留吉 ……ぢや、ま――(立つて、うどんの銭を置き)直ぐ送り返すからね。いろいろどうも――。直ぐ立つよ。これで、助かつた。ありがたう。ホントに礼を言ふぜ、お香代さん。
香代 早く行けつ! なんだい! (食卓の上の物を留吉の方へ投げ附ける)早く帰れ! (それにヘキエキして留吉、コソコソと表へ立去る。香代尚も物を取つて投げる)
より まあさ、香代ちやん! そんな、お前、そんなに――
香代 こん畜生! 畜生! 畜生! (幕)
[#5字下げ]3 信州の家[#「3 信州の家」は中見出し]
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(信州の山村の、利助夫婦の家。昼前。春――此の(3)と次の(4)の山村の春景色は色鮮かに美しく、(1)(2)(5)の風景と著しい対照をなす。
下手、土間の隅で、妻のお雪が低く子守唄を歌ひつゝ乳飲児を負つて昼飯の仕度をしてゐる。上手半分が板の間になつてゐるが、その前寄りの炉の傍に此方を向いて坐つた利助が、眼を光らせて考へ込んでゐる)
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利助 ……(一人ごと)畜生め!
雪 え? ……あんだよ? (オドオドした調子)
利助 あんだ?
雪 ……(利助を見るが、自分に話しかけられたのでは無いので又、コトコト炊事を続ける)
利助 ……轟は、いつ頃来た?
雪 さうだな、伝七さんが来た直ぐ後だつたから、十時頃だよ。
利助 なんと言つてゐた?
雪 まだ兄さん寝てるからと言つたら、後で又来るから――
利助 そりや伝七だらう? あんなドン百姓に俺あ用事は無えぜ。轟だ。
雪 轟さんは、なんにも言はねえだよ。
利助 ……さうか。フン、野郎、気を持たせてゐやあがるんだ。
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(間)
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雪 ……ねえ、あんた。……もういい加減に製板の事、諦らめておくれよ。
利助 ……又、言ふか!
雪 でも、どうせかないつこ無えもの。
利助 鮎川利助、あんの為めに十年もの間、山をやつて来たと思ふんだ!
雪 んでもさ、かうしていくら踏ん張つてゐても行く先きの見込みは附かねえしさ。それに坊やだつて、あんた。――兄さんに頼んで田畑をするなり――。
利助 馬鹿! 貴様、そんな事考へるんなら、一人で勝手にしろ! 今日限り離縁だ! 俺あ百姓は嫌ひだ、今更タンボ這ひずり廻る位なら、首いくくつて死んじまわあ!
雪 ……それが嫌なら、東京さ行つて二人で稼ぐなりさ――
利助 ぢや貴様一人で行け! 俺あ、骨がシヤリになつても此処でやるんだ。倉川や轟をもう一度見返してやらねえぢや俺あ死にきれねえんだ――
雪 ……だども、さ――。
利助 アゴタ叩くのは止せつ! ムシヤクシヤすらあ。……おゝ、酒を買つて来い。
雪 そんな、朝から飲むの、よしておくれ。身体に悪いから。それに、兄さんも来てんだから。
利助 へん! 兄さんだつて? 彼奴あ、五年前お前をあんな所に叩き売つた奴だぞ!
雪 叩き売つたんぢや無えてば。兄さんにもう一旗あげさせようと思つて、そいで、私の方から望んで――。
利助 同じ事ぢやねえか! 俺があん時一山当てた金でお前を身請けしてゐなかつたら、今頃はお前の身体あ、梅毒かなんかで腐つてゐたんだぞ、此の馬鹿野郎! 今頃ノコノコ帰つて来やあがつて、済まねえが聞いて呆れらあ!
雪 (奥を気にして)あんた、聞こえるから――。
利助 聞こえたつていいぢや無えか、本当の事言つてんだ! グズグズ言はずに、早く酒買つて来い。
雪 だどもさ、山徳ぢや、借りが溜つて、もう掛けではよこさねえのに……。
利助 現金持つて行きや文句無えぢやねえか。
雪 さう、あんた、言うたとて、無いのに……。質屋さ持つて行く物だつて、もう。
利助 甲斐性の無えアマだ、何とか都合して来う! 早く行け! 行かねえかつ!
