餞別に買つてやらうと言ふのにねぎつたのかい?
より だつて、いまいましいぢやありませんか。
磯 アハハハ、相当だよ、お前も。どれ私や残りの品を、まとめてやらうかね……(笑ひながら立つて行く)
より 香代ちやん、はい。これ、私のホンのおこゝろざし。……あら、どうしたの?
香代 ありがたうよ、よりちやん。……済まないけど酒を一杯おくれ。
より 泣いたりして、今更――。
香代 お酒!
より 酒はいいけどさ……(大きいコツプに酒を注いで持つて行つてやつて)おかみさん、又なんか言つて?
香代 うゝん……(酒を一気に呑む)私に済まないつて。
より 今頃になつて? それ位なら、あんたが近藤さんから借りた分を立替へてやつて、それをあんたの前借の中に繰入れて呉れゝば何でも無く済む事ぢや無いの? 本当は、近藤さんがあんたにあんまり御執心なもんで、あんたが此処にゐれば又なんだかんだで、いつなんどき、あんたに取つて代られるかも知れないと思つて、おかみさん安心して居られないからさ。
香代 おかみさんは、あれで、気の良い親切な人だよ。あんな人に煮湯を呑ましたり、私にや出来ない。
より 気は良い人だよ。だけどさ、あんた、自分の事考へて見れば――。
香代 いいんだよ! もう一杯おくれ。なあに、どう転んだつて私はもう同じ事だもの、諦らめてしまつたのよ。まあなるべく他人様の邪魔にならぬやうに……。アハハハハ(自棄に笑ふ。酒をあふる)もう一つ、大きいので!
より そんなに呑んでいいの?
香代 いいぢやないか、ケチケチするない。もうお別れぢやないか! 今度いつ又逢へるか解りやしないのよ。(酔つてゐる)
より ぢや、まあ……(注いでやる)しかし向ふへ行つたら、あんまり深酒しちや駄目だよ。
香代 ふん、さう言ふ事を言つたつて、もう手遅れだよ。アハハ、私のする事あ、何に限らず、いつも手遅れだ。ハハ。よりちやん、あんた、私見たいになつちや駄目だよ。人に惚れたら、早く惚れたと言つておしまひよ、手遅れにならぬ内に自分をブチまけておしまひよ、いいかい、こじらしちやいけない。お別れに忠告しとかあ。
より 留吉さんは、どうしてゐるんだらうねえ。
香代 あんな奴の事を言つてんぢや無いつてば! あんな、人で無しめ……私あ志水さんの事を言つてんだよ。よりちやん、お前惚れてんだ。すなほに、惚れてるやうにして惚れなきや駄目だよ。人間、すなほが一番強いんだよ。私みたいにこじらしちや駄目! こじらしちや駄目! ウーツ、もう一杯。
より (香代の気持がヒシヒシと解つて、涙声で)もういいよ、香代ちやん。
香代 注げよ! 注がないかつ! アハハ。よろしい、それでいい。その代り、お別れに私が歌を唄つてあげる。ヤーレと(唄ふ。木挽歌)坑夫女房にや、なるなよ妹、ガスがドンと来りや、後家ぐらし、やれチートコパートコ。
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(すゝり泣くより子。……表から志水が仕事着のまゝ新しいシヤベルを五六丁荒縄でしばつたのを担いで入つて来る)
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志水 う、えらい景気だなあ。馬鹿にいい声で唄つてゐると思つたら、香代ちやんか。うまい筈だ。
香代 そら来たよ、よりちやん! ウワーイ!
より (真赤になつて)いやつ! 志水さん、あんた現場ぢやなかつたの、今日は?
志水 本社の用度課へこれを取りによこされたんだ。これから又現場へ戻るんだが、うどんでも一杯食つて行かうと思つてなあ。
香代 志水さん、あんた、よりちやん好きだろ? え、好きだろ? 返事しろよ、好きだろ?
志水 なんだよ? 驚ろいたなあ。
香代 好きなら、早く、おかみさんにして一緒になつておしまひよ! よりちやんの方なら、もう、とうにあんたに首つたけ。いやもう背が立たない。この辺まで! ブクブクブク助けてくれつ!
より 馬鹿! (てれて調理場へ行く)
志水 (笑ひながら四辺を見廻して、カバンやバスケツトを見つけて)どうしたんだい、誰かどつかへ行くのか!
