地熱
三好十郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)灯《とも》る
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(例)[#5字下げ]1 炭坑町の丘[#「1 炭坑町の丘」は中見出し]
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[#5字下げ]1 炭坑町の丘[#「1 炭坑町の丘」は中見出し]
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(開幕前に、上手から下手奥へ列車が通過する轟然たる響が近づき、遠ざかつて行く。開幕後も音は残る。
町はづれの丘。上手が斜めに切通しになつてゐて、私設鉄道の線路の一部。線路に添つて街道。その間に木柵。――炭坑地特有の、何から何まで黒い〈風景〉。晴れた夕陽の空。遠い山脈。秋。
切通しを見おろす丘の上に此方を向いて腰をおろし、遠くに視線をやつているお香代。胸の辺で何かしてゐる。
……間。
近づいて来るトロツコの音と元気一杯の男声二人の唄声。
(木挽歌)
『やーれ土方稼業と、コラ空飛ぶ鳥は、どこのいづくで果てるやら、チートコパートコ』
線路に現れて来るトロツコを押してゐる二人の工夫。トロツコにはトンネル工事の材料が積んである)
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辰造 おゝ、此の辺でチヨイと一服して行かうぜ。
金助 だつて現場ぢや、みんな待つてゐるよ。
辰造 いいつて事よ、どうせ今日も又残業だ。たまには骨休めもさしてやらなきや、たまるもんか。俺達が行くのが遅くなりや、そいだけ休んで居れるんだ。ハハハ、気を利かすなあ、かう言ふ所だ。
金助 しかし監督が又怒鳴るぜ。
辰造 怒鳴らしときやいいぢや無えか。あの野郎、こちとら臨時工夫をまるで人間扱ひにしねえんだからな、ナメた畜生だよ。
金助 だけんど、あの浸水のひどさぢや、責任持つて現場に出てりや、イライラもするよ。あいだけの人間が夜の九時迄働いて、一日にやつとコンクリー流し込みが一尺と進まねえんだからな。
辰造 そんな事俺達が知るか。会社で無理にもあすこにトンネル通さうと言ふんだから、会社の責任だい。(先刻から煙草をくはへて、何度もマツチをすつてゐる)チツ! マツチまでが附きくさらねえ!
金助 (自分のマツチを出して)おいよ、此処にあるぜ(するが附かぬ)こいつも駄目だ。
辰造 一日ビシヨ濡れになつてゐて、そいで煙草も吸へなきや、世話あ無えや。こん畜生! (マツチ箱を丘の方へビユツと投げる。それが香代の肩に当る)
金助 (マツチを見送つた眼で香代に気がつく)あ、お香代さん!
香代 ……? (夢を見てゐるやうな眼附)
辰造 香代ちやんぢや無えか? どうしたんだ、こんな所で?
香代 ……どうしたの?
金助 お前こそどうしたんだ?
辰造 さては、逢引と来たな。色男を待つてゐるんだらう?
香代 (やつと我れに返り、周囲を見廻す。それから二人を見てニツコリし、初めて元気な眼の色)まだ仕事なの?
辰造 御覧の通りでございますよ、へん。それをだ、そんな所で色男を待ちの、よろしくやらうと言ふのは、俺達に当てつけて見せようと言ふんだな。少し殺生だらうぜ!
金助 ホントカ、おい?
香代 さう、まあその辺だわね。
辰造 なぐるぜ、畜生!(三人笑ふ)おゝ、香代ちやん、お前マツチ無えか?
香代 マツチ? さうね……(袂を捜して)はい、投げるよ。
辰造 ありがてえ! おつとしよ(マツチを受けて)香代ちやん様々だ、やつとありつけらあ。(二人はかぶり附くやうにして一本の火で煙草を吸ひつける)
香代 まだ浸水はひどいのね?
金助 段々ひどくなる一方だ。おかげで、臍から下あ、いつも水びたしだ、肝心な物がふやけやがつてなあ。アハハ。(三人笑ふ)
香代 アハハ。いいぢや無いの。
金助 えつ! なんだつて! いいんだつて?
香代 いやらしい金さんだねえ。さうぢや無いつてば! そんだけ骨が折れゝば、日当だつていい訳だろと言つてるんだ。
辰造 冗談言つちやいけねえ! これで一日働らいて一両七貫だぜ。お香代さんの前だが一両七貫とは、一円七十銭の事ですよ。今、米がいくらしますかつてんだ。お前んとこの蔦屋で一番安いうどんだつて大盛一つ十銭だぞう! 少し気を附けて口を利いて貰ひてえね。
香代 うどんの値段は、私等のせゐぢや無いわよ、ウフフ。
金助 だつて、なんとなくかう、ふやけて来るんだぜ! それでいいのかい、男児としてだな?
女の声 (町の方から)香代ちやあん! ……香代ちやあん! どこに居るの、香代ちやあん(丘へのぼつて来るより子。香代の朋輩の飲屋の女。着物の裾をまくり上げ、真紅な蹴出しを見せながら)……やつぱり此処だつたよ。おかみさん呼んでるわよ。
香代 なにさ?
辰造 いよう、来た来た! わあ、こいつはたまらねえ!
より あら辰造さんに金ちやんだね。
金助 金ちやんだねか。手軽くおつしやいますねえ。へいさうですよ。私は、いつなんどき首になるかもわからない万年臨時工の金ちやんですよ。あなたのお好きな志水の兄きで無くつてお気の毒様みてえだ。それ、ポーツと来た。どれどれ。(逆さに覗く)
より あれつ! (裾を掴んでマゴマゴしたあげく、ペツタリ坐り込む)
香代 馬鹿だねえ、早くお行きよ!
辰造 なあ、より公! うどんの値段は私達のせゐぢや無いと香代ちやんが言ふがな――。
より 行つとくれよう! 私、立てやしないぢやないか。
辰造 ぢや、お前達を抱いて寝る値段も、お前達のせゐぢや無えのか? それ、聞かう?
香代 馬鹿、お行きつたら!
金助 そこん所を聞かねえぢや、一寸だつて動かねえ!
香代 よし、そんぢや、こら! (と持つてゐた茶碗の中味を二人に向つてぶつかける)
金助 わつ! な、な、なんだ! (顔を手で拭く)
辰造 ウエ! 変に甘えもんだぜ、全体なんだい、こりや?
香代 行かないと、もつと投げるぞ!
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(辰造と金助は元気に、トロツコを押し去る)
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金助 しよんべんぢや無えだらうなあ。ペツ!
辰造 おぼえてろ! 今夜行つたら、どうするか!
より (叫ぶ)ホントに今夜遊びにおいでよ、なあ!
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(急に静かになる。短い間)
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香代 ……(男達に見せてゐた顔とは全く別な寂しい表情)用つて何?
より あんた、お乳をぶつかけたのね、もつたい無い。
香代 フン。……張つて仕様が無いんだもの。店にゐりやさうでも無いけど、此処へ来て、山の方を見てると、張つて来るんだ。
より だから来なきやいいつて言ふのに。
香代 さうさ。……だのに、夕方になると、足が此方へ向いてしまふ。
より ……もうだいぶ大きくなつたらうねえ。私あ、子を持つた事は無いけど、どんなんだらうねえ、あんたの気持。(遠くを指して)あの辺ね、新村つて言ふ所?
香代 いえ、もつと右のさ、そら、あの黒く見える尾根がズーツと裾を引いて、その先がポツンと切れてゐるだらう? あの向ひつ側が新村さ。貧乏な村でね、その家ぢや、三吉の事、本当の子の様に可愛がつて呉れるけどさ、なんしろ家の中に豚が飼つてあるんだから。臭いのなんのつて!
より アハハ。豚をねえ! そいぢや臭いわ。
香代 三吉も、今頃は豚と同じ匂ひになつてるだろ。
より まさかあ! ハハハ。ちやんちやんと、あんたから金が届けてあるんだもの、先方でも大事に育ててゐるさ。赤ん坊は良い匂ひがするもんねえ。私あ国でいつか姉さんの子を抱かされた時にね、あのムーンとする匂ひがたまらなく良くなつちやつて――。(フイと見ると、香代が胸を両手で抱いて身をもむやうにしてゐる)――あら、どうしたの?
香代 ……(唸る様な泣声)
より なんだい、急にまた、お香代ちやん……泣いちや駄目だよ。
香代 いいよ! (相手の手を邪慳に振り払ふ)どうなるもんか。
より だけど、その亡くなつた三ちやんのお父つあんの家ぢや、あんたを、どうして構ひつけてくれないのかね。町の紙屋で立派にやつてゐるつてえぢやないか?
