に今度は留吉の方でもかゝつて来るだらうと、飛び下つて応戦の身構へをする)(短い間。――留吉は痛さうに土間に坐る)
留吉 ……(やつと顔を持ち上げて)……金さへ返して呉れりや、いいんだ。(皆、呆れるよりも、その執念深さにむしろギヨツとしてゐる)
辰造 ……よし! ぢや払つてやるから、取れ! (懐中からガマ口を出して)こいつあ、島田んとこのおふくろにやるんで、今日勘定場で帽子を廻して集めた金だが、いいや、三円だな? 丁度それ位、あらあ、受取れ! (バラ銭を土間に投げる)
金助 しかし、辰兄い、そいぢや俺が困る、島田のおふくろにも、皆にも済まねえ。
辰造 なに、又集めりやいい。事情を話せば皆出してくれらあ。そして此の分はお前が月末になつて払へばいいんだ。(土間を這ひ廻るやうにして銭を集めてゐる留吉)チエツ! 人間の皮をかぶつたケダモノと言ふなあ、うぬの事だ! へん、ざまあ見ろ!
香代 ……畜生! (と口の中で言つて、プイと奥への入口から消える)
留吉 (拾ひ集めたものを勘定し終つて)三円二十銭だ。二十銭だけ多い、こりや返す。
辰造 なぐられ賃だ。取つて置け!
留吉 余分に貰ふ訳あ無え、返すよ。
辰造 ぢや其処で坐つたまゝ、お辞儀をして見ろ。そしたら利息としてそいだけやらあ。(留吉チヨツと辰造の顔を見て、次にお辞儀をしてから金を懐中にしまふ)アツハハハ! 見ろ! アツハハハ、ハハ!
留吉 (立つて行き、腰掛けに掛けて)……おい、うどんを一つ呉れ。(より子が調理場へ入つて行く)
金助 おい、そろそろ行かうか。
辰造 うん、行かう。志水、行かうぜ。
[#ここから2字下げ]
(そこへ表から、十二三歳の少年の手を引いた老婆が、あわてゝ入つて来る。二人共恐ろしく汚い、みすぼらしい装をしてゐる。キヨロキヨロと店内を見廻す)
[#ここで字下げ終わり]
金助 おゝ、島田のおふくろぢや無えか。まだ公会堂へは行かねえのかい。
婆 いえ、私あ、もう御免をこうむらうと思つてゐるんだよ。ねえ志水さん、もうあんた方いろいろに会社に掛合つて下さるのは止しにして下せえよ。それを言はうと思つて私あ昼間つから、あんたを捜してゐたんだよ。
志水 なんだつて? 止すとは?
婆 いえさ、あんたらが、死んだ伜の事で手当をドツサリ取つてくれようと色々と骨折つて下さるのは有りがたいけどさ、私達のことをダシにして、又段々とイザコザが大きくなつて来ると――。
辰造 なんだつて? ダシにしてだと?
婆 早い話が、明日の百円よりや今日の一円だもの。下げて貰ふ金が此の先伸びれば、私等あ、どうして食つて行けるんですよ? かうして子供と婆あで、稼ぐと言つたつて何をやるんだね? 会社では、あゝして、二百円なら今日にも渡して下さらうと言つてゐるんだから、これ以上事を荒立てないで、早く二百円貰つて――。
金助 おい、おつ母あ、俺達あ何も事を荒立てようとはしてゐやしないんだよ。第一、たつた一人の稼ぎ人が会社の仕事で殺されたと言ふのに、その伜の命が二百円でいいのかい?
婆 冗談言つちやいけないよ! 伜の命が二百円でいいと誰が言つたい? 千円積んでも万円積んでも私あいやだよ。何を言つてやがるんだ。しかし、背に腹は代へられやしないやね。だからさ! 今、あの栄町の角の駄菓子屋の店が百五十円でソツクリ売りに出てゐるんだよ。早く買はねえと他所へ売れてしまふ。此の子を育てるのに私あ駄菓子屋でもしてと思つて、……だからさ! ねえ、志水さん!
辰造 千円取れゝば、駄菓子屋でも何でもやれるよ。
婆 取れりやいいさ、取れりやいいけど、下手をすると元も子も無くしてしまふ。十年ばかり前の争議の時だつて、似たやうな事が有つたんだよ。
志水 そんな事あ無えよ! 絶対、そんな事は無え!
婆 だつてさ――。
志水 おい、おつ母あ、俺の言ふ事が信用出来ねえのか? 俺が今迄お前にチヨツピリだつて嘘を吐いた事があるか?
