私あ随分見てやつて尽してあるんだからな。なあに。たゞ私は、君の腹を聞いてゐるだけなんだ。
留吉 ホントに、もう百姓をやつても合はないんですかねえ?
津村 みんな、よく、さう言つてゐるねえ。
留吉 どう言ふんだらうなあ? ……なんか、自分がこれまでの五年、思ひに思ひ続けて来た事が、急に嘘の様な気がするんだ。こんな事言つたつて先生にや解らねえだらうけど、それだけの為めに俺あ言ふに言へない苦しみを舐めて来たんですよ。田地の事と妹の事だけしきや俺の頭にや無かつたんだ。妹はああして、利助なんて妙な野郎とあんな風になつてゐるし、田地は田地で――。
津村 利助は、ありや又特別だよ。ありやよくよくたちの悪いゴロツキだ。君も知つてゐる、以前から山師で評判の良くなかつた男だが、近頃益々輪をかけて――。
留吉 いや、人の評判なんか、どうでもいいですがね、あれで苦労をしてゐるお雪が可哀さうでねえ……。(話の間に二人は墓地の中に入つてゐる。留吉は心覚えの両親の墓石を眼で捜してゐたが)あゝ、これだ。(なつかしさうに撫でる。器械鋸の音が響いて来る)お! (奥を見おろし、それから掘割を見て、アツケに取られてゐる)……なんだ?
津村 あゝ君は戻つて来てから此処は初めてなんだな? これさ、例の轟君と利助やなんかがやつてゐる工場は。
留吉 いくら何でも、こいつは酷い。
津村 さうだよ。とにかく村の墓地なんだからつて、村中でいくらか反対も有つたけどね、そんな事より、此の工場の為めに村の人間が何十人か恩沢を蒙つてゐるんだからてんで――。
留吉 その工場も旨く行かねえつて言ふぢやありませんか。
津村 なあに、利助なんぞが村の人を使つて小態《こてい》にやつて居た頃は、これでやつて行けたのさ。もともと山あ近いし、地理の関係から言つても、割と有利な仕事だからねえ。それが轟君の手に渡り、それが又今度倉川の手に渡るとか渡らぬとか言ふ事になつて来ると、そいだけ金がかゝれば結果として又そいだけの利益をあげなければならん道理で、やつぱりヤマカン事業になつて来るんだなあ。しかし、いづれ、轟や利助がいくら頑張つたつて、倉川の物になつてしまふんだらうねえ。大きな金が、近辺の小さな金を全部呑み込んでしまふんだな。すべて似たやうなもんだ、農業だつて同じだよ。
留吉 すると、貧乏人や小百姓はどうしてやつて行けるんだ。
津村 そんな事、私は知らんよ。アツハハハ。
留吉 まさか、貴様達は早く死んじまへと言ふんぢやあるめえ!
津村 なんともわからん。ハハ、西洋にそんな哲学が有る。中世紀と言つて、人民は、何一つ言へなかつた時分の事だがね。その哲学では、一日でも一刻でも早く死んでしまふ事が人間の最大の幸福だと言ふんださうだ。気持あ解るやうな気がするがなあ。(墓石をピシヤピシヤ叩いて)かうして石になつてしまへば、苦も楽も無いからなあ。ハハハ。
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(留吉は、津村の駄弁をウワの空で聞きながら、唇を噛みしめて掘割の流れを見詰めてゐる)
(伝七がアタフタと出て来る)
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伝七 ……やあ、あゝんだ、どけえ行つたかと思つたら、墓詣りに来てゐたのか。えらく捜したよう……(白い眼で津村を見やり)なあ留さ、どうだらうなあ、頼んだ事よ? 三百円出来なかつたら二百円でもいい、抵当は矢張り上の段の桑畑だ。かうなつたら先の事なんぞ考へては居れねえ。どうにも、はあ、打つちやつとくと此の月末にや差押へが来るだから――。
留吉 ……俺に頼んでも仕方無えよ。
伝七 そんな事言はなくともいいで無えかい。君んとこの死んだ親父と、俺んとこのおふくろは、イトコまでは行かねえが、とんかく縁につながつてゐる間柄なら――。
留吉 ……縁につながつてゐても、此の親父の墓ひとつ見て貰はねえからね。
伝七 え、そりや、君、何もそりやお互ひに忙しいから、つい、いつでも来れると思ふから――。
留吉 いや、死んじまつた者が、どうなるもんか。カンヂンな事あ、生きてゐる者の方だ。
伝七 だからさ、だから、二百円で、結構だからよ――。ぢや、えゝい! 利息を、昨日は三分五厘と言つてゐたが、思ひ切つた! 五分迄出さうぢや無えか! 背に腹は代へられねえ、五分の利息と言へば村の貸借にはチヨツと無い率だよ?