香代 ……あんな不人情な奴等の世話になる位なら、三吉は私が殺してやるよ。その方が慈悲だ。あの人の病気がひどくなつた時も、知らしてくれやしない。……それでいいかも知れないさ、私あ、こんな炭坑町の飲屋の女だ。
より だけどさ、そいでも――。
香代 うるさいねえ! あんた帰つて頂戴よ。
より そりや帰るけどさ、私あ、あんたを呼びにやられたんだから――。
香代 又会社の近藤が来てんだろ? 話は聞かないでも解つてる。
より んでも、お神さんも間に立つて困つてゐるやうだよ。蔦屋の店を開く金は大方近藤さんが出してくれたつてえからねえ。
香代 それとこれとは話が別ぢや無いか。私はお神さんから前借して来てゐる人間だよ。お神さんと近藤がどんな関係になつてゐるんだか、私の知つた事かね!
より そりやさうさ。全体、あんたを金で縛つて妾にしようなぞと、いくら近藤さんが会社の課長さんかなんか知らないけど、きたないよ。だけどもあの人を怒らしちまふと、蔦屋はおろか、此の土地に私達居れなくなつてしまふんだよ。
香代 ほかの土地へ行くさ!
より だつて、さうなりや、あんただつて坊やの所からもつとズツと離れてしまふ事になるんだよ。
香代 ……ぢや、ひと思ひに、死んじまふか。
より え! ……(ギヨツとして見詰める)……あんた、まさか……?
香代 ハハハ。死ぬ死ぬと言ふ奴に死んだためしが無いとさ。アハハ。
より あゝびつくりした、あんた大変な眼付きをするんだもの。
香代 ちよつと、おどかしてやつたのさ。よりちやんがあんまり臆病だから。
より 早く帰らうよ。もう日が暮れる。さうで無くつても、此処の切通しではこれまで何人飛込みがあつたか知れないんだからねえ。(崖のふちまで行つて怖々下を覗きながら)キツト此辺から列車目がけて飛ぶんだよ。気味の悪い!
香代 よりちやん、あんたの後ろに誰か立つてゐるよ。
より え? なに?
香代 そら、そこだ。
より ヒーツ! (真青になつて下手へ駆け出してゐる)やだツ!
香代 アハハハ。直ぐ私も戻るからね。
より (立上つて)意地わる! いいよ、私は先に帰るから。あゝ胸がドキドキする。(行きかけて又振返つて)……本当に香代ちやん、変な気を起しちや駄目だよ。
香代 なによ言つてるのさ、馬鹿だねえ。
より 少しあんたも男に惚れて見たりするといいんだがなあ。いくら、もう、男にはコリゴリだと言つてもさ、女はやつぱり女だもの。世間の男が、大概餓鬼道ばかりだとしても、みんながみんな三ちやんのお父さんみたいな者ばかりでは無いわよ。あんた、あんまり情がきついから世間も狭くするのよ、僕が忠告しとく。
香代 おつしやいましたね、あんたこそ少し男に惚れ過ぎやしない? あんまり情が深いから身が持てないつてね、一目惚れのより子さん。
より はゞかりさま。ビー、だ! (小走りに消えて行きながら)直ぐ来てよ。
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(夕闇が降りはじめる。香代は茶碗の中へ乳首を押しながらヂツと動かない。上手に男一人の寂しい歌声(前に出たのと同じ節の木挽歌)が起り、次第に近づき、薄暗くなつた線路の所を、鶴はしを担いだ工夫の姿が一人通り過ぎて奥へ。
『山で切る木は、数々あれど、
思ひ切る木は、更に無い。チートコ、パートコ』
泣いてゐる香代。……間。……かなり離れた引込線ででもあらう。汽笛が二つばかり響、しばらく間を置いてエキゾーストの音。……柵の傍に立つてゐる細い電柱の上の外燈と、もう一本の列車のための信号燈がポカリと灯《とも》る。光は少し斜めに丘の上までを照す。……照し出された香代は既に泣いてゐない。眼をカツと見開いて、遠くの列車の響を聞いてゐる。又汽笛が二つ三つ。
スツと立つた香代、先程より子がしたのと同じ様にスタスタ崖の縁へ歩いて行つて、線路の方を見おろす)
[#ここで字下げ終わり]
香代 ……三吉。(ポツンと言つて、スツとしやがんでしまふ。眼は線路に釘付けになつたまゝ。伝わつて来る鈍い列車の響)
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(先程工夫が歌ひながらやつて来たのと同じ方向からフラフラと出て来る男。古背広に半ズボンに巻ゲ
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