婆 そりやね、お前さんの言ふ事あ信用するよ。お前さんは正直な人だ。しかし、大勢になりや、お前みたいな人ばかりは居ないよ。
志水 とにかく、俺にまかせて、公会堂へは行つてくれ。まちがつたら、俺が腹を切つて見せる。それでいいだろ?
婆 そりやね、そりや、まあ、行きますよ。しかし、ホントに早くしてお呉れよ。駄菓子屋の事はどうでもいいとして、恥を話さなきや解らない、私んとこぢやもう、米が無いんだよう!
志水 米が無い?
婆 私あ、こんな年寄でいくらも食べやしないけど、此の食ひ盛りの子が、二日も三日も水の様なお粥《かゆ》腹でシヨビタレてゐるのを、私が黙つて見てゐられると思ふのかい? (声を上げて泣く。金助も貰ひ泣きをしてゐる。しかし少年は歯を喰ひしばつてゐて泣かない)
辰造 さうか! ……それ程困つてるなら、なぜ一言俺でも誰でも仲間の者にさう言つてくれないんだ?
婆 でもさ、みんなもやつぱり困つてゐるんだもの、さうさう言へたもんぢや無いよ。
より (少年に)坊、おなか、空いてる?
少年 うん。
より うどんでもあげようか?
少年 金が無えんだよ。
より お金はいいのよ。
少年 ぢや、いいよ。
より どうしてさ?
少年 ……食ひたく無えや。(言ひながら、眼は、隅でうどんを食つてゐる留吉の方を睨んでゐる)
婆 そいで、言ひにくいけど、誰か二三円私に貸して呉れんかね? 直ぐに返すけど。一円でもいいよ。(顔を見合せてゐる志水と辰造と金助。三人とも金は無いらしい)……五十銭でもいいよ。
志水 ……今無えんだ。直ぐ後で、俺、なんとかするから――。
辰造 おい留公、おつ母あに少し貸してやれよ。二円でも三円でもいい。貸してくれ。
留吉 (うどんを食ふのを止めて)……? うん。……いつ返してくれるんだよ?
金助 金が取れたら直ぐ返すよ。
留吉 ……そいで、利息は、いくらだ?
辰造 ……畜生! ケダモノ奴! もう止せ、こんな奴に頼むのは止せ! 後で皆でなんとかすらあ。さ、行かう、おつ母あ。此のケダモノ野郎、ペツ! (と留吉の顔へ向つてツバを吐きかける)
[#ここから2字下げ]
(店の前――舞台奥――を何か話しながらゾロゾロ通つて行く七八人の男達。中の二人が、ノレンから顔だけ出して)
[#ここで字下げ終わり]
男一 おい、行かうぜ!
男二 もう大分集つたらしいよ!
辰造 よし! さ、行かう! (老婆を助けて外へ。続いて金助も出て行く。少年はそのまゝ立つて、暫く留吉の方をうらめしさうな眼で睨んでゐたが、やがて外へ)
[#ここから2字下げ]
(留吉は又うどんを食ひはじめる。黙つてそれを見てゐる志水。――香代が奥から出て来て、二重に腰をかける)
[#ここで字下げ終わり]
志水 ……留、……お前、そんなに金が欲しいのか?
留吉 ……? ……うん、欲しい。
志水 それ程までにして金が溜めたいかと言つてるんだ。
留吉 ……ほかに溜めようは無えもの。……できなきや泥棒するより無え。……俺あ泥棒はしたく無え。
志水 どうするんだい、その金を?
留吉 ……。(うどんを食ふ)
志水 まあ、そりや、どうでもいい。どうしてもお前、俺達の仲間に入るのは、いやなのか? 皆の所に一緒に来るわけには行かねえのか? 同じ所で同じ様に働らいてゐりや他人の事あ自分の事だぜ。
留吉 俺あ金を溜めて、国へ帰らなきやならねえんだ。……だからかうして食ふ物も食はずに、毎晩おそくまで、人のいやがる仕事はみんな引受けてビシヨ濡れになつて稼いでるんだよ。……もう少しで国へ帰れるんだ。
志水 さうか。……(まだ何か言ひたさうにするが、止して、スタスタ外へ出て行く)
香代 ……よりちやん、一杯。冷やでいいわ。
より しかし、いいの、そんなに飲んで?
香代 いいつたら!
より さう? だけどねえ……(コツプに酒を注いで持つて来る)あいよ。
香代 (飲む。カーツとなりさうなのを努めて抑へた静かな調子)留さん、お前さん、もう少しで国へ帰れるんだつて?
