。いえね、伸一郎氏に、女給さんあがりの若いキレイな戀人が出來てね、それとほかで同棲してしまつたもんだから、稻子さんとは別れるんだとかでゴタゴタしてるそうだけど、どうなつたかしら。なんしろ稻子さん自身が理窟の上でも實生活の上でも、とても猛烈な自由戀愛主義だしね、伸一郎氏といつしよになる時だつて稻子さんと言う人は、その前の御亭主の、たしか物理學の教授だつた、その人を蹴とばして強引に伸一郎氏といつしよになつた位だから、今度伸一郎氏に新らしい戀人が出來ても、反對するわけには行かないんじやないかしら。痛い所だわね。もとの御亭主に呑ませた煮え湯を今度は御自分が呑む番になつたわけよ。自分が良いと思つてやつて來た主義を、人には、そうしちやいけないとは言えないんでしよう? 自繩自縛という所ね。でもあたしは女だから、稻子さんに同情するな。伸一郎氏のためには稻子さん、實に今迄至れりつくせり、かゆい所に手がとどくように良くしてやつて來たのよ。ひと頃など朝起きると、伸一郎氏の帶までむすんでやるのよ。經濟的にも稻子さんの收入の方が多いんだから、伸一郎氏がズーッとノンキに繪が描いておれたのも稻子さんのおかげよ。稻子さんて人は、ひどく新しがつて、自分でも新らしいと思つているんだけど、シンはまるで封建的な人じやないかしら。すくなくとも伸一郎氏に對しては全然世話女房だつた。自分の方が年上だと言うヒケメもあるかしら? とにかく、見ていても腹が立つほど盡して來たのよ。それを、若い美しい女が居たからつて、ハイ・サヨウナラはひどいわよ! とにかく、そういうような人だわ、稻子さんて。まさか、あの人があなたの搜している人では無いと思うけど、何かの手がかりにはなるかも知れない。もしかすると、案外、そんなような自由な戀愛觀を持つた人だから、Mさんから頼まれて、それ位のことはやりかねないかも知れない。よしんば自分はしないにしても、間に立つて口をきいてやる位の事はする人よ。とにかく會つてごらんなさい」――以上、立川景子の話。
それで、會いに行つた。
徳富稻子の年齡は自分には見當つかず、既に相當の年配にちがい無きも、身體非常に小ガラにして、顏も少年の如く小さく丸く、ボオイッシュ・ボッブ? 髮をザンギリに刈りあげ、ハデな化粧のためひどく若く見ゆ。葛飾區の、川のそばのきたないアパートの二階に住んでいる。
自分が最初に訪ねて行つた時は、正午近くだつたが、アパートには不在のため、隣室の人にたずねると、託兒所だろうという事で、そちらへ行くと、なるほど幼稚園のカンバンはかかつているが、古板や燒けトタンを寄せ集めて立てたヨロヨロのバラックなり。表で自分がウロウロしていると、バラックの内から、甲高い女の聲と三四人の幼い子供たちの聲で、インターナショナルを歌う聲が不意に起る。しかし、チャンと歌になつているのは、ただ一人の女の聲だけで、あとの子供たちは、ただウォーウォーと犬がほえるように、節もメチャメチャに叫ぶだけ。
案内を乞うていると、窓のような所から、オトナやら子供やらわからぬ女の顏がヌッと突き出て、「どなた?」と言う。それが徳富稻子であつた。内に入ると、二間四方ぐらいのきたない板の間で、家具は無く、壁に小さい黒板を一つぶらさげただけ。黒板に多分熊だろう――動物の繪がチョウクで描いてある。四歳から七歳ぐらいまでの、みすぼらしいナリと顏をした子供が、たつた四人いるだけ。それに稻子はインターナショナルを教えていたらしい。自分は託兒所というものを、はじめて見たが、こんな貧弱な託兒所が有るのか? 兒童が四人というのも、あまり少なすぎるのではあるまいか。しかしそんな事は自分に直接の關係無き事ゆえ、すぐに自分がMさんの知人であることを言う。椅子も無く、坐る所も無いので、突つ立つたままなり。
「そう、Mさんね?……もう久しく會わないでいて、あの方あんなことになつたけど――お氣の毒なことをしましたねえ」
カチッとした物の言い方で、テイネイなれど、冷たい。人をよせつけないような所がある。ひどくイライラしているような眼の色。そのイライラしている自分を他人からかくそうとして壓えつけている。冷たい感じはそのために生れるのか。――
「で、どんな御用でしよう?」
言われて自分困る。はじめの三四分間、この人があの女で無いとわかつたので、さて「用」と言われるとマゴつくのだ。それで、しかた無く、訪問の口實として立川景子から授かつた「Mさんの事を書きとめて置きたいと思つて、知人の方たちを歴訪しているんです」と言うと、稻子はしばらく考えていたが、やがて腕時計をのぞき「では、私の住居の方へ行きましよう。いえ、どうせ、お午になれば、この子たちは家の方から連れに來ることになつているし、もう十一時半過ぎですから、早目に歸らせましよ
前へ
次へ
全97ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング