経験」がある。これは今、言葉の上だけで否定されただけでは、君にとっては思い直しようの無い事であろう。かつ、僕自身も亦君の言う「新劇では食えなかった経験」をして来たし、現在でも或る意味では、それを経験しつつある者の一人だ。
しかし、敢えて僕は否定する。僕は言う。それは嘘だと。まあ聞きたまえ。
それは僕が、言葉の上で否定するのでは無い。事実が、目に見える在りのままの事として否定しているのだ。まあ聞け。「食えない」と言うことを「食えなくなるであろうと想定する観念」や「食えなくなるかも知れぬ不安」や「カツカツに生きて行けるだけの貧乏」と解するのは、まちがいである。それはスコラだ。本当は「食えない」と言うことは「餓死する」ことなのだ。
そして、昔から今に至るまで、新劇――と言って悪ければ、演劇を良心的にやっていて、そのために餓死した者が一人でも居るか? 僕は知らぬ。何かをしていて、また、よしんば何をやっていても貧乏する者はいるし、又、その貧乏の果てに病死する者はいる。人間は誰に限らず一度は死ぬのだから。しかし、良心的な演劇をやっていたために、その事だけのために餓死したと言える人は一人も居な
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