留吉 ……さうだよ。信州を出てから五年間、かうして稼いで来たんだからな。俺あ嬉しくつてならねえんだよ。
香代 もう少しと言ふのは、いくらなの?
留吉 あと、百円足らずだ。二月ありや稼げる。そしたら俺あ――。
香代 二千円で、妹さんの身請けをして――。
留吉 いや、それよりも田地を買戻す方が先きだ。お雪の借金はあん時で四百円だつたから、もうよつぽど減つてゐるか、或ひはもう肩が抜けて堅気になつてゐるかも知れねえ。
香代 さう? そんなもんかねえ、フン。よりちやん、もう一つ。
より 冗談言つちやいけないよ、留さん! やつぱし、なんだらう、妹さんの行つた先も、やつぱし、こんな風な飲屋かなんかだろ?
留吉 小さい料理屋だよ。何か、おかしなうちだ。
より (香代に酒を持つて行つてやりながら)んぢや駄目だよ。一度前借をしてこんな世界に飛込んだが最後、二年や三年で抜けられやしないんだから。私達を御覧よ、借金はグイグイふえる一方だから。
留吉 そいつは、お前達がチヤンと、しまつてやらねえからだ。
より 田地を買戻すなんか後廻しにして、その妹さんの方を先きにおしよ。
留吉 とにかく一刻も早く国へ帰りてえよ。俺が帰りや一切合切、片附くんだ。
香代 その、あとの百円、私があげようか?
留吉 ……なんだつて? 百円?
香代 百円あげるから、お前さん、そこに坐つて、私の足の裏を舐める?
留吉 ……?
香代 百円だよ。舐めるの?
より 香代ちやん! お前――。
香代 アツハハハ、ハハハ!
留吉 なんだよ? どうしたんだ?
香代 『人間の皮をかぶつた』か。うまく、かぶつたもんねえ! アツハハハ、ハハハ! あゝ、おかしい!
より 又酔つた。仕様が無いねえ!
香代 百円やらうと言つてんだよ、いらないの?
留吉 そりや――。
より (香代の気持が迫つて来るので、泣けて来る)香代ちやん! ……(香代はゲラゲラ笑ふし、より子は泣くので、留吉は面喰つて二人を見較べてゐる――)……留さん! あんた香代ちやんの事、わからないのかねえ?
留吉 だからさ、俺あ、もし貸してくれるんなら――。
香代 貸すんぢやない、やるんだ! (帯の間から紙幣束を出して、留吉の前の食卓の上に放る)早く国へ帰るがいいよ! (怒つた様な調子)
より あんた! 香代ちやん! それを、なにすると、近藤さんとの事、いよいよ、のつぴきならなくなるんだよ! お前、そいで、どうするのさ! ねえ、香代ちやん!
香代 どうせ、もう、仕方が無いさ。それんばかり返して見たつて、どうせもう、こいだけ金で縛られてりや、なるやうになるんだ。ぶん相応だよ!
留吉 お前、酔つてゐるんだ。
香代 酔つてゐたつて、これんばかしの酒に間違やあしない。おとなしく、それ持つて、トツトと国へ帰るがいい! 私の前でチラクラして目ざはりだよ!
留吉 だけど、これは、いつか言つてゐた新村に預けてある子供の方へ渡してやる金ぢや無えのか?
香代 三吉は、新村の先方へ、もう呉れてやつてしまつたんだよ。畜生! 私みたいな、こんな、しようの無い母親が附いてゐたつて、子供に、それが何の足しになるんだ! 私あ、かう見えても、蔦屋の、お香代さんだよ! なんだつ!
留吉 さうか。……ぢや借りるぜ。ありがてえ! その代り信州へ帰つたら、直ぐに都合して送り返すよ。さうだな、利息は五分にしといてくれ。もつと出したいが――。
香代 こん畜生! (コツプを投げる。それの割れる音)利息だつて? な、な、何を生意気な! やるんだと言つたら!
より (はらはらして介抱する)お香代ちやん! そんなお前、無茶をして! 留さん、お前さんもホントに、留さん! お前さん、此処に来てから、あんなに香代ちやんに――仕事も世話になるし、あんなひどい脚気も香代ちやんに治して貰ふし、脚気を治して――(と焦るが、うまく言へない)
香代 なにをオタオタ言つてんだよ。人間の皮か! アハハハ、馬鹿野郎! 馬鹿野郎! (その狂態を留吉驚ろいて見てゐる)どうする、いつ帰る? 早く帰れよ、さあ帰れ! 帰れ! 帰つて、もう二度と再び来るなつ!
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング