ちかい、そしてひじょうに強く完全な、宗教的信念に立脚した人間が予想されています。そのような人びとにしてはじめて可能な抵抗が押し出されています。うらやましいとは思うが、ふつうの人間には実行不可能なことが多いのです。
 私は偉くなく、不完全で弱虫で、宗教的信念ももたず、将来とても、だいたいそうだろうと思います。だから多少とも理想的人間を予想した抵抗論をやる資格と、そして、じつは興味ももちません。私は私じしんに実行可能な抵抗しか考えられないのです。
 つぎに、私がたいへんな臆病者であるということです。卑怯者ではありたくないと思い努力していますが、そしてこれはいくらかなおせるが、臆病である本性はなおせない。自分の身と心を危険にさらしそうなことのいっさいが私に怖い。生れつきの過敏という素因もあります。時によって、それは病的にまで昂進して恐怖症の状態にまでなることがある。私の日々の暮しと仕事は大きい恐れや小さい恐れの連続だといってもさしつかえありません。まして異常な破壊力や暴力などの発現は、上は原子爆弾から下は市井《しせい》の喧嘩ざたまでシンから怖い。生活の不安にたいしても、じつに気が小さいのです
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