避ける氣持になつていたらしい。いつからそうなつたのか私にもわからなかつた。私自身も後になつて氣がついたことである……
「でも僕は、なんだかルリさんに變な事なぞ起きたんじや無いような氣がします。二三日したら、なんでも無く歸つて來るんじやありませんかねえ……そんな氣がしますよ」
 默つて彼の顏ばかりを見ている私の眼を、おだやかに見返しながら貴島が言つた。
「うむ。……君あ、あの晩、ルリになんかしたんじやないだろうね?」
「え? いいえ……そんな事はありませんよ」と相手はすこしシドロモドロに、視線をあちこちさせ、「そんな――ただ送つて行つて。……でも、あんな風な人、僕あ嫌いでないもんですから、いろんな話をしたり、いや、おもに話したのはあの人なんだけど……しかし、べつになんにも」
 耳に薄く血を差したようだつた。まるで單純な少年が戀愛の場面でも覗き見されて羞かしがつてでもいるように、ほとんど可愛いいと言つてもよいような感じだ。微笑の蔭から私がどんなに意地惡くギロギロと見搜しても芝居や惡意の影を見つけ出すことは出來なかつた。
 とにかく、そこには何かがある。にもかかわらず、貴島が故意に嘘を言つているとは私にはどうしても思えない。すくなくともルリの行方を知らないと言うのは事實らしかつた。いろいろの角度から、何をたずねても彼はスラスラと答えたが――答えがスラスラとしていればいる程、かんじんの點は捉まえどころが無くなつて行つた。私は少しジレて來た。貴島は貴島で、私がルリの事に就て彼を疑つている點がわかるものだから困つた顏で「なんでしたら、荻窪の僕の住いの方へ來て見てくださいませんか」と言つた。そうすれば、自分がルリの失踪にかかわり合いの無い事がわかるだろうという意味を含めた言い方だつた。「ホントにお手傳いして搜してもいいですよ。それに、僕といつしよに暮している男で、そういう事のバカにうまい奴も居ますから」その話を差しあたり打ち切りたいらしかつた。そして、すぐに又Mの事――と言うよりもMの知人で現存の人々の方へ話を持つて行く。その話になると變に熱心で、こちらが話をかわしても、又してもそこへ戻つて問いかけて來る。兩方の話が喰い合わず、チグハグになつて行くばかりだ。
「だけどルリの事では、とにかく早いとこ家の人たちに報告してやらなきやならんからねえ」
「ですから、なんでしたら今夜にでも――僕はチョット用がありますからひと足遲れますけど――僕んちへ來てくださいよ。これから――」
 貴島が言いかけている所へ、外の廊下に足音がして、ドアがスット開き、丸い顏の男がユックリ入つて來て「やあ」と言つた。そのため私と貴島の會話は打ち切られてしまつた。

        11[#「11」は縦中横]

「どうしたんだお前、今ごろ?」
 貴島は、いぶかしそうな顏して男を見た。來る約束になつていた相手で無いらしい。復員服に板裏ぞうりをはいて不精ひげを生やした丸い顏が眠いように平凡だ。入口の通路の所にノッソリ立つたまま、
「頼まれてなあ、佐々から」
「え、どうしたんだよ? 佐々は今夜ここへ來ることになつているんだよ」
「うん、それが急に來られなくなつたから、ジカに野毛の方へまわるから、君に先きに行つてくれだつて。九時三十分には必らず行くからつて。なんだか、本部の方へ急に寄る必要が起きたとかなんとか言つてた」
「へえ。……だけど、ハジキは手に入つたのかなあ。なんか、そんなこと言つてなかつた?」
「ハジキ? 聞かんなあ」
「だけど、君んとこに寄るひまが有れば、ここに來られるじやないか?」
「ううん、佐々は、ここんとこ毎日のように俺の會社に來てるんだよ。經營管理なんて、みんな騷いでいるから、組合の幹部なぞと年中逢つてる。種取りだろ」
「黨から何か言いつかつてるんじやないかね?」
「それもあるかなあ。よく知らん」
「そいで君んとこの爭議は、どんな模樣なんだ?」
「ダメだね、みんなワイワイ騷ぐばかりで」
「しかし、お前、そうやつて出て來ちやつていいのか?」
「うむ、食い物が無くなつちやつたしなあ。俺のカマも二三日前に、とうとう火を落しちやつた。サランパンだあ。こいから荻窪へもどつて、なんか食つて寢るんだ」
「そうか」と貴島は言つてから、しばらく默つて考えていたが、やがて私をかえり見て、
「どうでしよう、これから荻窪へ行つてくださらんでしようか? 僕は横濱までチョット行つて、今夜中にはもどりますから。ちようど、いいところへ久保が來たんで、いつしよに――」と、そこまで言つて笑いながら、男に向つて、私の名を言つて紹介してから「これは久保正三と言つて、僕といつしよに暮している友だちです」
 男は、かねて私の名を貴島から聞かされていたものと見えて、默つてペコリと頭をさげた。
「おさしつかえが
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