無ければ、是非そうしてください」
すぐに私もその氣になつた。ルリの事もあつた。今夜、とにかく貴島の住いをハッキリと突きとめて置くのは無駄では無い。いつたん別れてしまうと、いつ又彼を捕えることができるかわからないような氣がする。そういう感じがこの男にある。めんどうだがしかたが無い。
それで、もうしばらく此處に居てから横濱へ行くと言う貴島を殘して、久保正三と私の二人は連れ立つてそこを出た。久保は、私を案内して行きながらも、荻窪に着いてからも、實に淡淡として私に對した。冷淡と言うのでは無いが、わきに居る私をほとんど氣にかけていないようである。私の方から話しかけないと、自分の方からはなんにも言い出さない。小ぶとりで背が低く、顏が盆のように丸く、胴や手足もプリッと丸味を持つている。だから全體がおかしい位に丸く見える。それが、板裏ぞうりをペタリペタリと鳴らしながら私と並んで歩きながら、田舍出の學生のようにキマジメな眼でユックリとあちらを見たりこちらを見たりして行く。空氣のように平凡で、どこにでも居るし、どこに居ても誰の目にもつかない人柄である。ただ、省線の驛で電車を待つている時に一度と、それから電車の中で一度、胸のポケットから小さな手帳を取り出して、鉛筆で何か書きこんで、すぐにポケットにしまいこんで、知らん顏をしていた。以下は、荻窪の彼等の住いに着くまでに、私と久保が歩いたり電車に乘つたりしながら、トギレトギレに取りかわした會話である。
「荻窪の家は、君と貴島君と二人で住んでいるの?」
「ええ。でも佐々がしよつちう來て泊るから、實際は三人だ。いや、そうだな、貴島はメッタに歸つて來ないで、貴島の寢床で佐々がたいがい寢るから、やつぱり二人か。フフフ」
「佐々君と言うのは、さつき君たちが話していた人?」
「そうです」
「共産黨員かなんか?」
「そうのようですね。Gと言う、變なバクロ雜誌の編集しています」
「すると貴島君も共産黨となんかつながりが有るんですか?」
「さあ――あれはゴロツキの子分でしよ」
「…………家にめつたに歸つて來ないと言うのは、すると、どこに行つてるんだろう?」
「黒田の方の仕事をしてない時は、たいがいダンスホールだとかレヴュだとか、上野だとかラクチョウなぞに居るんじやないかな。女好きですからね奴さん」
「君と貴島君、それから佐々君と言う人など、どういう知り合いなの? いや聞き方が變だけど、いつ頃から――?」
「戰友ですよ。戰爭中、いつしよだつたんです」
「へえ、三人とも?」
「ええ。僕と貴島はクェゼリン以來ズーッといつしよで、佐々はすこし後で、僕と貴島がオキナワにまわつてから、内地から補充でやつて來て、いつしよになつたんです」
「君は、そいで、今どつかで働いてるの?」
「職工ですよ」
「どんな仕事?」
「イモノ。流しこみをやるんです」
そう言つて彼は、驛のプラットフォームの電燈の光に兩手のひらをかざすようにして見せた。ちようど野球のグラブのように肉が厚い。その甲や指のあちこちに、ボツボツと黒い大小の斑點があつて、よく見るとその一つ一つが二分三分ぐらいの深さの穴になつている。既に完全に治つているキズあとだが、その鉛色になつた肉のえぐれ方が、生まキズよりも酷薄な影を持つていた。
「湯のとばつちりが飛びつくんだ。顏はメンをかぶつているから、いいけど、そうでなきやイボガエルみたいになつちまうね」言いながら、自分の言葉でおかしくなつたと見えてニコッとした。
「湯と言うと?」
「金屬の熔けたやつ――」
「ふむ」
「でも、もうダメですね。以前は大きな熔鑛爐でガンガンやつてたけど、ちかごろじや、たまに鐡だと思やあ、火に燒けたボロボロの屑だもん。たいがいアルミかなんか煮て、釜やなんぞ作るんだ。まるで、ママゴトでさあ」
「どこ、工場は?」
「十條です。もとは職工が三百人から居た所だけど、今じや五十人とチョット。ここんとこ、そのママゴト仕事もすくなくなつて來てね、カマは火を引くし、給料は拂わんし、心あたりの有る者は、ほかへ行つてくれと言つてるんですよ」
「爭議になつているんだね、そいで?」
「ええ。……だけど、景氣の良い時のナニとは違うんでねえ。會社もホントにやつて行けないらしいや」
「そいで、どんな工合なの?」
「ダメだなあ。どつちにも、なんにも無いのに、ムシリ合いをしてんだもの。乞食の喧嘩みたいなもんですね。左翼の連中がやつて來ちや經營管理をやれなんてアジつてるけど」
「佐々君と言うのは、そいで行つてるんだね?」
「まあそうでしようねえ。本部との連絡係みたいな事をしてるようです」
「君も共産主義?」
「いいえ」
「すると共産主義に反對?」
「いやあ。僕あまだ、そういつた事はわからんです」
「……貴島君は今夜、もどつて來るだろうか?」
「
前へ
次へ
全97ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング