なにかしらドキッと僕はしたのです。どつかしら、その女の身體つきに見おぼえがあるような氣がしたのです。見おぼえと言つても、ハッキリこの眼で見た記憶とも言えないが、向うを向いた顏の襟足のへんだとか、肩から背中の凹み、それから全體のポーズなど、目で見たとも、手でさわつたとも言えないが、どこかでおぼえが有る。……もちろん、いくら考えても、ハッキリした事は思い出せない。その頃まで僕は、あの夜の女のことばかり考えていたものですから、僕の頭にはその事が來ていたのです。しかし、もちろん、ハッキリとそうと思うだけの根據はありませんし、又、いくら僕の頭が狂つていても野口のワイ寫眞の中の女があの女だろうなどと思つたりは出來ません。ただ、その寫眞を見て、何か妙な氣持になりながら、あの女のことを考えていたのです。
 實は、後になつてわかつた事ですが、その寫眞の女はルリだつたのです。ルリをモデルにして野口が寫したのだつた。どこかしら、僕に見おぼえが有るような氣がした筈なんです。……しかし、その時にはルリの事なぞ思い出しもしないで、あの女の事ばかり考えながら、寫眞を見ていたわけです。實にキタイな話ではありませんか。僕は全くバカです。
 その寫眞をあまり熱心に僕が見いるので、野口は何と思つたか、
「どうです、いい身體だろう? どう君も一つ僕のモデルになつてくれんかな? 金もチャンと拂うが、それよりも、この女と組になつて寫させてくれんかなあ? 君のカラダなら、いいがなあ、好一對だと思うがなあ」と言うのです。その時はバカな事を言うと思つて笑つて相手にもなりませんでしたが、後になつてそれがルリだと知つて、この事を思い出し、實に變な氣がしました。變な氣ですが、イヤな氣ではありません。特に現在では、何か、僕とルリのために非常に貴重なヒントを與えられたような――極端な言い方をすれば一つの啓示を與えられたような氣がするのです。啓示を與えてくれたのが、此の世の屑のようなワイ漢の野口だつたと言うこともコッケイですが、しかし、僕はそれを笑い飛ばすような氣持にはなれません。むしろ嚴肅なような氣もちになります。
 とにかく、そんなような事で野口は僕の名を知つており、それに春子さんからも僕の事をいろいろ聞き出したらしいのです。そして、それを何かの時にルリに話したらしいのです。
 ルリは、その後も僕のありかを懸命に搜していたそうです。野口の所に居ると國友の子分たちに附きまとわれるので、あれ以來、野口の所を出てしまつて、うぐいす谷の方のアパートに住み、生活の方はデパートのマネキンになつたり、時によつて畫家のモデルになつたり――そのほか、上野や淺草かいわいで、例の案内ガール、つまりカフエーの客引きのオトリ[#「オトリ」に傍点]をしたり、それから、もつとひどい事もしたかも知れない、僕には現在でもそこの所はハッキリわかりません――そして、時によつて、いよいよ困るとフラリと野口のアトリエに現われて現金引きかえに寫眞のモデルになると言つたような生活をしていたらしいのです。で、野口から、僕の事を聞くと、トタンに「春子の家」に飛んで行き、春子さんに僕の所在をたすね、こうして山梨へやつて來たのです。
 そんなわけで、ルリは、一緒に久子さんの家に暮すようになつたのですが、前にも書いたように、ただすまして暮しているだけで、僕にはなんにも言わないです。むやみと落ちつき拂つてしまつたように見えます。それを又、久子さんが平氣で受入れて、僕が一人いる時など、
「ルリさんて子は、いい娘さんだなあ。キレイだ。いいえ、心もちだけじや無い、カラダもよ。ありや、まだ處女ずら」と言つてニヤニヤ笑うのです。「處女ずら」と言うんです。そういう言い方をする人なんです久子さんという人は。僕が困つて
「迷惑をかけますねえ。どんな氣で、こんな所までやつて來るんだか……」と言うと
「そりや、あんたのオヨメさんになりたいからさ。貴島さん、あの人もらつちまいなさい。いいんだろ? あんただつて、あの人、好きなんだろ?」
 と、一人でのみこんだような事を言うのです。
 そうです、好きだと言われれば、好きかもわからない。しかし、具合が惡くつてしかたが無いのです。それにルリにそばに居られると、なにかしら僕は押しつけられるようで、變に息苦しくなるのです。やりきれなくなるのです。それが段々こうじて來ると、しまいにルリが憎らしくなつて來て、逃げ出したくなるのです。そして、あの女――あの晩の女のそばへ行きたくなる。あの女が戀しくなる。だのに、あの女は、どこにも居ない。どこを搜しても、もう見つけ出すアテは無い。どうすればいいんだ? 俺は、どうすれば――頭がボンヤリして來ます。ボンヤリしたまま、ルリの事が益々息苦しくなり、怖い。變に怖いのです。
 ――遂に僕は我慢
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