津村 ハハハ。ぢや他からでも融通は出来る訳ぢや無えのかい?
伝七 津村先生、あんたあチヨツと黙つてゐて、呉れねえかね! 俺あ真剣なんだぞ。村で持つてゐる学校で、当てがひ扶持貰つて勤めながら、その暇々にシユーセンの口利きをしちや口銭稼ぎに夢中になつてゐる人間なんぞに俺等の辛え気持がわかるかい!
津村 あんだと! 私が、いつ口銭稼ぎに夢中になつた?
伝七 現にやつてゐるで無えか!
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(奥の製板工場の方から、水路に添つて轟が昇つて来る)
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轟 ……大きな声を出して、なんだ? (留吉に)やあ、いい天気だねえ。ハハハ、墓詣りかね?
留吉 ……ひでえ事になりましたね?
轟 これかね? いやあ、仕様無えさ、私など初め反対もして見たけれど、先頭に立つてゐる利助が、あの調子で猪みてえな男だからねえ。
留吉 ……。此処にや、俺の親父やおふくろを初め、先祖の骨がみんな埋まつてゐるんだ。
轟 (弁解して)墓なんぞ場所ふさげだと言ふんだ。死んだ人間が生きてる人間の邪魔をする手は無えと言ふ訳さ。アハハハ。いや、これに限らず、彼奴が、かうと思ひ立つたら、それが最後だ。おかげで今度の製板のイザコザぢや、私あ倉川と利助との間にはさまつて、弱つちまつてなあ。実あ、もう私あ、損をしても構はんから手を引きたいんだが、それもならんしねえ。このままで行きや利助と倉川にいぢめ殺されてしまふ!
留吉 全体、どうしたと言ふんですかね?
轟 細かい入り組みを話せばキリが無いが、要するに現ナマさ。今現ナマが千円もあれば、倉川だつて半年や一年待つてくれねえ事あ無え。倉川にしたつて、面倒な経営に乗り出すよりや、ふところ手で、下ろした資本の利廻りを見てゐた方が得だからねえ。何事に依らず肝心の物が無えと事がもめる。……どうだ留さん、君ひとつ、スパツと金を出して、製板へ乗り出して見ちやあ?
留吉 ……俺なんぞ、駄目だ。
轟 駄目なものか! なんなら出資だけしてくれゝば、共同経営の名儀にして、経営の方は私が一切やらうぢやないか!
津村 ……留吉君! で、斉藤さんの方の話だがなあ――。
伝七 (押しかぶせて)留さ! ひとつ頼むよ! なあ、昔のよしみに免じてさ! 利息はもう少し上げてもいいだ、えゝと、ぢや五分五厘ぢやどうだ? くそつ、思ひ切つちまへ! え、どうだ?
留吉 ……(急にすべてが耐へきれなくなり)いやだ。……俺あ、いやだよ。
轟 とにかくまあ、工場を一度見てくれよ! なあ! 今、器械全部は運転してゐないけどね、とにかく、見てくれ! (工場への傾斜を留吉を連れて降りて行きかけながら)もともと、これは有利な事業なんだからねえ、倉川も其処に目を附けてゐるのさ! (そこへ、酔つた利助が血相を変へて走り出して来る。手に封筒を掴み、懐中に何か呑んでゐる。走つて掘割の所まで行き、四人の後姿を認める)
利助 やい待て! 轟! おい! (と傍の人達を突きのけて轟の胸倉を掴んで掘割の傍まで引きずつて来る)
轟 な、な、なんだ? 何を無茶な――。
利助 貴様、俺を売つたな? 倉川に俺を売つたな、貴様?
轟 なに、売つた?
利助 惚けようたつて駄目だぞ! これを見ろ、これを! 畜生! (ピシリと相手の頬を打つ)
轟 乱暴するなあ止せ! 全体どうしたと言ふんだ。
利助 だから、これを見ろと言つてゐるんだ! (轟が片手で頬を抑へて、利助から封筒を受取つて開いて見てゐる)畜生! それも、倉川が自分の手でやるんなら、まだ男らしくつて話あ、解るんだ! 弁護士なんかに頼みやがつて、銀行名儀で営業停止の内容証明なんぞで送り附けるたあ、なんだつ!
