が出來なくなりました。そして山梨を逃げ出したのです。ルリにはもちろん、久子さんにも默つて、僕は東京へ來てしまいました。
ルリがその後どうしたのか、その次ぎに上野で逢うまで、僕は知りませんでした。
42[#「42」は縦中横]
そんなわけで、僕が東京に出て間も無く立川景子さんの所を訪ねて行つたのも、かくべつの目的が有つたからではありませんでした。あの女を搜す氣持は、もうほとんど失つてしまつていたのですから。ただ久しぶりに何となく景子さんに會つて見たくなつただけです。ですから、そこでいきなり、ムヤミと昂奮している景子さんを見出し、それから景子さんからせき立てられて、キツネにつままれているよう氣持で古賀幸尾と言う男のような名前の――いえ、名前だけで無く性質もまるで男のような女醫さんに會うことになつて、そしてその結果、實にアッケ無い位にカンタンに、あの女を見つけ出すことが出來たのにも、ただグルグルと眼がまわるような氣しただけで、今から思つて、その前後のことがハッキリ思い出せないような氣がするのです。
僕の顏を見ると景子さんが、いきなり
「なぜ、もつと早く來なかつた!」と言うのです。例の樂屋での話です。僕がめんくらつていると、彼女は急に聲を落して
「あんたの、その人が居たわよ!」
僕は何の事だか、しばらくのみこめませんでした。
「いえ、果して、そうだかどうだか、あんたが逢つて見ないじや、わからないけどさ、古賀さんは、たしかにそうだと言うの。だつて、その人はMさんの手紙を持つていて、その中に、あんたの名前が書いてあると言うんだもの。とにかく、何でもいいから、今すぐ古賀さんとこへ行つてごらんなさい。ホントは私も一緒に行きたいけど、舞臺があるから今日は行けない。いえ、古賀さんには私からよく話してあるから、行けば、わかるから。ガラガラした人だけど、根はとても善い人だから。そいで、その人と逢つた結果はすぐに私にも知らせるのよ。よくつて?」
何か聞き返している暇も無く、押し出されるようにして、僕は日暮里へ行きました。燒跡の小さいバラックに、醫院のカンバンが出ているので、すぐわかりました。古賀さんは、四十かつこうの獨身の女醫。しかし人柄は女醫と言うよりもアネゴと言つた感じの、亂暴な位に率直な、白い上衣にズボンをはいて出て來て、僕が「貴島と言いまして、立川景子さんから――」と言いはじめると、
「ああ、あなたなの!」と、ジロジロと僕を見ていましたが、不意にニタニタ笑い出し「そうか。そいで……タミさんに、直ぐに逢つて見る?」
「……タミさんと言いますと?」
「あ、そうか。名前も知らないんだつけ。フフフ」
どうも樣子が、景子さんが何もかも、しやべつてしまつたらしいのです。僕は眞つ赤になりました。
「いいさ、いいさ。所も知らず、名も知らず、か。いいさ。いいじやないのよ。ハッハハ。直ぐに行つて見る?」
僕がモジモジしていると、一人でのみこんであがれとも言わず、そのままクツを突つかけて下へおり、ガラガラピシャンと表戸をしめて、先きに立つてドンドン歩き出すのです。
「タミさんと言うのよ。ホントの名は私も知らない。自分でそう言うんで、みんなそう言つてる。いえね、あなたの話を景子君から聞いてね、なんだかトテモ感心しちやつてね。いえ、感心と言うと變だけどさ、フフ、だつて、いまどき、そんな時のナニを搜して歩くなんて、なんだかトテモうれしくなつちやつてね。ハッハハ、これ、オールドミスのセンチメンタリズムだね。まあ、なんでもいいや」古賀さんは歩きながら、大きな聲でガラガラとしやべる。「趣味でね、あたしの。あすこいらの界隈の女たちの、めんどうを時々見てあげる。醫者だからね、こいでも。タミさんの手當てを一二度してあげたことがあるんだ。そんでね、たしかに、そうじやないかと、そんな氣がしたもんだから。景子さんから話を聞いて、聞いているうちは思い出さなかつたけど、後でヒョッとそうじやないかと思つたんだ。妙な手紙持つているんでね、その子がさ」
路はだんだん上野公園の裏の方へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りこんで行く。そのうちに、言葉を止めてヒョイと立ち停つて僕をジロリと見てから、
「チョット聞いておくけどね、貴島さん!」と改たまつた調子なので、「はあ」と僕が言うと、今度はしばらく默つていてから
「ずいぶん、ひどい事になつていますよ」
「その人がよ。かまわない? ……こんな時代。弱い女一人が生きて行くにや、いろんな事がある。わかるわね?」
「……ええ」
「一番惡いことを、考えて置いてほしい。……私たちに、今、こんな中で、どんな人でも批難できやしないだろ? みんな、人間だ。……人間は、みんな弱いんだよ。わかるわね?」
「わかります」
古賀さんは
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