う」
 それで、連れ立つて元のアパートへ行く。途中、「あれんぱつちの子供を集めて託兒所なんて言うと、コッケイに見えるでしようね?」と言う。自分が何とも答え得ないでいると、ハッハハ! と男のように笑い「でも、はじめたばかりで、しかたが無いし、それにあれだけでも親達は助かつているのよ。このへんの勞働者なんか、ちかごろ暮しがとても苦しくなつて來ていて、子供なんか見てやつてる暇は無いんですからね」と言う。何か恥かしい事をしている所を、出しぬけに覗かれて、ムッと怒り、同時に辯解しないではおられない氣持になつているようだ。
 アパートではお茶を入れてくれる。「一時間だけ時間があるから、知つている事はお答えしましよう。ただ、私はMさんとそれほど親しくなかつたし、お目にかかつていたのも、戰爭前の赤色救援會の活動の中で、金を寄附してもらう用事などが主で、だから、もう六七年も前のことで深い事は知らないのよ」
 自分の現住所を誰に聞いたと問うので立川さんの名を言つたが、
「立川さん、お元氣?」と言つたきりで、何か考えていたが、それ以上追求せず。それで、しかた無く自分はMさんの事を二三たずね、ソロソロ歸ろうと思つている所へ、ヌッと室に入つて來た男あり。男は、自分をジロジロと見ていたが、やがて無視し、稻子に對していそがわしく言葉をかけ、兩方で二言三言交す間に調子が荒くなり、たちまち口論になる。自分は歸るに歸られず、室の隅で二人の言い合いを見ていた。男は稻子の夫の徳富伸一郎だつた。
 口論の内容は、はじめ自分にわからず。しかし次第に口論が激しくなつて、第三者の自分の存在を顧慮している余裕が双方に無くなつて來て、アケスケな言い方をしはじめて來ると、立川景子より聞いた事と照し合せて次第にわかつて來た。
 この夫婦とその若い女との間の三角關係は緊張しきつており、若い女はニンシンしている。そして伸一郎が稻子と正式に離婚しなければ、毒を呑んで胎兒もろとも死ぬと言つている由。おどかしでは無く、かねて、それをやりかねないヒステリックと言うか、戰後的な女らしい。だから伸一郎は稻子に向つて正式の離婚手續きを取ることを承諾するよう要求しつづけて來たが、稻子の方で承知しない。ああの、こうのと言つて拒んで來たが、現在では、手切れ金として三十萬圓拂わなければイヤだと言つている。伸一郎の方は出せないと言う。事實金は無いらしい。それで話はどこまで行つても解決せず。
 しかし自分がわきから觀察したところに依れば、徳富稻子は、實は必らずしも手切れ金が欲しいのでは無い。男に對してミレンがある。しかし自尊心が強いためにそれを言えない。それに、そのような事を言うと、「男女の戀愛はいつでも自由であつて、法律上の夫婦關係にこだわつたり、それに依つて相手をしばつたりする事は、封建的なまちがいだと言うのは、あなたの持論じやないか! あんたが、いつもそれを云つてたんじやないか!」と言つて男から、やつつけられる。つまり、稻子自身の理論を伸一郎が逆手にとつて詰め寄る。したがつて稻子はそれに對抗し得ない。しかし別れたくはない。だから金の事を言い出している。
 尚、伸一郎の方は「僕は畫家で藝術家だ。藝術が命だ。それが、あんたと言う人といつしよに居ると自分の藝術は涸渇してしまう。いや、それはイデオロギイの問題じやない。イデオロギイの點では君は正しいと思うし、僕も黨員として恥かしくない活動はやつて行つているし、これからもやつて行くつもりだ。問題は藝術の事だし、藝術家が藝術を生んで行くための地盤になる生活のウルオイだとか、愛情の事なんだ。君はわかつてくれる筈だ。だつて、それも君がこれまで、いつも言つて來た事なんだから、それを今さら認めてくれないのは、君のイジワルか、君の理論の虚僞じやないか!」と言う。
 この點では、彼は稻子の武器を逆手に取つているため、稻子には一言も抗辯できない。
 兩方とも、一所懸命なり。伸一郎はズルイ。稻子の方はバカゲている。
 聞いていて自分は男を憎み、女を輕べつした。
 共産主義というものは、こんなものなのか? いや共産主義とは限らない、主義や理論が、こんなふうに、個人の人間的な愛情の間題などに對して、これほど無力なもの、又はウソのつき合いの道具になるものならば、全體なんのタシになるのであろうか? こんな人たちにとつては主義やイデオロギイも、みんなウソではないのだろうか? すくなくとも裝飾に過ぎないのではないのか? 託兒所なども結局は本心からのものでは無いのではあるまいか?
 とにかく稻子は、まだ伸一郎を愛しているんじやないか。それなら、なぜに正直にそれを言わないのだ? 言えないのだ? 言つても三角關係は、どうにもならぬかも知れん。しかし、こんなバカらしいウソツキゴッコをしているよりは、まだ
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