轟 なるほど、さうだが……しかし、私ん所にや来てない――だらうと思ふんだ。
利助 だから、だから、お前、此の俺を倉川に売つたんだ!
轟 いや、そりや私んとこにも来てゐるだらう。今朝家を出たつきり未だ帰つて見ねえんだから――。
利助 嘘をつけ! 貴様あ倉川と腹を合せて俺を引つかけやがつたんだ! 俺あな、俺あな、もともとウヌ一人の鼻の下を心配してかうして頑張つてゐるんぢや無えんだぞ! 無けなしの金をはたいて、たとへ一株でも二株でも製板の株を買つてよ、それで以てズーツと製板で働いて来た村の連中はどうなるんだ! 五十人からの人間が、そいでどうなるんだ! 製板が倉川の手に渡りや、それがみんな、以前の様に百姓をやつて行かうにもタンボは無し、持つてる株はフイになる、金は無し、食へねえとなりや、よその土地へ流れて行つてウロウロしなきやならねえんだ! なるほど此の俺あ、ゴロツキ山師だ。昔つからのならずもんだ。しかし、お互ひ、人間の道あ、チツトばかり知つてゐるんだぞ!
轟 だつて、こんな事になつて来てゐるのに他人の事ばかりは言つて居れねえよ。
利助 それだつ! 言つたな? そいで売りやがつたな、畜生! ようし、どうするか見ろ! 野郎! (いきり立つて懐中からドキドキ光る鉈《なた》を掴み出す)
轟 あつ!
津村 利助君、あぶないつ! これ!
利助 俺の邪魔すると、どいつも此奴も叩き割つてやるぞ! 出ろつ! (驚ろいてウロウロしてゐた伝七、何かに思ひ付いて急に駈け出して去る)
轟 助けてくれ!
留吉 おい利助、止しな! 利助!
利助 なんだ利助だ? へん、俺あな、お前なんぞから呼び捨てにされる義理あ無えんだ! ひつこんでろい!
留吉 まあいいから! な! な! 妹が可哀さうなことになる。な、頼む!
利助 可哀さうたあ、誰の事だ? お雪か、へん! お雪なら、俺のカカアだ、お前の妹なんかぢや無え! 可哀さうだつて? なによ言やがる、その可哀さうな奴を、売り飛ばしたなあ、どこのどいつだ?
津村 それを言ふな? そんな君、無茶な、留吉君だつて、何も好んで――。
利助 へん、利いた風な頤を叩くのは止しにしろ!
留吉 ま、いいよ。君あ酔つてるんだから――。
利助 なにを? 酔つてゐると? 大きなお世話だ!(言葉の一つ一つに留吉の肩や額や頬を突きこくる)俺あな、お前から頂戴した酒くらつて酔つてゐるんぢや無えんだ!
留吉 ……(突きまくられてグラグラしながら後ろへさがつて行く。我慢してゐて、全く抵抗しない)
轟 まあさ! 利助君、まあさう君――。
利助 酒位自分の金で買わあ! 金が無くなりや、お雪を叩き売つてやらあ! もともと彼奴あ、貴様に叩き売られた女だ。それを俺が買つてやつたんだ。俺の勝手にしてやるんだい!
留吉 ……利助、それを本気で言ふのか?
利助 本気ならどうした? 本気だとも。いざとなりや人間、自分の手足だつて叩き売るんだ。俺の女を俺が売るのに何がどうした? お雪に聞いて見ろ、お前なんぞに売られるよりや、俺に売られるのが本望だとよ! 糞でもくらへ!
留吉 ……(無言で利助へ近づいて行き、いきなり相手の首筋と腰を掴んで、投げ飛ばす。不意に人が変つたやうに猛然と怒つてゐる)
利助 な! チ、チ! 野郎、やりやがつたな! (これも起き直つて、留吉へ組み付いて行く)畜生! 野郎! ……この! 畜生!
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(上になり下になりして二人の猛然な取組合ひ、殴り合ひ。……津村と轟が止めようとして周囲をウロウロするが、喧嘩が激し過ぎて傍から手を出す隙がない)
(喧嘩はしばらく続いた末、利助の方が次第に弱つて来る)
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留吉 ……(組敷いた利助を尚も二つ三つ殴つて置いて、その両足を持つて掘割の方へ引きずつて行く)……畜生! 貴様みたいな奴は、俺が殺してやるから、さう思へ! この! さ! (と掘割の水中へ叩き込む。わめきながら這ひ上つて来る利助を、又叩き込む。三度四度五度……)これでもかつ!
津村 留吉君! 留吉君! まあさ、そんな! 危
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