を感ずる。このままの此の運命にである。
従って又同時に、ズット昔、僕が始終こぼしていた様な愚痴――「食えさえすれば、良い仕事が出来るがなあ」を言わなくなり、言う必要がなくなり、言うまいと思っている。そんな事を言うのは、自分一人を清しとして世間を汚れたりとし、その自分がその世間をうらむ言葉だ。ところが、実は問題は世間ではなくて自分だ。自分が只今から決心して「本職」になればよいのだ。各自が一人々々そうすればその内には全体が「本職」の世界になる。「世間が世間が」と言っていて、自分からはじめる事を怠っていれば、いつまで経っても、どうにもならぬ。それに気附いた。だからヤットの事で僕は、そうした。今後もこれでやって行く気である。
つまり、僕は以前の様に「純粋」でもなくなったし、以前の様に「醜悪」でもなくなってしまった。乞われれば、どこへでも、どんな劇団へでも戯曲を提出しようと思う。応分の金さえ呉れれば。ただ「醜悪」な金儲け主義の劇団では僕のもののような戯曲は商売にならぬから上演出来ないまでであろうし(そんな事は僕は知らん!)また、「純粋」な芸術的劇団に於ては、僕が要求するような金は呉れないであ
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