て殺してしまつたじやないか。だのに、その御本人夫婦はノメノメと生きている」と言うわけなり。久子が歸つて來るや、親類の家にあずけて置いた田畑を返してもらい、老母と幼兒をかかえて百姓仕事をはじめ、最初の間は馴れない事で、ずいぶんつらい思いをしたり失敗もしたが、それから一年あまり、とにかく曲りなりにも農事がやれるようになり、三人の家族が細々ながら暮して行けるようになつた事なども、村民にとつては反感の種らしい。村の交際からは一切絶たれ、事ごとに迫害されて來た。心ある村民の中には、こんな不當な迫害に反對する者も少數ながら居るには居るが、その種の人は、すべての事に積極的に表立つことを避けるため、居ないのと同じ。迫害はしつこい。しかも、これを表沙汰にして警察などに訴え出られるような形を取つて來るのでは無く、もつとインビな方法で來る。役場や民生委員などは、これを知つていても知らぬ顏をしている由。右にあげた用水路についての紛爭のような事は、始終起る。
「はあもう、馴れちまつたですよ。また、馴れでもしなきや、とても、やつて行けませんからねえ。ハハ、今じや、村の衆からいじめられないと、なんだか物たりねえような氣がする位だ。……はじめは、つらかつた。イッソの事と思つたことが、何度あつたずら。しかし、がまんして來ました。それは、杉雄が歸つてくるまでは、私がシャンとしていないでは、母や坊はどうなると思う氣もありましたがね、それよりも、實は、村の人が私ら一家を憎むのも無理ない所があると氣がついたんですよ。杉雄や私の方に惡氣はチットも無かつたけど、村の人の立場になつて見りや、私たちを怨む氣になるのも、あたりまえ。あたりまえとは言えないかも知れんけど、滿洲に行つたきりになつた息子や弟のことを考えると、腹が煮えて、怨みの持つて行きどころが無い。だから目の前の私たち一家に、それをみんな持つて來る。やむを得んことだと思うんですよ。私があの人たちになつて見れば、やつぱりそうするだろうと思うの。そう氣が附いたんです。そしたら、いくらいじめられても、がまん出來るようになりました。それに私が女手一つで、親類に泣きついても行かないで、とにかく百姓をやり通しているのを見ると小づら憎くなるのね。それも、もつともだと思うの。自分ながら、その點では、よくやれるもんだと思う。東京に生れた女がね。これで滿洲に行つてから、あちらの開拓村で働らいた經驗が有つたから、まあ、やれるんですよ。とにかく、村の人に憎まれるワケが、こつちにもあるんですよ。私は、これで、ゴーツク張りですからね」
 久子はその晩、イロリのそばで、僕にそう話して、カラカラと笑つた。
 しかし、その夕方、中年百姓を相手に口ぎたなく罵り合つている彼女の形相は、ただ淺ましく動物的なだけで、右の彼女の内心など微塵も現わしているものではなかつた。この女は、いつでもそうなのだ。心の中には、それだけ廣やかな反省やフックリした感情を持ちながら、いつたん他の人と爭つたり――いや、他の人と爭つたりする時とは限らない、生活のあらゆる部面で現實的に行動する時は常に――たとえば畑で働らいている働きぶりから、家で食事をする時のメシの食い方まで、動物的でガツガツして、なにかしら野卑だ。――僕には、感覺的に附いて行けない。何か、動物のメスを見ているようで、本能的にイヤな氣持になる。……それが、こうして又此處に舞いもどつて來て、この女のそばで百姓の手傳いをしているんだから皮肉だけれど、しかし、現在でも、彼女のそういう點は好きになれない。――
 口喧嘩は三十分ぐらい續き、一時は叩き合いになるかと見えたが、相手の百姓が僕に目をつけ、僕のことを何と思つたか、急に語調を低めたが、やがて捨ゼリフのような罵言を吐きちらしながら、立ち去つて行つた。あと、久子は氣が立つままにブツブツ何か言いながら鍬を片づけたり、手足を洗つたりして、僕のことなど無視していたが、やがて、老婆が「この衆がお前の所へ來てな――」と言うと、やつとこつちを向いてくれた。でもムッとしてどなたとも言わない。僕は、困つたが、しかた無く、Mさんの名を言う。するとヤットいくらか打ちとけてくれ、上にあげてくれる。既にトップリと日が暮れて、屋内は眞暗になつているが、電燈は無し、ランプもつけない。久子は、眼をさまして、まつわり附いて來る幼兒を叱り叱り、バタバタと夕食の仕度をするし、僕は、ボンヤリと暗い中に坐つているきり。やがて夕飯になり、「ホート」と言うスイトンのような汁を僕にもくれた。それがすんで、「どんな用です?」と問われたが、この女が僕の搜している女で無い事は、それまでにわかり過ぎる程わかつているのだし、返事に困つたが、又例のMの事を書くためウンヌンを言い、立川景子さんに聞いて訪ねて來たことを述べる。疑われるか
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