ことがあっても欠くことのできない根源的な「自由」を確保するための、武器によらざる戦いに私どもが参与しなければならないのならば、そのときの私の姿は右の老兵のような姿でありたいと思うのです。そして老兵の姿は、桃の木の姿に似ています。
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私自身の抵抗論そのものは、じつに簡単素朴なもので、十行ぐらいに個条書きにすることができます。しかしそのまえに、ちょっと言っておきたいことがあります。それは前節中で「あとに書きます。」と言ったことです。
私という人間は、どううぬぼれてみても、それほど偉くありません。また、それほど強くない。ごくふつうの知情意をもっているにすぎず、弱い。ところが、現在あちこちで行われている抵抗論はみんなかなり偉い強い人間でなければ実行できないようなものが多いのです。これまでにあった優れた抵抗論もほとんどすべて、かなり偉い強い人間――理想的人間を目安においてなされています。
たとえば、ガンジイの無抵抗の教義など、じつにりっぱな抵抗論であり、私などそれから無限の教訓と勇気づけとを受けとることができるが、いかにせん、これを実行するにあたっては、人格的に最高に
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