は無い。ただ、それ以上口をきく氣は無いようで、ションボリ立つているだけ。その拍子拔けしたような所が變と言えば變と言える。
「さあ、歸ろうよ」と古賀さんは女に向つてチョッと片手を差し出すようにし、「いえね、どう言うわけだか、時々此處に來るのよ」と、僕を見おろして笑う。
僕は女を見た瞬間に、兩足から力が拔けて、立つておれなくなり、そこにシャガンでしまつていたのです。
「フフ、もしかすると、こんなふうな所で男を相手に商賣してたかも知れんね、おおきに。ひところ、こんな場所がずいぶん有つたからなあ。……それを、なんとなくヒョッと思い出すんだろうか? 頭がクシャクシャすると一人手に此處へ來る」
平然としてそう言つている古賀さんの言葉が、なにか遠くの方に聞える。
僕は、そうしてシャガンで、その立つている女を見上げたまま、實に長いこと口もきけず、何も考えられず、立ちあがれないでいたのです。……
43[#「43」は縦中横]
………………
それから僕は、ほとんど毎日のようにタミ子のアパートへ行つて見ました。タミ子は、きげんよく僕を迎えてくれますが、ほとんど話はしません。人が目の前にいる間だけは、カンタンな言葉で受け答えはしますが、僕が居なくなれば僕の事などは直ぐに忘れてしまうようで、小机の前にポカンとして何時間でも坐つているらしいのです。そして、時々フラッと外に出て、例の横穴の所へ行つて立つているんです。白痴の子供みたいに無心な樣子でした。別に暗い、陰慘な感じはありません。むしろ、明るすぎる。生活のことなど何も考えていないのです。僕が持つて行つてやる食べ物などをうまそうに靜かに食べて、落ちついているのです。Mさんの事を聞いても、戰爭中のことを聞いても、その時々で言うことが違つていて、トリトメがありません。
出征前夜のあの女が此のタミ子であつたかどうか、それをホントに確かめる手段は遂にありませんでした。あの晩のことを、いろんな言い方でタミ子に問いかけて見るのですが、ケロリとして手ごたえ無し。いろんな點から推して、どうもこれは唯の普通の淫賣らしいと言う氣がする。だのに、横穴の中で最初に見た瞬間に、どうして「これだ」と思つたのか――今となつては、あやしいものだつたような氣がします。それに、三度四度五度とタミ子の所に通つて來ているうちに、そんな事はどうでもよくなつて來た事も事實なんです。僕には、そのポカンとして無邪氣なタミ子の姿が、あわれでやりきれない。いや、あわれだなどと言うのでは無く、何と言えばよいか、とにかく人ごとでは無いような、こちらの胸がしめつけられるような、それでいて、なつかしいような――そしてヒョッと氣が附くと、なにかトテツも無く美しい姿に見えたりするんです。僕は我れながら、全體この女をどうする氣なのか、自分で自分の量見がわからなくなつて來ました。この女と一緒に、心中みたいに死んでしまおうかと思つたり、かと思うと、この女の何か腐つたような體臭が鼻先にプンと來ると、ムカムカと吐きたくなる。
古賀幸尾さんの所へ寄ると、
「あのままで置いとけば、半年もすれば完全にダメになるね。何か處置をするにしても、なんしろ、病氣が深いようだから、どの程度まで治るかだ。まあ、むずかしいわね。それに、治療するにや、相當金がかかるだろう。かわいそうだが、しようが無いね。結核と性病――こりや、社會病で社會に責任がある。社會をもうチットどうにか作り變えないじや、個人の力ではどうにもならんね」
と噛んで捨てるように言います。そのくせ、古賀さんは、一週に一囘ぐらい、タミ子のアパートへ行つて、無料で注射をしてくれているんでした。
立川景子さんの所へも報告かたがた行きました。景子さんは非常に喜こんでくれ、その場から僕と一緒にタミ子のアパートに來たんですが、タミ子の樣子を見ると、言うに言えない暗い顏をして默つてしまいました。
「春子の家」には、その後も一二度寄つて、春子さんに向つてタミ子の事を話し、どうしたらよいか相談して見たのですが、春子さんは涙ぐんだ眼をするだけで、ハッキリどうしろとは言つてくれません。なんとも言えないらしいのです。
山梨の久子さんの事も考えましたけれど、あそこにはルリが居ます。行く氣にはなれないのでした。
又、僕はあなたの事も考えたのですけれど、しかし、又々こんな話を持ちこんで御迷惑をかけるのは、あまりにすまない氣がして、どうしても足が向きませんでした。それに、こんな話を持ちこんで、しかもそれについての自分の腹が決らないでいるのをあなたに見せると、今度こそ、あなたからホントに嫌われ、輕蔑されると思つたのです。
僕は迷いました。それに金も全く無くなりかけています。ええい、しかたが無い、又、横濱の黒田の所へでもたよつて
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