より ……(調理場から)香代ちやんが、遠くへ行くのよ。一時半の汽車で。当分お別れよ。
香代 お香代さんの、お住み替へだい! アハハハ。倍になつた借金を、此の首つ玉へ、おもしに附けて、西の海へドブーン!
志水 さうか。……そいつは、なごり惜しいなあ。身体に気を附けて――。
より (出来たうどんを志水の所へ持つて来ながら)はい。(しみじみとした間。……遠くで列車の音、汽笛)
志水 ……(うどんに箸を附ける)あゝ、うどんを食ふと留公の事を思ひ出すなあ。留公、今頃どうしてゐるかなあ。(ハツとしたより子が、それを言ふなと、しきりに志水に眼顔で知らせる)国へ帰つて百姓やつてゐるかなあ、止しやいいに――。(より子がたまりかねて志水の裾を引つぱつて、香代の方へ注意を向ける)うん?
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(二人がその方を見ると、不意に顔色を変へた香代が、今迄ハシヤいでゐたのを突然に止めて、顔をそむけたまゝ土間の真中に突立つて石の様になつてゐる。……間)
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香代 ……。ふつ! 畜生。……志水さん、あんた達あ、腑抜けかね? ……死んだ島田さんの事やなんか、会社へかけ合ふと言つてゐたのは、どうなつたんだよ? (と、何のキツカケも無く、出しぬけに真青な顔になつて、全く別の事を言ひ出す。酔ひがこじれて、蒼白く気味の悪いやうなからみ方である)え?
志水 なんだ、急に?
香代 へん、お前達はそれでも男か? それでも人間か? 島田さんとこの婆さんはな、もう食へないし、会社からの金は払下げて貰へないし、ニツチもサツチも行かなくなつて、泣くにも泣けないで真青になつてゐるんだぞ!
志水 ……急に又、そんな――。
香代 言ふぞ! 言ふとも! それが、さうしてベンベンとして他人が良い様にして呉れるのを待つてゐるばかりが、死んだ友達、死んだ仲間のために為てやる事なのか? へん! それでゐて、詰らない、馬鹿々々しい話になりや、人の事にまで頭を突込んでなんだかだと、ぬかすんだ!
志水 香代ちやん、俺あ留公の事を、からかつて話してゐるんぢや無えぜ。ほかの連中は知らねえ、俺あ――。
香代 あんな奴の事なんぞ、誰が言つたい? 私あ、お前さん達仲間の意気地無さの事を言つてゐるんだ! お前達あ人間の屑だ!
より 香代ちやん――!
志水 アハハハ。いいよ、言はして置けよ。今のところ何と言はれても仕方が無え。(真率に)しかし、なあ香代ちやん、俺達あ、止しやしねえぜ。はたから見てゐると、何もしないでボヤボヤしてゐるやうに見えるかも知れねえけど、実は、そ言つたもんぢや無いさ。
香代 へん、ぢや何故、早く――ぶつぱなしてやらない?
志水 せつかちな事を言つたつて始まらねえよ。明日や明後日おしまひになる仕事をしてゐるんぢや無い。島田のバイ償金だけを倍か三倍かにして取つちまやあ、あとはどうでもいいと言ふ話なら別だが、事はそれだけぢや無え。
香代 そんな事を言つてゐる内に、島田のお婆さんは子供を抱いて明日にでも身投げでもするかも判らないよ、へつ!
志水 ぢやお前は、俺達仲間で、人数は少えけど十人ばかりの家で順繰りに、バイ償金がさがる迄、島田んとこの遺族に毎日炊出しをしてやるやうに決つた事は、知らねえんだな?
香代 へーん? ……そいで、あと、どうするんだよ?
磯 ……香代ちやん、これでお前の物、すつかりだけど――(と言ひながら奥から、手に二三の下着類を持つて出て来る)おやいらつしやい。早いのね?
志水 本社へ来たついでに、ベツピンの顔を拝んで行かうと思つてね。
香代 ねえ、そいで、あと、どうすんだよ? (と変に真剣にしつこい)
志水 まあいいよ。お前、酔つてるよ。
香代 酔つてる? 酔つたがどうした? 言へねえもんだから、人の事を酔つてるなんぞとぬかしやがつて! おい! お前達みてえな、ロクで無しの人夫がな――畜生! 馬鹿にするない! (怒つて志水にかゝつて行く)
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(そこへ表からヌツと入つて来る留吉。先に此処を出て行つたのと殆んど同じ装。出合ひがしらにお香代の狂態なので、入口の所で立止つて黙つて見てゐる)
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より 香代ちやん、いけないよ! (とめる)
磯 どうしたんだよ?