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(炉にくすぶつてゐた木の根つこを、鷲掴みにして立つて行く)
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雪 だどもさ……(木を投げられた場合に背中の児に当らぬやうに肩口へ手を廻してかばひながら、徳利を捜す)そんな、あんた……行くよ。
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(襖が開いて、留吉が出て来る。寝起きの晴れ晴れとした表情)
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留吉 やあ、お早――(その場の様子の変なのに気が附いて、チヨツト妹夫婦を見較べてゐる。利助炉の傍へ戻つて来てムツツリ坐る)……お早う。(戸外を覗いて)いけねえ、もうお早うでも無えか。ハハハハ。あんしろ、此処に戻つて来て以来、永い間のくたびれが出たと見えて、いくら寝ても寝足りねえ。まるで身体が溶け込んで行くやうに眠いんだ。(妹が出してくれるタオルと塩を受取つて、土間へ降りる)おい……(表のカケヒの方へ出て行き、顔を水で一二度パシヤパシヤやる)
利助 ……早く買つて来い!
雪 へえ。……
留吉 国の景色は綺麗だなあ! (言ひながら顔を拭き拭き入つて来る)久しぶりに見ると、又一倍綺麗だ、まるで夢でも見てるやうだよ。ハハハハ。(妹の下げた徳利に眼を付けて)酒を買ひに行くのか?
雪 うん。……(少しウロウロする)
留吉 (その様子を見、次に利助の方に眼をやつてから、ガマ口を出して、金を妹に握らせる。背中の児を覗いて)よく眠つてゐらあ。早く行つて来いよ。
利助 ……あんたなぞから酒代を恵んで貰ふ事あ無い。お雪そんな金使ふと承知しねえぞ!
留吉 いや、俺も飲みたいから、さう言はずにさ。実あ、あれだけ好きだつた酒を、五年の間プツツリと断つてゐてねえ……(お雪に早く行けと眼顔で知らせる。コソコソ出て行くお雪)味も忘れたが、此処へ戻つて来るとやつぱり思ひ出すよ。アハハ。(炉の方へ来て)……利助さん、まだシミジミ礼も言つて無い。どうも色々とありがたう。面目無いが、妹が君の世話になつてかうして仕合せに子供まで出来て暮してゐようたあ、戻つて来るまで、まるつきり知らなかつた。まだ、あの料理屋に居るとばかり思つてゐた。済まない。俺あどんなに嬉しいかわからないんだ。
利助 いやあ……。
留吉 お雪が拵へて呉れた金でね、大阪へ出てバタバタやつて見た。今から考へて見ると、あんなに荒い町で三百そこいらの金を持つて何が仕出来せるものか、二月たゝない間に一文無しにすつてしまつてね、……一時は死んじまはうと思つて、鉄道線路を枕にして寝た事も何度かあつた。……しかし国の事を考へると、どうしても死ねないんだ。それからは、もう無我夢中さ。中国から四国、九州と渡り歩いて、彼方に三月、此方に半年と、少しでも余計に金になる事なら、人の嫌がる仕事ばかりやつて来た。汚ない事もしたよ。まるで、まあ餓鬼だ。……他人にも随分憎まれた。……然し、うぬが身体一つが元手の人間、少しまとまつた金を拵へようとすれば、さうするより他に法は無え。世間と言ふものは、さうした物なんだ。……然しまあ、かうして戻つて来れば、これからは万事うまく行くよ。来る早々津村先生に頼んで田地の買戻しは直ぐに片附くことになつてゐるから、さうなれば、俺と君達夫婦と三人でタンボをやつて行きあ、まあなんとか――。
利助 しかし、俺あ百姓は嫌ひだから……。
留吉 ……。そう言つたもんぢや無ないよ。人間の食べるもんを作るんだからなあ。第一、青天井の下で働くなあ気持がいいよ。君だつて俺だつてお互ひに十八九の時分は、あんなに喜こんでタンボ仕事をしてゐたぢや無いか。俺達あ、やつぱり百姓の子だよ。
利助 あの頃と今は違ふ。あの頃は農業一方で食へたのが、今あ食へなくなつて来てゐる。田地の五町も十町も持つてそいつを小作に出してやつてゐる家はとにかく、現に、三段や、五段の田地持ちで、タンボ専門で食つてゐる家なんぞ、此の村にや一軒も無くなつてゐるからな。有れば、そいつは借金で持つてゐる家だ。
留吉 だつて、金は残せないにしても、自分で食ふものを自分で作つて行く分にや、これ程強い稼業は無い筈だよ。さうだらう?
