倉川のオヤヂと何かたくらんだね?
轟 なんだつて? たくらんだ? 私が?
利助 でなきや急に彼奴がそんな事を言ふ筈が無え! あんた、蔭にまわつて彼奴を焚き付けたのとは違ふかね?
轟 何を! 俺が、そ、そ、そんな! 失敬な事を言ふなつ! 言ふ事に事を欠いて、――よし、ぢや直ぐ倉川の宿屋へ行つて、ぢかにぶつかつて見ようぢやないか?
利助 ……よし、ぢや行つて見よう! (先に立つてドシドシ表へ出て行く)
轟 (利助の後について一旦表に出てから、小走りに引返して来て)留さん! 先刻の話、ホントに一度真面目に考へて見といてくれないかね?
留吉 ……いやあ、私なぞ――。
轟 とにかく近い内にユツクリ話すから――(表へ消える)
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(短い問)
(二人の去つたのとは別の方角から酒徳利を下げて戻つて来るお雪)
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雪 ……ただ今。
留吉 あゝ。
雪 ……鮎川は?
留吉 今、轟さんが来てな、一緒に倉川とか言ふ人に会ふんだと出て行つたばかりだ。
雪 ……。兄さん、お腹減つたべ? 直ぐに膳の仕度すつから、待つててよ。(土間の隅で仕度する)
留吉 うむ。……製板所のゴタゴタと言ふかなあ、どう言ふんだ? 倉川と言ふ人が買ひ占めにかゝつてゐるのか?
雪 さうなの。いえね、あの製板は初め内の鮎川が山で当てた金で始めたもんでね……私を引かして呉れた時分だよ……もつともそん頃は未だ極く小さい工場だつたけどね。それに段々鮎川が失敗して、やりくりが附かなくなつた所へ、轟さんが乗り出して来て共同でやることになつたけど、工場の実際の事をやるのは鮎川が主で、轟さんはまあ金を出して株を買つただけ見たやうなものでね。それが今度又倉川と云ふ人の手に渡りさうになつてゐるんだつて。
留吉 そんな誰がやつてもうまく行かねえ工場なんぞを、どうするんだらうな?
雪 いえ、地道にやつて行けば、あれでいい加減儲けも有ると言ふけどね。
留吉 だつて現に利助さん失敗したと言ふ――。
雪 あの人はなんしろ気の多い人だから、それやつてゐながら、又別に山に手を出したりするもんだからさ。
留吉 さう言へば、昔から利助は山気の多い男だつた。「ごろつき山師」と村の人は言つてゐたつけ。ハハ、いや俺あそれ程には思つてゐなかつたがな。とにかく、あんまり良くは思つてゐなかつた。それが、かうして戻つて来て見たら、お前の亭主だもの、俺あビツクリしたぜ。
雪 ……だつて仕様無えもの。(下を向いて兄の前に膳を据ゑる)
留吉 なにかね、製板所ぢや土地の人が五十人も働らいてゐるつて?
雪 ……中で働らいてゐるのは二十人位だけどね、なんやかやで五十人位ゐるかな。貧乏人ばかりでね、工場が人手に渡るとその人達も追出されるさうで、直ぐ翌日から食つて行けなくならあ。
留吉 ……しかし、利助さんと言ふ男も、何だか妙な人だなあ。
雪 ……ネヂクレ根性だしね。……(燗の附いた酒を運んで来て、兄に酌をする)はい。
留吉 おゝ。……(飲んで)しかし、お前にやホントに済まなかつたなあ。苦労させた。……どうか、かんにんしてくれ。……だが俺も、あれから死にもの狂ひで働いたよ。これ見てくれ、手なんかかうしてタコだらけだ。ハハハ。
雪 (兄の掌を押して)まあねえ! (涙)……つらかつただらうねえ!
留吉 久しぶりに飲むと酒がノドにキリキリしみらあ。……しかし、もう大丈夫だよ、安心してくれ。もうお前にも苦労はさせねえ。俺とお前とは、たつた二人つきりの兄妹だからなあ。……一つ飲め。
雪 私あ、これにまだ乳やつてるんで、飲んだらいかんの。
留吉 ……お前、もう利助さんの方へ籍は入れて貰つたのか。
雪 いや未だだよ、あゝして忙しいもんだから。それに兄さんが今迄何処にゐるかわからねえもの、そんな事勝手に出来やしない……。
留吉 さうか。……かうなつたら、直ぐさうして貰へ。坊やの事もあるしな。俺から頼んでやる。……どうだ、あれからお前、仕合せか?
雪 え? あんだよ?
留吉 利助さんは可愛がつてくれるのか? え?
雪 ……。(下を向いたまま、アイマイに首を横に振る)
留吉 ……ぢや、仕合せでは無えのか?
雪 ……。(今度もアイマイに首を横に振る。彼女にはイエスともノーとも答えられない。もつと複雑な、もつと深い感情が、彼女を支配してゐるのだが、それを言葉にして言ふ力は彼女は持つてゐないのである)
留吉 どつちなんだよ?
雪 ……。(急にワーツと声を上げて泣き出し板の間に突伏す)
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(間――ヂツと妹の姿を見おろしてゐる留吉。勿論留吉は妹の気持はよく解らない)
(小自作農の伝七が入つて来る)
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伝七 やあ今日は。いいあんべえだね。留さ、今飯かね? 先刻も私一度来たが、まだ眠つてゐると言ふから――。
雪 おいでなせ。(泣顔を見せないやうにして)兄さん、ぢやあチヨイト此の子を寝せて来るからね、飯あこれに入つてゐるから……(コソコソと奥へ立つて行く)
留吉 うん。……(妹の方へ気を取られてゐる)
伝七 久しぶりに戻つて来ると大変だらうね? ハハハ。ところで早速だがなあ、昨日も話したやうに、此の際ひとつ、三百円でいいから、融通して貰ふわけには行かねえかなあ? あんしろ、はあ、税金と肥料代だけでも、六百円からの借金でね。
留吉 ……俺にや、そんな金無えから。
伝七 三分五厘だけ利息を差し上げて、半期毎に証文書き替へることにしようで無えか。それなら、別に悪い事あ無えと思ふが、どうかね? 抵当には、上の段の桑畑ソツクリ入れて置いてさ。あれは、君も知つてるやうに、どう捨て値で叩いても五百両をくだる畑ぢや無えぜ。ひとつ、頼むよ。……(留吉は飯を自分でよそつて食いながら妹の事に気を取られてゐて返事をしない)君だつて、津村先生に頼んで田地の買戻しにかゝつてゐる位だ。それに、俺の所と君の家では、今でこそ何だが、元は遠縁に当る間柄なんだからなあ。ねえ、留さん!
留吉 ……元はどうか知らねえが、俺んちが分散する時あ、あんたあ知らん顔で見てゐなすつたよ。
伝七 そ、そ、そりや、お前、あゝ言う際に、俺みてえにロクに力の無え人間が飛出して行つても、なんになるだよ。そんな、そんな事を誤解して貰つちや、困るよ!
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(中年の小学教員の津村が表から入つて来る)
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留吉 津村先生、どうでした?
津村 いやねえ、今も行つて来たんだがね、どうも先方でも足元を見て、いろいろの事を言ふでねえ。
伝七 (キヨロキヨロと留吉と津村を見較べてゐたが)あんた今日は学校休みですかい?
津村 今日は日曜だかんね。ハハハ。一週一度の骨休めさ。ハハハ。
伝七 さうかね。ハハハハ、骨休めて、田地のシユーセン歩きかね。ハハハ。
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(津村がムツとして伝七を睨んでゐる)
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留吉 しかし、もともと買つて貰ふ時に、今後いつでも買戻しが利くやうに諒解は附いてゐるですがねえ?
津村 そいつが、当てにならねえでねえ。(眼は伝七の方をみてゐる)
伝七 そりやさうだらう。五六年前とは大分此の村も変つたからなあ。ハハ。こんなに村がヒヘイしちまつて、誰も彼もがやつて行けなくなつて来ると、他人の事考へて仁義な事やつては居れねえからな。斉藤さんに限らねえ。
津村 伝七さん、なんで私の顔ばかり見るかね?
伝七 ハハ、いや、ねえ先生、いつか役人や技師が来て農村でも工業を大いにやらなきやならんと学校で何度も演説してさ、学校の先生達も馬鹿に力コブを入れてゐなさつたが、あんな事も嘘の皮だね。ヘツヘヘヘ、そんな事で一々踊らされて、無けなしの金で罐詰めの道具買つたり、製板の株買つたり、ハムを作るのに資本をかけたりして益々借金ふやす百姓こそ、いい面の皮だ。ハハハハ。学校あたりでも、修身など教へねえで、コスツからく立ちまはつて、人のカスリを取る法でも教へて呉れた方が助かるですがねえ?
津村 あにを言ふんだ、君あ!
伝七 あんだ? (二人、睨み合つて立つ――間。留吉は二人の口論に少しゲツソリして、黙つてしまひ、茶づけ飯の最後の一碗をかき込んでゐる)
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(利助が、酔つて戻つて来る。倉川との交渉はうまく行かなかつたらしい)
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利助 ……畜生! 倉川が何だ。轟がなんだ。人を馬鹿にしやあがつて――。おゝ、津村先生に伝七さんか? こんな所で何をしてゐるんだ? あがつたらいいぢやねえか。
伝七 どうだい、製板の方のゴタゴタは、うまく片附いたのか?
利助 なんだと? それがどうしたんだ! 利いた風な口を叩くのは止しな。君達ドン百姓にわかる事かい! (お雪が奥から出て来る)
津村 倉川の方へスツカリ抵当流れになつて渡つてしまひかけてゐるさうぢやないか? さうなると折角あすこ迄やつて来た君達はどうするんだよ?
利助 それがどうしたんだ? 俺あね、他人のフンドシで角力を取つたりなんぞのケチツ臭え真似はしないんだぞ。なんだい、どいつも此奴も、他人の金に目を附けてウロウロウロと歩きやがつて!
津村 何を云ふんだ、君あ? 私が、いつ――。
利助 俺の云ふ事が気に喰はねえのか、おい! 気に喰はなきや、どうするんだ! (と、津村の肩を掴む)
雪 あんた! あにを――(と土間に飛降りて夫の腕を引き離す)先生、かんにんして下せ、酔つてゐるだから! あんた!
津村 ぢや(留吉に)明日でも又ユツクリ話すから――。
伝七 ぢやま、こんだ、な、留さん――(二人早々に出て行く)
利助 何をしやがるんだ! 離せ、畜生! 離せと言つたら離せ! あんな奴等あ、一ぺん思ひ知らせて置かねえと癖にならあ!
雪 まあさ! あのね、酒もチヤント買つて有るから、落着いて、それでも飲んで、いつとき寝るだよ!
利助 酒? (ヂロリと留吉を見て)へん! なんだ、人の買つてくれた酒なんか飲むか! 鮎川利助を見そこなうなツ! (と、お雪を殴る)
留吉 (立つて行つて、止める)利助さん、まあ――。
利助 (肱で留吉の手をはねのけて)俺の女房を俺が叱るんだ! 他人の世話になるかい。此の野郎! (お雪を殴る)
雪 あつツ、ツ! お前さん! ツ!
利助 へつ、利いた風な事を言やあがつて、こん畜生! こら! (とお雪をピシヤピシヤ殴る。こみ上げて来る怒りを、辛うじて抑へてゐる留吉)
[#5字下げ]4 墓地[#「4 墓地」は中見出し]
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(二三日後の晴れた午後。花が咲き、草萠え、小鳥の囀つてゐる村の旧い墓地の丘。丘は、上手に向つて傾斜し平地になりかけた所で、急にけづり取られてゐて小さな崖を形造つてゐる。その底を、上手袖から廻り込んで掘られた幅一間半の水路。製板所の動力を取るために新らしく作られた掘割である。上手奥に製板所の屋根の一部が見おろされる。時々キユーン、キユーンと器械鋸で材木を挽いてゐる響。留吉が、ひどく陰欝に考へ込んだ姿で出て来る。迫ひすがる様にして、津村。勤務の帰りと見えて、紺サージの背広姿)
[#ここで字下げ終わり]
津村 それに、近頃ぢや宅地はとにかく、耕作の出来る田地や山林と来たら、まるつきり少くなつてゐるからなあ。農業をしても合ひはしないのに、どう言ふもんかなあ、人がそいだけ多くなつたせゐかねえ、とにかく売りに出る田地は少くなつた。
留吉 ……。三千七百円で無きや、どうしてもいやだと言ふのかね?
津村 四千円一文切れてもいやだと言ふのを、私がお百度を踏んでやつと三百円だけ引かしたんだ。
留吉 ……でも、親父が死ぬ年に、あの田を斉藤に引き取つて貰つた時は、二千円少し切れてゐましたよ。
津村 それが、その当時と今とでは金の値が違つて来てると言ふんだよ。
留吉 ぢや、その話は一時見合せて下さい。……少し考へたこともあるんだ。……三千七百円なんて金も俺にや無い。
津村 しかし、いや、なに此の私がもう一息押せば三千五百迄にはして見せる自信はあるさ。あすこの息子が町の中学に入学する時にや、これで
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