より なに、少し飲み過ぎてんですよ。香代ちやん、あんた、今日住替へに出立するんだよ、しつかりして呉れないと困るよ。
香代 なによ言つてゐやがる! (より子の止めるのをきかず、あばれ廻る。その辺に出てゐる物を投げ飛ばしたり蹴つたりして狂態を尽す)へん、住替へがどうしたんだつ! 来い、野郎! ち、畜生! 野郎! ひとで無し! 情知らず! 馬鹿! (あばれ廻る)
より (留吉を発見して)あ、留さん!
志水 留公! 戻つて来たのか?
香代 なんだつて? 又、私の事をひやかすのかつ! 畜生いい加減にしろい! (酔つてチラチラする眼で、その辺を泳ぎ廻つたあげく、留吉の立つてゐる姿を発見する)……なんだい? (顔を突出すやうにして、留吉を見てゐる)
留吉 ……住替へをする事になつたんだつて?
より さうよ。香代ちやんもう直ぐ出立する所なのよ。
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(香代はポカーンと無言で留吉を見詰めて立つてゐるばかり)
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志水 国の方は、どうしたんだ?
留吉 ……うん、百姓したつて、詰らねえ。此処の方がいいや。此処で住むつもりで戻つて来た。済まねえが、又一緒に働かしてくれよ。
志水 そいつはいい! さうか、そりやいい!
留吉 おかみさん、お香代は、いくらで住替へる事になつてんです?
磯 なにか――?
留吉 金高を聞いてゐるんだ。いくらで住替へる事になつてゐるんです?
香代 (出しぬけに神経的に笑ひ出す)へつ! ハハハ、何をまた! それを聞いて何にするんだ? ヘツ! お前なんかの出る幕ぢや無いよ! 寝呆けたのか! 私の身の代金がいくらだらうとそれがお前さんにどうしたつて言ふんだい! 馬鹿にしちやいけないよ、ハハハ、何を――。
留吉 (ベラベラと気が狂つたやうに喋りながら顔を突出して来る香代の顔を、黙つて張り飛ばす。続けて三つばかり。ヨロヨロとなる香代)……馬鹿! (キヨトンとしてしまふ香代。呆然と立つてゐる)
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(間――遠くを列車の響)
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磯 ど、どうしたんだよ?
留吉 いくらだと聞いてゐるんですよ。
磯 そりや、先方から受取つた金は、まだ三百ばかりだけど、さうさね、内のと近藤さんからの借金など全部合せて丁度七百円――。
留吉 此処に五百円あるんだ。(出して上り端に置く)これで、お願ひだが、住替へ一件の証文は巻いていただけねえだらうか? あとの二百円は、俺あ、キツト此処で稼いで、毎月いくらかづゝでも入れて、なすから――。
磯 ……えゝ、そりやねえ、なんですけど――なんしろあんまり藪から棒で――。
志水 それぢや、留公、君あお香代ちやんと――?
留吉 お香代の子供を引取つて、三人で家を持たうと思ふ。此の町に住着かうと考へてゐるんだ。
より まあ! まあ! 香代ちやん、香代ちやん! (感動して香代にかじり付く。しかし香代は呆然として留吉を見守つてゐるばかり)
志水 さうか! ……だけど、君も変つたなあ?
留吉 ホントにきまりが悪い。いろいろ眼に余る事も有つたらうが、以前の事あ、かんべんしてくれ。あいでも、俺あ嘘や冗談でしてゐた事ぢやない。夢を見てゐたんだ。……物事のけじめも、人の心持もわからなかつた。なさけ無い話さ。……しかし、これから俺、此処で地道に働いて行かうと思つてるから、よろしく一つ頼む。
磯 まあ、ねえ!
志水 頼むも頼まねえも、君あ何も言はずに国へ行つたんで会社の方へもあのまゝになつてゐるんだから、今日からだつて行けるさ。
留吉 さうかい、ありがてえ。んで、いつか言つてた話なあ、例の島田君の一件がキツカケで皆でゴタゴタもんでゐた事さ、あれは――?
志水 まだ行き悩んでゐるよ。会社でも幾分折れては来て呉れてゐるが、なんしろ、事が単にバイ償
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