出しなければならぬ苦しさから、やがて知らず知らずの間に針路が曲るようになった。仕事……演目の配列などに濁りが生じて来た」と言っている。
 これは僕には非常に奇怪な言葉に響く。それ自体としても奇怪であるし、特にそれを君が言うのは尚更奇怪である。奇怪で、そして、まちがっている。なぜか?
 先ず、新築地劇団その他の新劇団に、針路と名づけるのにふさわしいものが有ったか? 無かった。有るものはただ、社会と国家の実際生活から遊離し得るだけ遊離し切ったエセ知識階級の一人よがりの「芸術的良心」と「進歩的気分」とが許し得る限りの右往左往と、あれやこれやの選択と、それから、実際生活の責任と自信とからくる全く見離されたルンペンの頭が描くあれやこれやの物への無反省無計画の追随とが有るだけであった。これも言えとならば、実際の実例をあげて証拠立てることが僕に出来る。それは、なるほど「芸術方針書」などと言う紙の上には在った。また、外部に対する言葉の上だけには在った。しかし、実際に於て――つまり、その劇団の個々人と全体を実際上統制し統一するものとしての針路は無かったのである。そして、無い針路が曲り得るか?
 次に、「
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