利助 あんたあ、なんか、夢を見てるんだ。
留吉 夢? ……(ムカツと来るが、わざと笑ひにまぎらす)ハハハ、いや、夢と言やあ、五年の間、俺が夢を見りや、たつた一つしきや無かつた。親父の残してくれた例の、今、斉藤へ行つてゐる二段田さ、あれ一面に菜種の花の花ざかりの景色さ。そいつを春先きの陽がカーツと照して明るい事と言つたら――菜種の匂ひまで嗅いだ様な気がしたもんだ。ハハハ、夢まで百姓らしい夢を見る。ハハ!
利助 ……だが、俺あ、まつぴらだな。
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(気まづい間)
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留吉 (あくまで下手《したて》に、話題を変へる)なにかね、なんか製材所とかの事で、今ゴタゴタしてゐる――?
利助 いやあ――此処ぢや製板と言つてるけどね。……なあに、別に……。(お前なんぞに話したつて仕方が無いと言つたムツとした調子である。取り附く島が無い。)……何をしてゐやがるんだ、遅いなあ。
留吉 ……お雪の事あ、今後とも、一つよろしく頼むぜ、なあ。なあ、利助さん。
利助 チエ! (舌打ちをして土間を降りる)
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(表からセカセカと入つて来る轟伍策)
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利助 おゝ、轟さん、遅いぢやないか!
轟 だつて先刻も一度来たんだぜ。
利助 今頃になつて、変に気を持たせるのは止して下せえよ。
轟 おかしな事は言ひつこ無しにしようよ。倉川の方が、もうこれ以上待つのはいやだと急に言ひ出したんで、私あ君の頼みもありさ、大急ぎでやつて来たら、君あどつかへ行つて居ない、大概ヂリヂリしたんだよ。
利助 え? もう待てねえつて? そいつは約束が違ふぢやないか!
轟 違つても仕方が無い、さう言つてるんだから。倉川にあいだけの資本を握つて居られたんぢや、いくらいきり立つたつて先ず喧嘩にやならないからな。長い物には巻かれろつて言ふ所だらう。
利助 へん、轟さん、一昨年あんたが私を叩きつぶしにかかつた時も、同じセリフをあんた言つたぜ。
轟 その時々の風の具合さ。一昨年は私だつてこれでいつぱしの長い物だつたが、今見たやうな手詰りになつて来るてえと、今度は、大きい金を抱いた倉川が長い物さ。もうヤケクソだ。倉川の手に製板から出した手形や借用証があれだけ実〈寄カ〉つてしまつたんぢや、いくら何でも、私には落とせない。君、ひとつ考へてくれ。それに君だつて製板の共同経営者なんだからな。
利助 共同経営者と言ふのは書類の上だけの話ぢやねえか! 一昨年以来、鐚一文の配当も俺あ受けた事あ無えんだ。おまけに、あれ以来まるで、俺あ製板の職工と同じ事をやつて、唯奉公みてえに働らいて来てるんだ。それと言ふのが、あゝして製板が俺達の手で経営されて居れば、大して儲かりはしないまでも、あれでも何やかやでは五十人近くの此の土地の人間が製板所で飯が喰つてゐられる事を思へばこそだ! それが、倉川なんぞの町の金貸しの手に渡れば、製板の職工から人夫すべて町から連れて来ると言ふぢやないか。糞、今更そんなベラボーな! 倉川ぢやチヤンと此の間今月の末まで待つと約束したぢや無えか! 男と男が言葉を番《つが》へたんだぜ!
轟 そんな事を俺に言つたつて始まらねえ! なんしろ俺だつて首が廻らないで苦しいんだ。こんな事なら、あれだけの田地売り飛ばして、製板所なんかやらなきやよかつたと後悔してゐるんだよ。農村の自力更生策だなんて、生意気な甘つちよろい考へなんぞ起したのは、一生の不覚だつたよ。(留吉を見て、無理に笑ふ)ハハハ、ハハ、やあ留吉さん、だつたね? 戻つて来たつて噂聞いたが、君も随分変つたなあ!
留吉 へえ。どうも暫く、その後――。
轟 どうもね、以前はこれで地主様で威張つてゐたが、製板工業なぞに手を出して、田地も何も皆すつちまつてね。ハハハ、みじめなもんさ。君あ旅で大分溜め込んで来たんだとか誰か言つてゐたが、どうかね、少し出資でもして援助してくれんのかね?
留吉 冗談言つてはいけませんよ。
轟 冗談ぢや無い! 投資してくれりや一年の間にや五倍にして返すがな。え? どうだ、留さん!
利助 ……(先刻から土間に突立つてしきりと考へ込んでゐたが)轟さん、あんた、
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