。
 金持の旦那が、自身の品位をきずつけない範囲で暇々に、自分の財産にも身体にも心にも危険で無い範囲内で、義太夫にお凝りになる。それは、よい。自由であろう。しかし、それは、どこまで行っても――たとえその旦那の義太夫修業がそれ自体としてはホントに真剣であり、その成績が水準以上になったとしても、これを道楽と言う。たとえそれが「善意」に基いていてもだ。道楽はどこまで行っても道楽なのだ。そして、道楽は世の中に有って悪いものでは無い。しかし、その旦那が、その旦那である自分の地位を捨てないままで、文楽の紋下を望んだとしたら、どうなるか? 本職の義太夫語りは怒る。怒っても、しかし、旦那が無理に紋下に坐って語ったとしたら、どうなるか? その旦那は、遠からずして、血へどを吐いて引きさがらなければならぬであろう。
 君達は、その旦那だ。いや、旦那よりも更に悪い。義太夫を道楽に語りはじめようとしている本職の義太夫語りだ。即ち、芝居を道
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