いのである。事実としてだ。君の眼を蔽うている「不安」や「恐怖」や「伝説」の色眼鏡をはずして[#「はずして」は底本では「はづして」]事実そのものを見たまえ。遠くを見る必要は無い。君自身を見たまえ。それから僕を見たまえ。過去から現在に至るまで、どんなにわれわれが演劇のために打込んでいた時でも、餓死はおろか、君も僕も、二日位飯の食えない時は有ったが、七日間飯の食えない事は無かったではないか! また、家族や友人を餓えの果てにのたれ死にさせた事は一度も無かったではないか! また、病気になっても金が無くて医者にも見て貰えないし、薬も飲めなかった事はあっても、その病気のために君も僕も倒れてしまいはしなかったではないか! 事実を見るがよい。「ひどい貧乏」のことを、そのまま食えないと言うのは言い過ぎであるし、ただの感傷である。結局は、それは嘘なんだ。そんな感傷や嘘から出発して或る事を究明しようとしたり結論を下そうとするのは、まちがいである。「でも、芝居の仕事をやって居れぬ程まで貧乏すると言う事は、結局、演劇人にとって死である。僕の言っているのは、その事だ」
と、君は言うかも知れぬ。正にそうである。そし
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