ろうと思う。(金を呉れなければ、僕は書かないまでだ)。いずれにしろ、僕が劇作生活をやって行くに足るだけの金さえ呉れる劇団ならば、上はどの様に芸術的な劇団のためにも、下はどの様に低級な猿芝居のためにも、僕は嬉々として戯曲を執筆しようと思う。現に君達の苦楽座にも、金さえ呉れれば書く。但し、僕はいつでも書きたい物を書くだけだ。
 そんなわけで、此の三四年、滑稽なことは、そして当然なことには、僕は「恐ろしく金の事にかけては、きたない劇作家」になった。大概の演劇人が、そう言っているよ。そして、それでよいのだ。事実そうなのだから。
 僕の眼から見れば「人生、意気に感じて」上演料無しで自作を上演させたりする劇作家は、それ自体として醜悪にして怯懦なる存在であると共に、わが国の劇作家の道を毒する毒虫として映る。なぜならば、彼が或る一つの劇団に無料で自作を上演させるためには、他方に於て、金の取れる場合と金の取れる相手からは、どの様に不正当な手段ででも、どの様な不正当な額でも金を取ることを不可欠とする。ならびに彼が或る劇団にたまたま無料で自作を上演させたと言う事は一つの前例となり、その座の前例はその種の前例
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